この東北旅行の時は天気に恵まれなかった。
しかし、中尊寺の濡れた参道を歩いているとき薄日が差した。
この旅行中で、初めて光と地面に影ができた。
この日は6月30日で、
芭蕉と曾良が中尊寺を訪れた旧暦五月十二日と一日違い。
何か芭蕉が歩き見た中尊寺と同じように感じ、
幸運を感じながら光堂を拝観した。
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旅の場所・岩手県西磐井郡平泉町 ” 世界遺産” 中尊寺
旅の日・2019年6月30日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
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「奥の細道の旅」 講談社 1989年発行
兼て耳驚かしたる二堂開帳す。
経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、
三尊の仏を安置す。
七宝散りうせて、珠扉風にやぶれ、
金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢と成るべきを、
四面新に囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎ、暫時千歳の記念とはなれり。
五月雨の降りのこしてや光堂
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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎 筑摩書房 2022年発行
五月雨の降のこしてや光堂
芭蕉は平泉で、二堂、中尊寺の光堂 (金色堂)と経堂(経蔵)へ参拝した。
「経堂は三将の像を残し、光堂は藤原三代の棺を納め、三尊仏を安置している」とあるが、
経堂には三将(清衡、基衡、秀衡)の像はなく、「三将の経」(藤原氏三代の奉納した一切経)がある。
文珠菩薩、優塡王、 善哉童子の像があるので、それを三将の像と思いちがえたか。
光堂の三尊の仏は阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩)である。
なにぶん芭蕉の実地取材は二時間しかなかった。
「四面新に囲て」は光堂を覆う鞘堂のことで、鎌倉時代、南北朝末に作られた。
光堂は、柱から床まですべてが黄金である。
光堂は黄金装置であり、黄金の内面が死であることを思いあわせれば、光堂は無常の棺である。
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