徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

変わるということは終わるということではない、とか

2009-08-07 13:27:34 | News
のりぴーの件、何だか大方の予想通りの展開になっているわけですが。

人生は変わってしまうかもしれないけれども、それで終わるわけじゃない。
変わらずに、何かを続けていく人生は尊いが、時に人は変わることもできるから(変わらざるを得ない場合もある)生きていける。変わることを許してくれない人生やそんな不寛容な社会や人間関係は、とっても息苦しく、辛いものだ。
人間やめますかという例のアレは、個人の人生を社会が強制的に終わらせるような、ちょっと性質の悪いブラックジョークだと思う。

覚醒剤はそもそも非合法で、影響力の強いドラッグであり、彼女はただでさえちやほやされる元アイドルなのだから、容疑が事実ならば、のりぴー容疑者には辛い人生が待っている。ただ、オレを含め無責任なことを言うしかない一般大衆のためでなく、彼女を待っている誰かのために、彼女は人生を逃げるのではなく、人生を変える必要がある。
逃げるのならば、変えてから逃げればいいのである。
それにしても、のりぴーや押尾のアニキや大原麗子さんや裁判員制度や、いろんな意味でニュースの重なり具合が絶妙すぎるわけで、何らかの意図も感じたり感じなかったりするわけですが。あ、あと皆既日食とかも。

そして「もう、おまえは変わらなくてもいい」と言われた、ある男は開き直り、こう嘆く。

<死を受け入れる変わりに反省の心をすてました。死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。(原文ママ)>(熊谷4人拉致殺傷事件・尾形英紀 確定死刑囚からの手紙 FRIDAY 2009年8月14日号より ※青木理「絞首刑」(講談社)

実に荒涼としている。今、この男を抹殺することは被害者関係者の復讐心を満たす以外の社会的な意味はない。この男がいかに変わり、どう「終わる」かということにこそ、社会的な意味はある。