きのうは北斎の作品を見ましたが、
東海道五拾三次之内 原朝之冨士
蒲原夜之雪
舞坂今切真景
東海道風景図絵 1851
冨士見百図 1859
名所江戸百景 八ッ見のはし 1856
きょうは広重の作品を見ていきたいと思います。
東海道五拾三次之内 原朝之冨士
蒲原夜之雪
舞坂今切真景
北斎が「冨嶽三十六景」を書き終えた後、
広重は「東海道五拾三次之内」を30代で描き始めています。
北斎は1760年、広重は1797年生まれです。
北斎は90の長寿でしたが、
広重は62歳でなくなっています。
【北斎の没後、
広重は「不二三十六景」「冨士三十六景」を制作、北斎の「脚色した風景」ではなく、
「見た風景そのまま」を描きました。
北斎を意識したことは間違いなく、対抗心もあったことでしょう。】
これは解説から導いた物で、
私の知識ではありません。
私が思うに、
対抗心はあったにせよ、シラミがわいても構わない北斎と、居住まいのきちんとした広重では、元々個性の違いを感じずにはいられません。
それは否応なく絵にも現れる物だと思います。
会場にはこの他にも、
北斎と広重を比べる物がありましたが、
それは絵の本質ではないと感じました。
もちろんそのように比べることに異議があるわけではなく、ただの感想です。
東海道風景図絵 1851
東海道の各宿場の風景を描いた版本
冨士見百図 1859
波の表現も北斎と広重では自ずと異なります。
名所江戸百景 八ッ見のはし 1856
安藤家に残されていた遺品のうち
袂落とし(財布)と煙草入れ
会場で撮影することができましたので、帰ってからじっくり作品の解説を見たりして、
好きな絵を載せることができました。
北斎と広重、
偉大な二人の絵師の、
数多くの作品を見ることができたのは幸せでした。
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