みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
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閑能会 『高砂』『西行桜』

2010年04月24日 | 能・狂言
 4月23日、観世能楽堂にて鑑賞。

 遅くなりましたが、今年初の能鑑賞となりました。

能 『高砂』
 以前より注目していた若手の高梨万里さんのシテによる『高砂』です。ツレは祥丸君と、とても若い二人が演じる老夫婦です。
 『高砂』は私が説明するまでもなく、お能ファンでなくても、「高砂や、この浦舟に帆をあげて~」という謡の一部を聴いたことがあるくらい有名ですし、おめでたい曲ですね。
 お囃子も若手(?)だからなのか、安定感というよりも、若さはじける舞台という感じでしたね。神舞はやっぱり早いですねぇ・・・。いつか自分もやってみたい曲の一つです。(まだ無理って言われるんですけどね・・・)

シテ:高梨万里 ツレ:関根祥丸 ワキ:村瀬堤 間:善竹大二郎
笛:一噌隆之 小鼓:鳥山直也 大鼓:大倉栄太郎 太鼓:助川治


能 『西行桜』
 桜は散ってしまいましたが、心の眼でまた桜を見ることができたような気がします。でも、この日は冬のような寒さになってしまった東京でした。
 不勉強なので、西行についてもあまり詳しく知らないし、初見でしたので、予習しなくては・・・と思ったのですが、ちょっとお稽古関連の雑務などで忙しくて行くのやめようかと思ったくらい・・・(泣)ということで、ざっとあらすじのみを頭に入れての鑑賞となりました。
 ジャンルは三番目物となっていますし、シテが桜の精というと、シテは女性だろうか?と思ってしまいがちですが、これは老桜の精が主人公です。(三番目ものは女性だけでなく、草木の精などが主人公の曲もあります。)といっても祥人さんが演じると、老桜という感じはまだしませんが(苦笑)、老桜だけあって華々しい美しさではなく、渋い美しさというものを感じました。

 「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」

 と西行はこの歌を詠みますが、そこに桜の精が現れ、「桜の咎とは何とぞ?」「桜はただ咲いているだけで咎はない。」と西行を諭し、桜の名所を教えます。

 奥深いですが、確かにそうなんですよね・・・。人がどう思おうと桜はただ咲いているだけ・・・。哲学的ですよね。またこれは見てみたいです。そして、もう少し、この曲のことを深読みしたいですね。

 この曲は世阿弥の作ですが、この時代も、今も、日本人の桜を愛でる気持ちというのは変わらないのだな・・・と思うのです。

シテ:関根祥人 ワキ:宝生欣也 間:善竹十郎
笛:一噌庸二 小鼓:亀井俊一 大鼓:柿原弘和 太鼓:金春国和

 この日も、他に狂言、素謡、仕舞がありました。祥人さんももちろんですが祥六さんの謡も堪能した一日となりました。

 さて、この日も帰り道は祥人さんファン仲間と一緒に「今日も素敵でしたね~」とお話ししながら渋谷駅へ。次は7月のお舞台に行こうかなと予定しています。関根家の『景清』は私にとって、とても思い入れのある曲なので・・・。

(4月28日、主な出演者を追記。)