句から想像すると、奥羽山脈の山中に「ポツンと一軒家」。
芭蕉が一宿を借りたのは、農具も家畜も麦藁もいっしょになった農家の片すみに寝た。
そんなイメージだが、
県道沿いの便利な場所。
農家ではあるが大きな庄屋さん。
一宿ではなく、雨のため三日間逗留した。
今は旧有路家住宅(封人の家)という山形県の観光地となっている。
住宅は江戸初期のもので、昭和40年代に解体復元された。
土間には木造の馬がいて、
囲炉裏には本物の火が燃え、芭蕉の時代を偲ぶことができる。
県道の向かい側が駐車場で、
土産店やそば店があり、ドライバーたちの休憩所となっている。
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旅の場所・山形県最上郡
旅の日・2019年6月30日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行
蚤虱馬の尿する枕もと
五月十五日(陽暦七月一日)芭蕉は
尿前の関を越えて出羽国に入り、堺田到着、
「封人の家を見かけて舎を求」めた。
「封人の家」とは、辺境を守る家のことで、
当地で代々庄屋を世襲してきた有路家のことである。
この夜の感懐を託したのが、「蚤風..」 の一句である。
季語は「蚤」で夏六月。
馬小屋にでも泊めてもらったように思われる句であるが、そうではない。
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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行
●封人の家(旧有路家住宅)
芭蕉も深沢、大深沢という難所に苦しみながら中山越を果たし出羽街道を出羽国へと入ってきた。
そして、日が暮れたために宿を求めたのがこの封人の家である。
「封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」と、
芭蕉は書いているから、二~三日、雨のために滞在したことがわかる。
その折の句が「蚤虱馬の尿する枕もと」。
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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎 筑摩書房 2022年発行
蚤虱馬の尿する枕もと
『おくのほそ道』の旅は、すべて風雅というわけではなかった。
尿前の関をすぎて出羽の国へ越えようとすると、関所の番人に怪しまれて、ようやく関を越えることができた。
さらに山を登っていくうちに日が暮れて、国境の役人の家を見かけて泊めてもらった。
この家は堺田にある旧有路家住宅・封人の家で、一般公開されている。
堺田は馬の産地であり、大切な馬は母屋のなかで飼われていた。
芭蕉は奥の座敷に泊まったが、入り口の脇にいた馬が小便をする音が家中に響いてきた。
さんざんなめにあった。
馬の排泄音が枕もとでした
おまけに蚤がいるわ虱はいるわで、さんざんなめにあった。
尿と書いてバリと読ませる。
ここに尿の句をもってき たのは、「尿前の関」という地名からの連想で、芭蕉のつくり話。
読者が思わず笑ってしまい、「いやはや、大変なめにあったんだなあ」と同情するシー ンは紀行や歌仙に欠かせない。
有路家は江戸時代初期の建築で、国境を守る役人をしていた庄屋である。
寄せ棟造り広間型民家で、役場と自宅と宿を兼ねており、入ってすぐの土間に馬小屋がある。
芭蕉の句から連想されるような貧家ではない。
『おくのほそ道』の旅で、芭蕉が泊まった宿がそのままの形で残っているのはここだけであり、
史跡「封人の家」として、観光スポットとなっている。
家の前は観光バスが止まり、土産物屋や食堂が並んでいる。
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書いていて気が付いたが、
ノミもシラミもすっかり見なくなった。
この句を若い人に教える先生は、
人間の身体にまとわりつく小生物の説明から始めなければならない。(難儀な時代だ?、それともいい時代?)
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