しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

シトラスパーク瀬戸田

2020年12月27日 | 無くなったもの
場所・広島県尾道市瀬戸田町
無くなった日時・2016年休園
撮影日・2013.4.9

大きなミカンが玄関口に置いてあった、シトラスパーク。
園内はミカン畑も建物内も柑橘類のいい香りがただよっていた。





今思えば不思議なようだが、あの頃(尾道~今治間架橋工事)
島に公営や半公営のゾート関連施設が続出していた。

向島に洋ランセンター。
因島にフラワーセンターと水軍城。
生口島にシトラスパークと平山郁夫美術館。

洋ランセンターとフラワーセンターは縮小と無料化、シトラスパークは休園。
「しまなみ」は今、熱気は過ぎ去り生活道路になったように感じる。





シトラスパークは休園したが、
世界の柑橘類を集めた公園当時から、見晴らしがいいことが突出していた。

伯方島を目の前にして、ほかの芸予諸島の眺めもすばらしい。
春の桜は、一層素晴らしい。



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能美海上ロッジ(国民宿舎)

2020年12月27日 | 無くなったもの
場所・広島県江田島市能美町 国民宿舎・能美海上ロッジ
無くなった日時・2017年4月休館
撮影日・2013.1.15


能美海上ロッジは恰好よかった。
ホテルが海に飛び出し、海の上に部屋があった。





それに敷地内に温泉施設があった。
遠いので(広島からは船、呉からは車)なかなか行けないのが残念だった。

建物が老朽化で休館したが、新しい施設は計画通りには建設がすすんでないようだ。






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神原酒造

2020年12月27日 | 無くなったもの
場所・広島県福山市大門町 
無くなった日時・2018年頃(解体後住宅化)
撮影日・2015.9.7


重厚な醸造工場や倉庫だったが、2~3年前に解体した。

現在跡地に一般住宅が建っている。





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井立池

2020年12月27日 | 無くなったもの(笠岡市)
場所・笠岡市走出 
無くなる日時・2021年より水面に太陽光パネル設置
撮影日・2020.6.16


井立池も湖面が消える。







来年にはソーラーパネルを浮かべる。
既に工事業者が決まっているので、この眺めも2020年が見納め。






十一番町の遊水地、尾坂池、岩野池、木ノ目池が太陽光設置済。

景観の喪失が惜しい。


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初めてトルコ風呂に行く

2020年12月24日 | 初めてのこと
初めてトルコ風呂に行く


トルコ風呂は学生では入れなかった。
お金が高いので。

卒業して社会人になって、トルコ風呂に行った。
広島市の薬研堀はトルコ風呂街だった。
トルコ風呂が20~30店並んでいた。

お店に入ると料金を払い待合室へ行く。
待合室には男性が3~5名ほどいる。
同じ会社の人がいないことをまず確認する。
この部屋で待つ間というのが長く、かつまたぐっちょん(居心地)が非常に悪い。
目的が目的だから。

やっと自分の番になる。
女性が三つ指をついて「どうぞ」と言われて、二人いっしょに待合室を出る。

せまい通路を歩いて個室に入る。
個室は和室で、女性は脱いだ着物をドアの窓を隠すように吊る。
男性がイスに座ると洗う、マットでも泡で洗う。

「おスぺ」というのが人気があった。
人気があったが、料金も高かった。
13.000円くらいしていた。

給料の手取りが30.000円程度だったから、月に一度しかいけない。
でも、行ったことを職場でわいわい言い合い楽しめる時代だった。



 
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初めて銭湯に行く

2020年12月24日 | 初めてのこと
初めて銭湯に行く


四国の松山市の学生寮に入って2~3日目、「銭湯へ行こう」という話になった。
その時、「せんとう」という言葉を知らなかった。

なんだろう「せんとう」って?
話の様子から風呂屋のようだった。

寮生3~4人いっしょに、歩いて風呂屋に行った。
のれんをくぐると番台に料金を置く。

入浴料は24円だった。
その当時、松山市の路面電車の料金が25円だった。電車賃より1円安かった。

入ってからは、人がすることを見て真似をした。
服を脱ぐ。
浴室に入る。
身体に湯をかける。
浴槽に浸かる。
浴室から出ると、ラムネや牛乳を飲む人もいる。
服を着る。
帰る。
こうゆう感じだった。

松山市には銭湯が多かった。
2年生になって、ちょっと大きな銭湯にも行くようになった。
大きな銭湯は3~4円ほど料金が高かったが、浴槽は大きく、何かと設備もよかった。

3年生になるころは、道後温泉に行くようになった。
道後温泉は料金が40円した。
2階の広間でくつろぐ料金は200円だった。
そのランクよりも上の風呂に入ることもあった。
贅沢とはいえ、道後温泉の料金は安かった。

松山市は田舎町だったが、銭湯と温泉には恵まれたところだった。


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戦中・戦後の学校変遷(笠岡商業・笠岡女学校)

2020年12月24日 | 城見小・他校
戦中・戦後の学校変遷(笠岡商業・笠岡女学校)


明治以来、何度かの学生改革はあったが、戦後のGHQによる体系の変更は大きい。「複線型教育」から「単線型教育」の「6.3.3.4制」になった。
生活貧困・物資不足と混乱の時代に学校の制度は変わった。


笠岡商業学校と笠岡高等女学校の戦中・戦後をみる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下記より転記。

笠岡商業 「笠岡商業創立90周年記念誌」  平成3年発行
笠岡高等女学校 「笠岡高校70年史」 笠岡高等学校・編集部  凸版印刷  昭和47年発行
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笠岡商業学校

昭和19年4月1日 工業学校に転換、校名を「笠岡工業」とする。
昭和20年3月28日 戦時特別措置として4年制度になる。
(終戦後)
昭和21年4月1日 商業学校と工業学校を併置。
昭和22年4月1日 学生改革により1年生の募集停止。
昭和23年4月1日 岡山県立笠岡第一高等学校と改称。商業・工業・普通の3科。定時制商業化も併設。
昭和24年9月1日 笠岡第二高等学校と合併して笠岡高校と改称。吸江校舎、千鳥校舎の二校舎とする。
昭和25年4月1日 商業・機械の2課程を置き、定時制商業化を併置する。男女共学になる。
昭和28年4月1日 吸江舎・千鳥校舎を分離独立して、岡山県立笠岡商工高等学校と改称。
昭和36年4月1日 工業課程を分離して岡山県立笠岡商業高等学校と改称する。




笠岡高等女学校

(終戦後)
昭和23年4月1日 学生改革により、笠岡第二高等学校として発足。
昭和24年3月16日 旧制高等女学校の最後の卒業式を行う。
    9月1日 笠岡第一高等学校と統合、笠岡高校千鳥校舎。組合立笠岡高等学校を併設(←定時制)
昭和28年4月1日 独立校となる、「岡山県立笠岡高等学校」。
昭和35年3月31日 併設の笠岡市立笠岡高等学校廃止。



笠岡女学校・和20年卒手記  (O子)

昭和19年6月、私たち4年生にも動員令が下った。
昭和20年の新年を迎えたころから、敵機の襲来の数が増した。
がんばっている私たちに、予想もしなかったショック的な知らせが報じられた。
それは4年生で学校の終了課程を終えるということだった。
仕事をしながらも、書物をひもとき、友だち同志で研究はしあっていたけれでも、
もう一度、千鳥ケ丘の教室で勉強したいと思った。
もう少し、女学生生活を明るく楽しいものにしたかったと願ったが、それは時世的にもゆるされなかった。
万寿工場の川べりの柳の芽がふくらみかけた昭和20年3月31日、
動員生徒の合同卒業式が、三菱重工業水島製作所の講堂で行われた。


(昭和20年3月31日 笠岡高等女学校の4年生と5年生が同時に卒業した)




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なお、本記事とは関係ないが

笠岡市は「成人式を」令和3年は新型コロナウイルスのため来年に延期して、
令和4年1月に2年ぶんの成人式を開催する。合同でなく、日にちは少しずらすそうだ。



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RiM-f(リム・ふくやま)

2020年12月24日 | 無くなったもの
場所・広島県福山市西町
無くなった日時・2020年8月30日(閉店)
撮影日・2018.10.27


閉店が恒例化しているような元そごう福山店。

そごう→天満屋ロッツ→リム・ふくやま→2021年から1Fのみ使用計画






豪華なエントランス。






建物の所有者は福山市で、市がにぎわいを計画しているが、いい案がでない。


駅に近いのだが、

「駅前」でなく「駅横」というイメージが強い。場所がいまいち感がある。



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西大島新田堤防の常夜灯

2020年12月24日 | 無くなったもの(笠岡市)
場所・笠岡市西大島新田
復元工事・2020年(高潮対策工事のため仮移転後同じ場所に復元)
撮影日・2012年頃(調査中)


西大島新田の潮止堤防の金崎橋側に常夜灯がある。

海を臨んで風光明媚で、印象深い常夜灯。








2019年から2020年にかけて高潮対策工事のため、いったん100mほど離れた場所に解体移動した。

2020年12月に常夜灯の復元工事は完了したが、
老朽か風化のため工事前とはずいぶん変わった感じがした。






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紀元二千六百年記念行事(笠岡商・笠岡高女・笠岡男女校・大井校)

2020年12月23日 | 城見小・他校
紀元2600年記念式典


笠岡商業 「笠岡商業創立90周年記念誌」  平成3年発行


昭和15年11月10日 紀元二千六百年記念式典を行う。
         式後全校旗行列を挙行する。
         記念事業として大井村に二段三畝の造林を行う





笠岡高等女学校 「笠岡高校70年史」 笠岡高等学校・編集部  凸版印刷  昭和47年発行

同窓会館建設「千鳥会紀元2.600年記念事業と合流して同窓会館建設を決定した」



千鳥会館の落成




(千鳥2600年奉祝号)


橿原神宮建国奉仕隊に参加して

 紀元2600年記念橿原宮聖域拡張工事は、去る11月26日めでたく終了した。
其の間本校は6月10日学校長引率下に4年生の諸氏が同校代表として奉仕隊に参加され、
その目覚ましい活躍ぶりは当時新聞にも写真入りで特筆大書された程であった。
各地からの代表5600人は「ああ緑濃き橋原の・・・」と畝傍山にこだまする勇壮な建国奉仕隊の歌に合わせ乍ら、
知るも知らぬも諸共に、只だ日本人なるが故に、聖業への奉仕のために一つに融け合い、寒気も忘れて黙々と作業を続けた。
(千鳥2600年奉祝号 S教諭)





笠岡男子校・女子校 「笠岡小学校百年誌」 笠岡小学校編 昭和48年発行

昭和15.2.6 伊勢神宮参拝旅行出発(9日帰笠) 
   6.19 紀元2600年奉祝銃後奉公祈誓式(笠神社)
   11.5 紀元2600年奉祝小田郡南部児童体育会参加 尋5以上(笠商)
   11.10 紀元2600年式典参加(古城山)






大井国民学校
 
「大井小学校誌」 大井小学校 山陽印刷 昭和52年発行

(記載なし)





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