徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

コピー

2010-02-11 19:17:02 | LB中洲通信2004~2010
昼から始めた目次その他のコピー取り、ようやく終了。
途中インクが切れたので錦糸町のヨドバシに行ったついでに買ってきたコピー紙がスミベタに弱すぎマシンと相性悪すぎで紙詰まりまくり。安物はあかんね。
バックナンバーをツー・スリーに発送。

そろそろ大感謝号のアンケートのご回答も到着。

自由

2010-02-11 01:26:02 | Music
80年代RCでは「FEEL SO BAD」がやはり一番いい。
ダイレクトにレコーディングしただけあって、それまでどうしてもしっくり聴こえなかったサウンドもここではバランスがいいし、ゴツゴツしたライブ感があるし、清志郎の唯我独尊ぶりとRCのサウンドが一番クロスオーバーしている。
条件付きの自由なんて自由でもなんでもない。浮世には一片の自由などあるはずがなく、その不自由の中で自由を歌うということはこういうことで、まあ突きつけられた方からすれば歌ってることは無茶苦茶だろう。それがいい。
ファンからすればこの時期やタイマーズ時代なんてのは傍流扱いかもしれないけれども、本当は本領発揮じゃないかと思う。「FM東京」や「憧れの北朝鮮」を安易に弄んでいるような一部の連中に与するつもりなんてさらさらないけれども、やはり日本語のロックのある部分を託された人だったんだなあと思う。聖人君子だなんて思ってないから。
サラリーマンの歌を感動的に歌いながら、「やっぱりサラリーマンなんて駄目」発言している清志郎が好きなんだ。いい加減だぜ。

YOU THE ROCK★は次にこの曲をカヴァーすればいいよ。

(追記)
BLUEさんが「詩とファンタジー」(かまくら春秋社)の清志郎特集に関しての、読者の反応について書かれている。
でも、どうなんだろうなあ。70代、80代の人に清志郎って響くのかな。いや、一部分を切り取って彼は普遍なんです、というのはやはり入口としても、ちょっと無理があるような気がする。もちろん個人差はあるのだろうし、わかる人は何歳でもわかるだろうし、わからない人は何歳になってもわからない、ということを言い始めるとキリがないので世代というカタマリで考えた場合。
世代の断絶ってあるんじゃないかな。特に60年代を境にして。
わからないという“わかり方”もあると思うんすよ(治ちゃんっぽい)。
わかるところを無理やり探してわかったような気分になるのって「悪さしてるけど実はいい子なんですよ、私はわかってるんです」みたいな怪しい感じがしないでもない。それよりも「オレたちわかりあえないじゃん、ボス!(大家!)」みたい関係の方が、実はわかりあえないということがまず“わかりあえている”、という意味で、とても健康的な関係に思える。
要するにそれがロックじゃないかと思うのだな。

<また自分を顧みても、若者が反抗的なのは、しごく当然な事である。変に大人に迎合してくる若者なんか、僕は逆に信用しない。
“(解ったふりをする)”じじいになる前に、死んじまいたい”というのは、実に正しい。
 全ては“解らない”というところから始まるのではないだろうか。
 ロックンロールは、本来そういった少年少女の“解らない”というところから始まったものであると思う。解らないから解ろうとするのであって、そうするとそれは当然試行錯誤のくりかえしになる。それが、ある部分では、極端に反抗的に見えるときもある。
 反抗的である事は瑞々しい。輝いている。それが(以下自粛、いや略)>
(松村雄策『アビイ・ロードからの裏通り』ちくま文庫 「じじいにならずに生きていこう フー・アー・ユウ/ザ・フー」より)

今、松村さんがどんな“じじい”になっているのかはわからない。