すこぶる体調が悪かった。
まるで両足に10キログラムの鉛の玉をくくりつけられているように、
両足がパンパンになっているのが実感できる。
ほぼ10日間ぐらい、休みなく働いた。
現役のときには感じなかったほどに、
細部にわたり感受性をフルスロットルにし、
身体労力も優に年齢限界を超えてしまっていた。
傍にいる好きな女を抱く気にもならないくらいにね。
全く考えられない行動だった。
もちろん、自分自身の肉体的限界であったことは
誰が見ても理解できることのようだった。
そして、馴染みの病院へ行った。
いつものコト。血液検査と幼少のころからの身体バックデーターの累積を見ながらの対策治療。
痛みを抑える方法を探り出すのは、インディー・ジョーンズ的な感の良さが絶必。
宝探しの快楽を医者に与えるだけだ。
僕は単なるモルモットになり、彼ら探究者に目いっぱいサービスをするだけなのだ。
人のいいにもほどがある。
この痛みをどうにかしてくれ。
そんな言葉にも耳貸さず、彼らは没頭する。
そして、シャーロックホームズかボアロのような気分で満たされた自意識で
僕の身体の隅々をまさぐっている。
いつものことだ。
そして、24時間が経過。僕は痛みと決別できる。
丸1日と交換するだけ。
いつものように、少しの旅をする。
ほんの短い時間だけ心身ともに爽快な気持ちを溢れさせて一人の時間を満喫する。
東京への道のり途中。
温泉。やはり温泉なんだ。
自然治癒能力が全てだ。
人間の脳髄で編み出された能力などホントは信じていない。
ただ、痛みに耐えられなくなる時もある。
僕はそんなに強くはない。
我慢強くもない。
単純な泣き虫。
熱海から伊豆急で下田へ向かい海を眺めた。
海の藍さは沖縄の海よりステキだった。
吸い込まれてしまいそうだった。
癒されたわけではないけれど、自分の存在の微小さを実感できてしまう。
誰も僕のことなど気にしていないんだ・・・・
そして、誰も知らないんだ・・・・僕のことなど・・・・
そんな実感が、こんなにも自分自身を解放してくれるなどと
誰も気が付きはしない。
ただ、ほくそ笑む。僕は自虐的でもなく喪失感を愉しんだんだ。
「あなたが必要なんですよ」
そう言われているうちが“花”なんだからね。
「期待に応えてあげて・・・・」と君は静かに言う。僕の目を見つめながらね。
まるで子犬の上目づかい。
でも、もうそんな期待に応えたところで何も変わりはしない。
そりゃ、みんな愉しいだろう・・・・
だから、僕も愉しむことになるだろう~
単純すぎるなんて思ってしまう。
ヒトを喜ばすことが喜ばすことを画策した人間も愉しいはずだなんて大きな誤解なんだ。
ホントは苦しくて苦しくてたまらないのだ。
不安で不安でたまらないのだ。
期待を裏切りはしないか・・・と。
そして、僕は感じるんだ。
どうして自分でやらないんだい。
その方が絶対的に楽しめるはずだ。と、ね。
そして、傲慢に思うのだ・・・・
僕を楽しましてくんないかい?
たまには・・・・僕だって期待したいんだ。
僕が楽しめることを。
しかし、残念ながら・・・・そんな目にあったことはほとんどない。
すこしはあるけれど、ほとんどないんだ。
そんな僕を死ぬほど愉しませてくれた人間は
この世にはいない。
だから、じつは、心底、寂しいんだ。
ほんとはね。
嘆いてばかりじゃなくてこの扉を開けばいいんだと思う。
部屋の中にはなにがあるかぐらいは誰でも想像がつくだろう?
そして、そのためにはこの橋を渡り切ればいいのだ。
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