つい先日、京都へ行った。
旅ではなかった。
神戸の老人ホームでふたりで暮らす両親の様子を見に行った。
長い間、親不孝の限りを尽くしてきた。
いまさら、罪滅ぼしでもないだろうが・・・・
自分の意思で生まれて来たのではない!と言い切った頃が懐かしい。
でもいまや、後悔ばかりが先に立っている。
ふたりともに、80歳を超え、脳が小さくなり始めた。
記憶する気持ちが持続しない。
理解するチカラが薄れていく。
したがって、周りの人間に対する思いやりが欠如し始める。
したがって「執着」ばかりが心の中を支配する。
社会とのつながりを失くし始めると人は不安になるのだ。
どんなかかわりといえども大切なのだ。「縁」というものは。
そんな人たちと3日間いっしょに過ごし、帰路についた。
ただ、淋しさともつかない、虚しさとも言えない気持ちで胸が一杯にしてしまった。
京都の名神南インターで降りた。
あてはなかったが、「炭屋旅館」に予約を入れた。
平日のせいか、すんなりと予約完了となった。
京都麩屋町。
老舗旅館が3軒並んだ一角。
下足番が待ちうけてくれて、部屋へ案内してくれた。
予約を入れてからあまり時間は経ってはいない。
しかし、風呂は用意され、食事はご希望に添えるか、心配だと挨拶があった。
高野杉の風呂に浸かり、心と体が緩んでいく。
窓辺で、簾越しに中庭をぼんやりと眺め、食事を待った。
まだ、午後6時前なのに深夜の気分。
本も読む気にはなれず、ましてやテレビのスイッチなど入れる気もなかった。
ただ、時が流れ行く確かさだけが感じられた。
京都の旅館は世界一のホスピタリティだろう。
「もてなす」ことの意味をそこで働く人々が理解している。
エンターテェーメントではない、人の喜ばし方を熟知している。
真髄は「こと」と「もの」が整っているからなのだろう。
人にやさしくされながら、
歳を重ねていきたい。
旅ではなかった。
神戸の老人ホームでふたりで暮らす両親の様子を見に行った。
長い間、親不孝の限りを尽くしてきた。
いまさら、罪滅ぼしでもないだろうが・・・・
自分の意思で生まれて来たのではない!と言い切った頃が懐かしい。
でもいまや、後悔ばかりが先に立っている。
ふたりともに、80歳を超え、脳が小さくなり始めた。
記憶する気持ちが持続しない。
理解するチカラが薄れていく。
したがって、周りの人間に対する思いやりが欠如し始める。
したがって「執着」ばかりが心の中を支配する。
社会とのつながりを失くし始めると人は不安になるのだ。
どんなかかわりといえども大切なのだ。「縁」というものは。
そんな人たちと3日間いっしょに過ごし、帰路についた。
ただ、淋しさともつかない、虚しさとも言えない気持ちで胸が一杯にしてしまった。
京都の名神南インターで降りた。
あてはなかったが、「炭屋旅館」に予約を入れた。
平日のせいか、すんなりと予約完了となった。
京都麩屋町。
老舗旅館が3軒並んだ一角。
下足番が待ちうけてくれて、部屋へ案内してくれた。
予約を入れてからあまり時間は経ってはいない。
しかし、風呂は用意され、食事はご希望に添えるか、心配だと挨拶があった。
高野杉の風呂に浸かり、心と体が緩んでいく。
窓辺で、簾越しに中庭をぼんやりと眺め、食事を待った。
まだ、午後6時前なのに深夜の気分。
本も読む気にはなれず、ましてやテレビのスイッチなど入れる気もなかった。
ただ、時が流れ行く確かさだけが感じられた。
京都の旅館は世界一のホスピタリティだろう。
「もてなす」ことの意味をそこで働く人々が理解している。
エンターテェーメントではない、人の喜ばし方を熟知している。
真髄は「こと」と「もの」が整っているからなのだろう。
人にやさしくされながら、
歳を重ねていきたい。
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