しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」あやめ草足に結ばん草鞋の緒   (宮城県多賀城市)

2024年08月11日 | 旅と文学(奥の細道)

仙台で出会った画家の加右衛門という人は、親切を絵に描いたような人で、風流心もある人だった。
仙台を発つとき、お金持ちでない加右衛門は、気持ちのこもった手土産を呉れた。
芭蕉にとって理想的とも言える想い出の町と人となった。

 

・・・

旅の場所・宮城県多賀城跡  
旅の日・2019年7月1日          
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

・・・

 

・・・


「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

名取川を渡って仙台に入る。
あやめふく日也。
旅宿をもとめて、四五日逗留す。
ここに画工加右衛門と云ふものあり。
聊か心ある者と聞きて知る人になる。
この者、「年比さだかならぬ名どころを考置き侍れば」とて、
一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるる。

あやめ草足に結ばん草鞋の緒

<中略>

壺碑(つぼのいしぶみ) 市川村多賀城に有り。
つぼの石ぶみは高サ六尺余、横三尺斗。苔を穿ちて文字幽也。

・・・

・・・

「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行


五月四日(陽暦六月二十日) 岩沼に武隈の二木の松を見て、夕方仙台にはいった芭蕉は、
画工加右衛門と知合いになり、宮城野の歌枕を案内してもらったが、
その上、仙台を立つ前夜には 「ほし飯一袋、わらぢ二足」をもらった。

折から端午の節旬なので、家々の軒には無病息災を祈ってあやめ草がかざしてある。
私は紺の染緒の草鞋をもらったので、この草鞋の緒を結んで、前途の無事を祈りながら旅立つことにしよう、の意。
「あやめ草」は、端午の節句に風呂に浮かべる菖蒲のことで、花菖蒲の類ではない。
「紺の染緒」はマムシがきらって寄りつかないという。いずれも無事を祈るという点で共通性がある。

 

・・・


・・・

「芭蕉物語」  麻生磯次 新潮社 昭和50年発行


あやめ草足に結ばん草鞋の緒

「あやめ」は花菖蒲やはなあやめではなく、端午の節句に軒端にふいたり、しょうぶ湯にしたりする菖蒲である。
花の色は黄緑色であって紺色ではない。
葉に芳香がある。
折から端午の節句なので、家々では軒端に菖蒲をふいている。
自分は住むに家もなく、行雲流水の身であるから、いただいた草鞋の紺の染緒に菖蒲を結んで、邪気を払い、
道中の平安を祈ることにしましょう、といって感謝の気持をあらわしたのである。

芭蕉は加右衛門に会えたのが何よりも嬉しかった。
芭蕉は日光の宿で仏五左衛門という無知無分別な人に接して感銘したが、この加右衛門も朴訥な人柄であった。
紺の染緒のついた草鞋だの干飯だの海苔だのを持参し、これから行く先々の名を絵にかいて贈ってくれたりした。
価にしたら何ほどの品物でもなかったが、真情がこもっているので有難かった。

・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マンガ絵ぶたまつり」

2024年08月11日 | 無くなったもの

場所・岡山県高梁市川上町地頭
最終回・2024年8月10日
撮影日・2014年8月23日

・・・

・・・


漫画の町・川上町で毎年開催されていた「マンガ絵ぶた」が中止になるそうだ。
今朝の新聞に載っている。

・・・

2024年8月11日「山陽新聞」社会面
絵ぶた 最後の夏
高梁でまつり 高齢化、作りて減

「マンガ絵ぶたまつり」(実行委主催)が10日、高梁市内であった。
地元住民団体の力作が夏の宵を彩る、旧岡山県川上町時代の1995年に始まった人気イベントは
製作メンバーの減少で今年で幕を閉じることが決まっており、関係者に惜しまれながらフィナーレを飾った。

青森県の「ねぶた」を模した絵ぶたは高さ3~4Mで、木や針金の骨組みに和紙を貼り、
表面に描いた絵を内側からライトで照らしている。 
”ラストイヤー" は会場のマンガ絵ぶた公園一帯に「名探偵コナン」や「ドラえもん」など6基が登場し、
観衆から大きな拍手が起きた。
まつりは旧川上町の商工会員を中心に創設。
しかし、近年は住民の高齢化で絵ぶたの作り手が減り、実行委が来年以降の開催は困難と判断した。
山本弘修委員長(66)は「長年続けられたのは地域の誇り。
皆さんの記憶にとどめてもらえればうれしい」と感慨を込め た。(小川正貴)

・・・

一度しか見に行ってないが、

「まんが絵ぶた」は楽しいイベントだった。

 

 

まず人が楽しい。川上町の人々が歓迎してくれる。

会場が楽しい。絵ぶた広場は大観衆だが混まない。

絵ぶたが楽しい。東の青森、西の川上町(←ほめ過ぎか?)、とにかく楽しい。

 

 

 

大迫力の「絵ぶた」が眼前で見える。

 

 

 

パレードが終わったら成羽川に花火が打ち上げられる。

 

 

 

川上町出身の歌手・葛城ユキさんも2年前に亡くなった。

 

(この年は8/9が大雨のため順延された)

 

・・・

「絵ぶた」が中止になってしまうと、川上町の存在感がさみしくなる。

こういう事が日本全国の地方都市で起きていると、つくづく感じる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「奥の細道」笠島はいづこ五月のぬかり道   (宮城県笠島)

2024年08月11日 | 旅と文学(奥の細道)

西行法師も訪れ、一句を残している笠島。
雨とぬかり道で、ここまで来ながら、笠島を断念した芭蕉。
その芭蕉の残念さが、読むこちら側まで伝わってくる。

 

・・・

「芭蕉物語」  麻生磯次 新潮社 昭和50年発行


笠嶋やいづこ五月のぬかり道

中将実方の塚のある笠島はどの辺だろう。
ぜひ行って見たいと思うのだが、このぬかり道ではどうにもならない、
残念なことであるというのである。
「笠嶋や」は後になって「笠嶋は」と改めた。 
「や」 も「いづこ」も疑問の意があり、それが重なり過ぎて、旬が重くなる。
それに「笠嶋や」ではせせこましい感じであるが、
「は」とすると何となくおおらかで余韻があるように思われたのである。

この句にはさまざまな感慨がふくめられていた。
その一つは藤中将の塚をどうしても訪ねてみたいという懐古的な気持である。
もう一つはぬかり道をとぼとぼと歩いて疲れきった現実の気持である。 
この二つの入り乱れた気持をユーモラスな気持でかぶせているのである。 

・・・

旅の場所・宮城県宮城郡  
旅の日・2019年6月29日              
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

・・・


・・・

「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行

笠嶋はいづこさ月のぬかり道

五月四日(陽暦六月二十日)陸奥国名取郡増田(いま宮城県名取市)のあたりで、
笠島を訪ねたかったけれども、
「此の比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過ぐる」
に際して詠んだ句。
「笠島」は藤原実方の塚や道祖神社、西行ゆかりのかたみの薄のある村里で、
芭蕉は是非とも行ってみたいと思っていた。
しかし、折から五月雨(梅雨) の季節で、ぬかる悪路、それに疲れてもいるので、
どの辺が笠島なのだろうかと、遙かに見やるだけで通り過ぎた。

・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする