18時から大手町の経団連会館前で抗議行動に参加。今回は満を持してといった感じの抗議対象だったためかコールにも力が入る(大声を出していれば出したい人たちが寄ってくるものである)。反原連の呼び掛けからあまり時間もなく、平日の夜というのに参加者は1300人にも上ったという。これは本当に素晴らしいと思う。
とはいえスピーカー3台(?)はバランスが悪いかなあという気もしないでもない。やっぱし、はっきり言って、どうしたって参加者の生の声に勝る“声”はないのだから、参加者の声を喚起させるような場作りは必要だろうと思うのだ――。こんな風に毎回、デモや抗議に参加するたびに注文を書き続けている(オレの場合、トラメガへの文句が多過ぎるけれども)。まあ、これで、文句をいいつつテメエが現場にも来ていない、声も出していないっていうのならば格好悪いが。
抗議の現場から持ち帰った“熱”はそれぞれが自己表現すべきで、それはアーティストならアートになるだろうし、ミュージシャンやバンドマンなら楽曲になり、デザイナーならばプラカードという形になるかもしれない。オレのようにライターの端くれならばこうやって、毎回現場で起こっていることや感じたことを文章にして書き続けるしかない。本当に、ただ、書き続けている。
公の場である抗議の現場で、私(ワタクシ)の手前勝手な“自己表現”は意味がないと思うし、はっきり言って否定的だけれども、現場を離れてひとりになったときにこそ、改めて自己表現(批評)は必要だと思うのだ。
今、六本木で開催しているチョーさんの個展もそういうものじゃないかと思って期待しているんだけれども。
Twitterでのツイートも含めてまったく、しがらみのない中で書いているので不快に思う人もいるのかもしれないけれども、それもまた事実の側面(時代の一面!)だと思っているので、まあ、ご容赦下さい。
店をあがった飲み屋の若い衆に、自転車の前カゴにプラカード入れて行けって言ったのにきっぱり断りやがった…。