歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

再び、京都。

2012-11-13 | 日記
つい先日、京都へ行った。
旅ではなかった。

神戸の老人ホームでふたりで暮らす両親の様子を見に行った。
長い間、親不孝の限りを尽くしてきた。
いまさら、罪滅ぼしでもないだろうが・・・・

自分の意思で生まれて来たのではない!と言い切った頃が懐かしい。
でもいまや、後悔ばかりが先に立っている。

ふたりともに、80歳を超え、脳が小さくなり始めた。
記憶する気持ちが持続しない。
理解するチカラが薄れていく。
したがって、周りの人間に対する思いやりが欠如し始める。

したがって「執着」ばかりが心の中を支配する。

社会とのつながりを失くし始めると人は不安になるのだ。
どんなかかわりといえども大切なのだ。「縁」というものは。

そんな人たちと3日間いっしょに過ごし、帰路についた。
ただ、淋しさともつかない、虚しさとも言えない気持ちで胸が一杯にしてしまった。

京都の名神南インターで降りた。
あてはなかったが、「炭屋旅館」に予約を入れた。
平日のせいか、すんなりと予約完了となった。

京都麩屋町。
老舗旅館が3軒並んだ一角。
下足番が待ちうけてくれて、部屋へ案内してくれた。



予約を入れてからあまり時間は経ってはいない。
しかし、風呂は用意され、食事はご希望に添えるか、心配だと挨拶があった。

高野杉の風呂に浸かり、心と体が緩んでいく。

窓辺で、簾越しに中庭をぼんやりと眺め、食事を待った。



まだ、午後6時前なのに深夜の気分。
本も読む気にはなれず、ましてやテレビのスイッチなど入れる気もなかった。
ただ、時が流れ行く確かさだけが感じられた。

京都の旅館は世界一のホスピタリティだろう。
「もてなす」ことの意味をそこで働く人々が理解している。
エンターテェーメントではない、人の喜ばし方を熟知している。

真髄は「こと」と「もの」が整っているからなのだろう。

人にやさしくされながら、
歳を重ねていきたい。




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