<それでは、どうして私は、そんな「関係ないもの」を、「こわい」と思っていたのでしょうか? それは、その「へんなもの」が崩壊しつつある既成の枠組の中から生まれて来るからです。彼等を支えているものは、もはや正常に機能していない--であるにもかかわらず、愚かな彼等は、そのことを自覚しない。
世界は崩壊しつつあって、私もその世界の片隅に“一員”として存在していて、そしてその崩壊しつつある世界は、醜悪な狂気のようなものをますます私の周りに生み出して行くだろう--そう思うことが、私の「こわい」の正体でした。それは、「これから自分の周囲には不愉快なこといがますます多く起こって、自分はますます生きにくくなって行くだろうな」と思うことと同じことです。(中略)
「代案のなさが世界を行き詰らせている」と私は思います。「代案がないままに、定員過剰の世界は発狂寸前になっているのかもしれないが、しかしそんなことと、自分の作り出そうとしているものとは、関係がない」と思います。関係がないからこそ、自分はその関係を作り出そうとして“創作”を繰り返して来たのだと思います。そして、その一事を踏まえて、私は、はっきりと、「あんな世界と自分は関係がない!」と思います。>
(橋本治『秋夜―小論集』中央公論社1994/「ある問いに対する答」より)
秋夜―小論集
<琵琶の音はいかが。完璧な歌舞伎役者・六世歌右衛門の絢爛、芥川や三島の作品に漂う大理石の色香を「不思議な作家」が自在に描く。><琵琶の音はいかが。完璧な歌舞伎役者・六世歌右衛門の絢爛、芥川や三島の作品に漂う大理石の色香を「不思議な作家」が自在に描く。秋の夜には古典がにあう。日本の伝統や文化、文学についての小論集。>
登録情報
単行本:285ページ
出版社:中央公論社 (1994/12)
ISBN-10:4120023915
ISBN-13:978-4120023910
発売日:1994/12
商品の寸法:19.8x13.2x2.4cm
<「こわいもの」というのは、まだあるのだろうか? 「幽霊の正体見たり枯尾花」という言葉があって、その事実がはっきりしていたにしても、暗い中で風に揺れるススキの穂を見定める勇気がなければ、まだ“幽霊”は存在する。「注意! 本当に怖い」というコピーのあった『セブン』という映画は、果たして“なに”によってこわくなりうるのか? 既に連続殺人事件というものがどういうものなのかは、『羊たちの沈黙』によって明らかになっている。それを踏まえた『セブン』が二番煎じの駄作にならないのだとしたら、その方向性は一つしかない。「自分達とは関係がない」と思って捜査に当たっていたブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの刑事二人が、なんらかの形で“当事者”にさせられてしまうということである。
それは、安全な境界に立って“恐怖”という刺激を求めるだけの傍観者=観客に対して、「あんただって安全ではいられない、あんただって共犯になりうる」という爆弾を投げることでしかない--「それ以外にはない」と、私は勝手に判断していたのだが、そしたらやっぱりそうだった。(中略)
『セブン』は、「これを“こわい”と言う人間は愚かだ」ということを告げる映画である。既にその輪郭が明らかにされている“恐怖”というものに対して、見世物的な興味で向かうのか。「それをなくしたい」という冷静さで立ち向かうのか、態度はもうはっきりしている。だから私は、「もうこわいものなんてないのに」と思う。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社2000「まだ『こわいもの』はあるのだろうか」より)
天使のウインク
<恐怖を克服しなくてなんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで。世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読し、“天使が目くばせするような”方向へ私たちを導くハシモトの問題作。><恐怖を克服しなくて、なんの人間か。酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで、世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読する。『中央公論』連載エッセイの単行本化。>
登録情報
単行本:302ページ
出版社:中央公論新社 (2000/04)
ISBN-10:4120030008
ISBN-13:978-4120030000
発売日:2000/04
商品の寸法:19.4x13.4x2.4 cm