しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」雲の峰いくつくずれて月の山  (山形県月山)

2024年08月22日 | 旅と文学(奥の細道)

芭蕉がすごいのは文人として以外に、気力と体力が並外れている。
江戸からの旅人が羽黒山にお参りするとこまでは、まあ理解できる。
しかし、更に足を延ばして標高1.984mの月山、1.500mの湯殿山へ登る。
これは体力・気力とも揃わなければできることでない。

現代の我々の”登山”は、
登山口駐車場まで車、そこから八合目付近までロープウェイ。
山頂まで少し歩けば登頂、というのが、ほぼお決まりのパターン。
登山口に一番近いJR駅に降りて、そこから歩いて登る、という人さえ皆無に近い。

 

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旅の場所・山形県鶴岡市羽黒町・月山弥陀ヶ原湿原  
旅の日・ 2022年7月12日               
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉


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 「日本の古典11 奥の細道」 山本健吉 世界文化社 1975年発行


芭蕉が月山に登ったのは、六月六日であった。
出羽三山の主峰で海抜千九百八十メートル、芭蕉の生涯のうちに登ったいちばん高い山である。
山上の角兵衛小屋に泊まり、翌日南谷の坊に帰った。


「奥の細道」に「息絶え、身こごえて頂上にいたれば、日没して月現る」とあるので、
「雲の峰」の旬は、頂上でのけしきを詠んだものと思われている。
だが、芭蕉は、昼間に見た雲の峰のイメージを呼び起こしているのだ。
雲の峰がいくつ立ち、いくつくずれてこの月の山となったのであるか、といっているのである。
「月の山」を目の前にしているけしきと取らなければ、 この句は死んでしまう。

出羽第一の名山を詠みこむことが、芭蕉の挨拶なのである。
この霊地全体に対する挨拶だと見るべきだ。

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行


雲の峰幾つ崩れて月の山


芭蕉は羽黒山麓から歩きはじめて八里(約三二キロメートル)を登って月山の頂上に着き、
泊り小屋で一泊した。
山々は濃紺に沈み、眼下の雲は白くにじんでいる。
ちぎってばらまいたような雲であった。
雲の下には庄内の沃野が広がっていく。
その沃野の一点から吹きだす雲の峰があり、やがて雲は流れ、霞となって消えていく。
とみるや天上から太陽光線が差しこんで幾条もの光の束となった。
芭蕉が言う「雲の峰」が眼前で崩れては湧き、湧いてまた崩れていくのであった。

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「日本詩人選17 松尾芭蕉」 尾形仂  筑摩書房 昭和46年発行


雲の峯いくつ崩れて月の山


元禄二年六月三日(陽暦七月十九日)から十日に至る三山巡礼の記念として書き残したもの。
「月の山」は、いうまでもなく、月山の名をよみこみ、たたえたもので、 今でも月山参詣の道者は、
「月のみやま」と唱えるよし。 
「月の山」は、同時に、「霊の峯」に対して「いくつ崩れて」という時間の経過の中で見た場合、
月に照らされた山とも読める。
「月の山」は、月に照らし出された山、月光のふりそそぐ山と見るよりも、
それ自体が月光を発し皎々と輝く山のイメージを思い浮かべたほうが、いっそう信仰の山にふさわしいかも知れない。


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