徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

お断り/「ドグマ」

2012-10-11 07:36:21 | Movie/Theater
ドグマ
Dogma
1999年/アメリカ
監督:ケヴィン・スミス
出演:ベン・アフレック、マット・デイモン、リンダ・フィオレンティーノ、サルマ・ハエック、ジェイソン・リー、ジェイソン・ミューズ、アラン・リックマン、クリス・ロック、バッド・コート、ジョージ・カーリン、アラニス・モリセット
<「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」のマット・デイモンとベン・アフレックのコンビが、神に背いて地上界に追放された天使を演じるハチャメチャ・コメディ。デビュー作「クラークス」がサンダンス映画祭で評判となったケヴィン・スミス監督作品で、“キリスト教を冒涜している”として各地で上映禁止運動が起こった問題作。昔、神に背いたことから天界を追放になった2人の天使。1000年も地上で暮らしていた彼らに天界に戻れるチャンスが到来するが……。>(allcinema

しつこい冒頭の「お断り」はそれ自体がジョークになっているわけだが、確かにお断りは必要だろうなというぐらい、ど真ん中に宗教(カトリック)を据えたコミック・ファンタジー。「冒涜している」といえば、確かに冒涜はしているんだろうけれども、そもそもパロディやコメディや批評などというものは、ある程度「冒涜」に踏み込んでいなければ面白くはないもので、その意味ではキリスト教圏の懐の深さを感じられるような内容ではある(いや、もちろん“深くない人たち”もいるから上映禁止運動も起こるんだが)。
キリスト教の知識があった方が笑えるのは当然としても、台詞で「映画を観ないと(宗教や歴史を)勉強しない」と皮肉られているくらいなんだから、それほど詳しくなくても笑える(またアメリカ人は何で映画ばかり観ているんだというくらい、映画を皮肉った台詞も多い…メディアを宗教に喩えているのかもしれない)。まあ“笑い”ほど万国、万人共通に程遠いエンタテインメントもないので、わからないからと言って、無理に笑う必要もない。

天国を追放された堕天使が、ニュージャージーのカトリック教会の“新企画”を伝える新聞記事の切り抜きを何者からか受け取る。“新企画”とは、古臭く、誤解されがちなカトリック教会を“リニューアル”し、親しみやすいカトリック教会に生まれ変わるべく意図された「カトリック・ワォ!」なるイベント。磔された苦悶のキリストの十字架像は、より親しみやすい笑顔のバディ・キリスト像に、そして法王の特別措置として「教会の門(アーチ)をくぐればすべての罪は許される」という“企画”が立てられる。
天国への帰還を願う彼ら堕天使は、これを“抜け穴”に天使の羽を切り落とし、人間として死に、天国へ戻ろうとする。
しかし神により天国を追放された彼らが抜け穴を使って天国に戻ることは、神の過ちを立証すること。真理は崩壊し、世界は消滅してしまう(らしい)。
故にタイトルは内容に反して、重苦しく、「ドグマ(教義)」なのだった。
そして、世界の消滅を阻止する“十字軍”としてキリストの末裔と使徒、そして預言者が動き出す。

しかし、ここでおかしいのは堕天使が天国を追放されたという理由である。
神の怒りを代弁し、ソドムとゴモラで罪深き人々を殺戮し、ノアの方舟以外のものを洪水で押し流したという死の天使は、殺戮を止めた=神の意志に反したという理由で追放された。また彼らを追うキリストの末裔も神の不在=神も仏もありゃしない個人的な事情を抱えている。さらに彼女は「(教義の抜け道を見つけた)彼らは体制に勝った」とまで言う。
殺戮という残虐や個人的な試練よりも、ここでは神の意志=ドグマ(システム)の維持が優先される。
つまり個人的な状況や事情はともあれ、盲目的にシステムを維持する=善、神の意志、システムに反する=悪というアイロニカルな構図の中でストーリーが進行する。上映禁止運動をした方々がどういう意味でこの映画を“冒涜”と判断したのか、わからないのだけれども、むしろこの作品はそのまま観れば宗教賛歌ともいえるのだ。
堕天使をそそのかし、世界の消滅すら願う“悪”の黒幕はこういう。
「エアコン以上の快楽や罪があろうか…これこそ悪の権化」
個人の善悪を超えた、ドグマそのものの矛盾や理不尽をコメディにしているわけだ。

いや、まあ、ストーリーは徹底的に馬鹿馬鹿しくはあるんですが。

主役級に据えられているベン・アフレック、マット・デイモン目当てに、「ビルとテッド」風に想像して観ると、これはちょっとネガティブなコメントになってしまうのは仕方がないところ(このDVDのパッケージデザインはちといただけない。絶対に勘違いしてしまう)。確かにベンとマットの堕天使コンビがストーリーのキーを握っているものの、彼らはどちらかと言えばアラン・リックマン演じる大天使同様、狂言回しに近い役回りで、あくまでも主役はJCの末裔の設定であるリンダ・フィオレンティーノ。彼女を引きずり回す使徒、預言者グループにクリス・ロックが加わると、良くも悪くもドラマが安定するのはさすが。

荒業と感傷/「病院坂の首縊りの家」

2012-10-11 01:48:44 | Movie/Theater
病院坂の首縊りの家
1979年/東宝
監督:市川崑
原作:横溝正史
出演:石坂浩二、佐久間良子、桜田淳子、草刈正雄、あおい輝彦

CMで大野雄二先生の名曲「愛のテーマ」が放送されている。そこで久々に金田一シリーズを観たくなった…と思ったら「犬神家の一族」のソフトは手放してしまっていたので、「病院坂の首縊りの家」を観る。
この作品で市川崑は冒頭とラストシーンに横溝正史夫妻、中井貴恵の素人芝居をそのまんま、かなり長々と見せる、また数十年前の事件の原点を描いた再現シーンをそのまんま、能面のように真っ白に顔を塗りたくった佐久間良子、入江たか子に演じさせるという荒業をやってのける。特に後者などは無理があるのは承知でやっているのだろうけれども芸達者な豪華過ぎるキャストの中でこれは実に際立ってしまう。むしろ舞台劇のようなイメージなのか。

「金田一耕助最後の事件」という原作の設定のみならず、市川&石坂コンビによる金田一シリーズ最後(当時)の作品として、感傷的なシーンが少なくない。金田一による種明かしから犯人の最期までの流れは美しく感動的。シリーズを観続けて、この作品を観ればさらに感動も深まるだろうが、長大な原作を再構成した、尺を感じさせないジャジーな展開はもっと評価されてもいいんじゃないかと思う(個人的には「悪魔の手鞠唄」がシリーズベストだが)。桜田淳子の好演、草刈正雄の怪演、そして佐久間良子の妖艶も絶品。そして、やはりここでも観られる、70年代のピーターの軽やかさというのは素晴らしいです。

全編で流れるジャズ演奏が、「漣流」の取材でお世話になったピアニストの江草啓介さんだったのを改めて知った(本では裏取り取材になってしまって江草さん自身のことはほとんど触れられなかったのだけれども)。



しかし、他のブログでも書かれている方がいるけれども、DVDのパッケージデザインはちょっと酷いなあ(メインヴィジュアルのシーンは超重要シーンではあるのだけれども)…原作である角川文庫版の表紙は相変らず素晴らしいと思うのだが。