徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

闘将の生き方

2009-08-05 07:12:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
<僕は間違ったんです。
随分失礼な物言いをしてしまってたくさんの人を傷つけてしまって。(中略)
僕は悪いことはきちんと謝りたかった、考えを改めた自分の
ことも出来る限りみんなに伝えておきたかった。>
戸田和幸オフィシャルブログ 8月4日付

戸田和幸のブログに、一部の清水のサポーターがちょっとどうかと思うようなコメントを寄せているようで、戸田が反論している。そんなことを正直に答えることはないと思うのだが、そのあたりが愛すべきバカである戸田らしい。

<埼スタのゲーム後、戸田さんがたったひとりピッチに残ってスタンドを見上げたり、ゆっくりと歩きながらロッカーへ戻っていきましたが、何か「特別な思い」でもあったのでしょうか? その後コメントを読むこともなかったので、彼の「思い」の真意を知りたいんですが…。>(Sの極み 2004年11月9日付)

もう4年前のことなので書いてしまうが、この質問を「Sの極み」に送ったのはオレだ。調査報告のコーナーで戸田が答えてくれている。
2002年のワールドカップ前後から2004年をピークに清水エスパルスというクラブにかつてないほどの閉塞感が漂っていたのは事実で、それが「瞳はレッドダイアモンド」の珍言を土産に浦和入りした三都主とかいうバカの離脱(元キャプテンの、この無神経ぶりに悔し涙を流したね、オレ)や、この時期の戸田の苛立ちにも似たプレイに象徴されていたと思う。
いつの頃からかクリーンなサッカーを標榜している清水にとって、ファイトするタイプの戸田は嫌われることも少なくないわけだが、オレは彼のプレイが好きだった。彼は清水に足りないものを確実に持っていたと思うから。
ただしチームの閉塞感が戸田のネガティブなイメージを増幅させてしまう。プレイ以外でも過去に監督とも衝突したこともある、無骨で主張の強い戸田は、ことさら突出することを避け、和を貴ぶ静岡人にとっては異質に感じられたのかもしれない(もちろんテクニカルなプレイを好む多くのサポーターにとって、ハード・アタックを繰り返す戸田のスタイルが「美しくない」と映ったのかもしれない)。しかし、闘うチームにはやっぱり闘将が必要なのよ。今、岩下が台頭しつつあるように。
ただ、あの頃の清水は戸田を生かし切れなかった。

オレが不安に思って質問を送ったその年に、やっぱり戸田はチームを離れた。
彼はその後空回りを続け、ネタのように降格請負人になってしまった。やはり彼は間違ってしまったのかもしれない。でも、それでいいじゃないかと思う。それが戸田らしい。ああいうスタイルや生き方を嫌う人もいるかもしれないが、愛している人も同じぐらいいるはずだ。
そして入れ替わるように監督に就任した長谷川健太によって清水エスパルスは破壊され、美しく甦ったのである。それは、ほとんどギャンブルに近い賭けだったけれども、おそらく閉塞感を打破して欲しいと望んでいたサポーターと共に、もしかしたら戸田も望んでいたことなのかもしれないと思っている。
そして、その賭けにはほとんど勝ったと思う。

オレは清水を良い思い出として懐かしみ、今も気にかける戸田の存在を誇らしく、嬉しく思うし、嫌う理由などひとつもない。むしろ不完全燃焼のまま清水を去らざるを得なくなった戸田を気の毒に思うぐらいだ。清水エスパルスに関わったプレーヤーには幸福な選手人生を送ってもらいたい。

あ、でも論外の三都主と、意味不明の移籍をした和道は嫌ってますよ、はっきし言って。