家に帰って明太子ご飯食べて風呂入って仮眠した。
別にカーリング女子に合わせて起きたわけじゃないんですが。
原稿書くために起きたわけですが。
気分的には、
「べっ、別にカーリング観るために起きたわけじゃないんだからね!」
とか
「べっ、別にカーリング観るために仮眠したわけじゃないんだからね!」
AA貼りたいわけです…。
NHKの応援FAXとか観ると、つくづくネットって
カーリング女子(いわずもがな)とか
タモさん(タモさんは所謂“芸人”ではない)とか
鉄ヲタ(ヲタクの原点回帰、もしくは高齢層ヲタクの掘り起こし。もしかしてマーケティングかこれ)とか、
ゲーム性が強くて(ハードルが低くて間口が広い)
アマチュア風味で(共感しやすい、だから国母くんみたいになると逆効果)
萌えられるもの(やっぱしかわいいのがいい、特に女子)
がウケる。それしかウケないとも言える。
Jのサポカルチャーもそれにかなり近いけれども。
良くも悪くも、これを所謂、共有という。
共有できないもんは駄目。苦しい。
つながり強迫神経症と言い換えてもいい。
でも、それって、何かロックじゃねえなあ…。
まあ、近江谷さんが可愛いから、今はそれでもいい。
ついでに、2011年にテレビ終了とか言い続けてるくせにやっぱりテレビ観まくりじゃん、とか。
博多のネットカフェでも観まくりだったな…。
(追記)
ロシア戦ぐだぐだでも大逆転。
昼からはドイツ戦。
てか男子も中継しようよ…。
(さらに追記 2月24日)
カーリングは純粋ゲームで、芸術点とか飛形点とかいうわけのわからない採点基準がないからウケるのだろう。まあ本当にスポーツなのかどうかは微妙なところだが、フェアであることは間違いないのだから。
と、女子フィギュアを観ながら思う。