大分市美術館で開催中の、
会場への案内看板
「ディヴァン・ジャポネ」1893年
こちらは、「エスタンブ・モデルヌ」
デパート「プランタン」1884年
パリ5区 サン・セヴラン通り 1899年
シャルル・ドゥードレ 女城主 1897年10月号
美術館の外は抜けるような青空!
まだ紹介したいものがあるのですが、
「ロートレックとベル・エポックの巴里ー1900年」へ行ってきました。
会場への案内看板
まずはロートレックのこの作品、
「ディヴァン・ジャポネ」1893年
ディヴァン・ジャポネ(日本の長椅子)という名前の音楽喫茶の開店案内ポスターです。
中央の黒いドレスの人は、ロートレックお気に入りの、踊り子のジャヌ・アヴリル
当時は、この店名が示すように、ジャポニズムがもてはやされていて、
ロートレックも大きく影響を受けていたそうです。
ロートレックの人となりはさて置き、
ベル・エポックとは、美しき時代、良き時代という意味だそうですが、
パリが「花の都」「芸術の都」として輝きを放った、19世紀から20世紀初頭ことです。
美術品も、一部の裕福な人だけのものではなく、誰もが楽しめるようになった時代です。
マルセル・ランデ嬢の胸像
1895年
会場では
ロートレック、ミュシャ、ジュール・シェレ、ドガ始め、300余点の多くの作品が見られます。
もちろん説明も何もおぼつかないですが、、
こちらは、「エスタンブ・モデルヌ」
が飾られた空間です。
「エスタンブ・モデルヌ」は
当時(1897-1899)領布された月刊誌です。
表紙の装丁デザインをアルフォンヌ・ミュシャが担当、全100点展示されています。
美術作品が定期的に提供され、
誰もが作品に触れ、収集して楽しむことができるようになり、これもベル・エポックということでしょう。
個人的に、ミュシャの絵はやっぱり魅力的だと感じます。
会場でもいくつか見られましたが、
一つだけ、
面白いと思った物を紹介します。
これはなんだと思いますか、
実は、額の中に缶が収められているのですが、
ビスケットの缶です。
1900年のパリ万国博覧会場で販売された物です。
ミュシャは依頼されて、
10種類の石版画を描き、
ビスケットは爆発的に売れたそうです。
上の額の三枚は、未使用だそうです。
私も、こんな素敵な缶に入ったビスケットなら迷わず買うと思います。
もうここまでで読み疲れていませんか、
何しろ、300点以上ありますので、
私の気持ちも、早くも
ロートレックからは離れてきています😅
アルマン・ボワン 黄金伝説 1897年9月号
会場にパリの写真も展示されて、
当時の様子が伺えます。
デパート「プランタン」1884年
パリ5区 サン・セヴラン通り 1899年
こちらもお見逃しなきよう、
シャルル・ドゥードレ 女城主 1897年10月号
美術館の外は抜けるような青空!
まだ紹介したいものがあるのですが、
一休み、
明日へ続きます。