徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ダービーの意味

2012-10-12 07:28:34 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


<長谷川 本当に<静岡ダービー>を意識し始めたのは、監督になってからなんです。就任1年目の鹿児島キャンプでジュビロと練習試合をやって、2-7でボロボロに負けたんですよ。その時の印象が強くてですね。そこで改めて「ジュビロだけには」と思いましたね。
山本 やったなあ、そう言えば(笑)。
長谷川 そのあと各方面から散々たたかれて、「ダービーだけには負けられないぞ」と強く思うようになりました」>
(Jリーグサッカーキング 2012年11月号 激闘静岡ダービー「特別対談 長谷川健太×山本昌邦 静岡ダービーを再び日本の頂上決戦に」より)


遅まきながら「Jリーグサッカーキング」の静岡ダービー特集を読む。
対談での健太のこの発言を改めて読んでうすうす感じていたことがはっきりと見えてきた。90年代(というか第一次健太体制以前)のエスパルスに物足りなさを感じていたのはプレーヤー(クラブ)とサポーターとの距離感だった。
健太やノボリ世代の静岡のサッカー選手というのは、もうそれだけで圧倒的に日本のサッカーエリートで、それでいながらも身近な存在でもあった。静岡、特に清水在住者は、そもそも“サポーター”になる以前に健太やテル、ノボリのように小学生レベルから注目される“近所のスター”が存在していたわけだ。
Jリーグ以前から、静岡にはすべての“システム”が出来上がっていて、後援会というファンの視点はあったとしても、サポーターという思考、視点が入り込む余地はなかったのではないか(エスラップの件はひとまず置いておくとして)。何てったって、リーグ設立当初からビルバオ化していた清水は、他の地域ではあり得ないほど地元に根付いて、地域で支えられて、すでに自己完結していた。まあ、サポーター(ファン)は黙って見とけ、と。
だからと言って健太の発言の良し悪しを言っているわけではない。それがサッカー王国というものである。

99年前後から日韓ワールドカップ前までの短い黄金時代、そして2、3年の低迷期を経て、健太はクラブ、サポーターからかなり切迫感を持って監督に迎えられた。それは期待感というよりも「もう健太が監督ならJ2に落ちても諦める」「落ちるなら健太が落とせ」といった類の悲痛なもので、そこで初めて健太が「ダービー」を意識したというのは合点がいく。
ダービーを意識するということは、サポーターを意識するということでもある。ダービーというのはピッチ内で完結するものではなく、サポーターの戦いでもあるのだから。
特集では最近のダービーはかつてと比較してあまり盛り上がっていないような発言が見られるが、そんなことはないだろう。特集でもたびたび挙げられる、伝説的な99年のチャンピオンシップは静岡サッカーのひとつの総決算であったがためにあそこまで感動的になったわけだが、2005年以降のダービーだって、それまでよりもずっと素晴らしい盛り上がりを見せていると思う。そこにはチームとサポーターの一体感があるから、である。

まあ、静岡の場合、中部と西部の諍いというのはサッカーでなくとも熱くなるものだけども。