北前船や最上川の舟運で繁栄する酒田。
芭蕉と曾良は医師・不玉の家を宿として、12日間のくつろいだ日々を過ごした。
「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行
朝食をすませて象潟を出発した。
道中あゆ風がそよそよと吹いて来て、山も海も爽快であった。
この日は一気に十一里の道を歩いて、夕方酒田に到着した。
十九日も快晴であった。
明日は寺島彦助が江戸に旅立つというので、芭蕉は杉風や鳴海の寂照や越人宛の手紙をしたため、
曽良は杉風や深川長政宛の手紙を書いて、彦助に託した。
伊東玄順は象潟から帰って来た芭蕉たちを誘って、最上川で舟遊びを催した。
舟は河口から袖の浦に出て、眺望をほしいままにした。
あつみ山や吹浦かけて夕すぐみ 芭蕉
・・・
旅の場所・山形県酒田市落野目
旅の日・2022年7月11日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
・・・
温海山(温海岳)は酒田の南約十里、それほど高い山ではないが、海岸に近いので遠方からもよく見える。
吹浦は酒田の北方六里、
象潟への往復に通ったところで、往きには強風に吹きつけられ豪雨に襲われて印象に残ったところである。
「あつみ山や吹浦かけて」は温海山から吹浦へかけて、ずうっと見渡しての意味である。
「や」は詠嘆の切字ではなく、わざと字余りにして距離の感じを出したのである。
あつみ山には「熱い」「暑い」の意があり、
「吹浦」には熱いものを吹く意をきかせ、そして「涼しくする」という縁語仕立の句であるが、
その技巧がほとんど目立たないくらいに、景色の中にとけこんでいる。
温海山から吹浦にかけて眺望をほしいままにして、自分は今夕涼みをしている。
北国の海のひろびろとした景色をひとりじめにして涼味を満喫する快適な気分を端的に打ち出したのである。
この晩、不玉亭で芭蕉のこの句を立句にして歌仙が催された。
・・・
「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎 筑摩書房 2022年発行
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
最上川河口の袖の浦に漕ぎ出しての夕涼み。
吹浦という地名にかけての略。
酒田には酒田三十六人衆とよばれる自治組織があり「西の堺、東の酒田」とよばれるほ 栄えて、俳諧が盛んであった。
酒田には実質九日間滞在して、廻船問屋らに招かれて句会をした。
この句を詠んだのは寺島彦助の家で、酒田港浦役人をしていた人だ。
酒田市役所の近くに寺島邸跡の標識が立っている。
酒田には伊東玄順という医者がいて、俳号を不玉という。 不玉のもとへは大淀三千風が訪れていた。
不玉は清風とも親しく、玄順は幕府役人である。
仙台を経てから、芭蕉が歩くさきざきは、ほとんどすべてを三千風が訪れている。
・・・
・・・
発句会を開いた廻船問屋・鐙屋(あぶみや)は、西鶴 の「 日本永代蔵 」に登場する豪商だった。
2022.7.11は改修工事中。
・・・
「海の交流」 中国地方総合文化センター 2012年発行
瑞賢は、
最上川の舟運を利用して城米を酒田に運び、そこから廻船に積み換えて海路をとった。
これが西廻り航路で、途中の寄港地に選ばれたのは、
佐渡の小木、能登の福浦、但馬の柴山、石見の温泉津、長門の下関、摂津の大坂、
紀伊の大島、伊勢の方座、志摩の安乗、伊豆の下田である。
そこに番所を設けて手代を配置し、航路安全を図った。
大型廻船は塩飽船が丈夫で最も多く採用された。
船も塩飽水夫も高く評価された。
・・・