徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

理念の在り処/徹底討論!脱原発実現のための脱原発法意見交換会

2012-10-28 03:24:06 | News


金曜日は参議院議員会館で行われた「徹底討論!脱原発実現のための『脱原発法』意見交換会」に参加。
主催である脱原発法制定全国ネットワーク(法制定ネット)首都圏反原発連合(反原連)双方の脱原発基本法案(草案)を照らし合わせながら、リアリティのある脱原発法案を作成するために「意見交換」を行うといった趣旨で会は進行していく。

かたや法制定ネットは8月に設立され、文字通り脱原発法制定を求め、3.11前から活動されている方々を中心に、弁護士(脱原発弁護団全国連絡会)、大学教授、元自治体首長、大作家、大物ジャーナリストといった文化人の名前がずらりと並ぶオールドスクール。こなた首都圏反原発連合は3月末から始まった首相官邸前における大飯原発再稼動反対運動で一躍名を上げた反原発運動行動派のニュースクール。
なぜ「意見交換」なのか?

まず法制定ネットによる脱原発基本法案はすでに<9月7日に102名の国会議員の賛成・賛同を得て、脱原発法が衆議院に提出され、継続審議>が決定、さらに来るべき国政選挙で原発を争点にするための議員(候補者)へのアンケート、マーキングを繰り返し実施(サイトにて公表)している。彼らはすでに「脱原発後」のために具体的に動き出しているロビイ団体なわけである。
一方の6月から7月にかけての運動の高揚、首相との会談を経て反原連も次の一歩を模索している。
法制定ネットの河合さんが言った通り、ロビイ活動とデモ・抗議は脱原発のための両輪であって、どちらも欠かすことのできない「行動」である。その意味で、双方の代表的な団体(集合体)が意見交換をすることで実に有意義な会になったと思う。
あえていえば徹底討論というほど討論に時間が割けなかったことや、“照らし合わせ”が事前に明確に提示されていた方が良かったと思うし、登壇者間の意見交換の時間をもっと取った方が良かったかなあとは思う(一般参加者の意見が前のめりな“意志表明”気味なのは仕方がないとはいえ、これは争点の見えづらさに釣られていた気がする)。

その点で具体的でわかりやすく“争点”になったのは、数少ない報道でも伝えられたように「脱原発の時期」だった。
反原連案の2015年から法制定ネット案、社民党の2020年、さらには民主党の一部議員からは2025年という数字も提案されたという。結果的に議員立法で提出された法案では、
「脱原発は、遅くとも、平成三十二年から平成三十七年までのできる限りはやい三月十一日までに実現されなければならない」(脱原発基本法案 基本理念 第三条)
とある。これを“国民の生活が第一”の松崎さんは「妥協の結果」と言った(良くも悪くも実に率直である)。法制定ネットの只野さんはこの法案を「革命的である」として再稼働を許す可能性はないとしていたけれども、やはり「時間」を先延ばしにすればするほど再稼動の余地(可能性)を残すことは言うまでもない。
やはりあえて「時間」を提示することがむしろ可能性を残すことになり兼ねないのではないか

勿論オレも一応大人の端くれなので、キャリアを積んだ法律家の皆さんが全面的に参加している法制定ネットや松崎さんの言う「妥協」が理解できないわけではない(それは「戦略」と言った方がいいと思うけれども)。政治の世界で「駄目なものは駄目」には限界はある。具体的に年限を区切ることで言質を取る意味はある。“目標”が大好きな役人様にもわかりやすいだろう。もしくは89年の脱原発法全国ネットワークの「即時廃止」法案の“失敗”から学んでいるのかもしれない。この日、講堂に集まった人たちの共通認識はどう考えたって「即時廃止・廃炉」だろう。しかし法案は、ここにはいない、興味すらない分からず屋を分からせるためにある。これは実に悩ましい。

しかし理念というのは「駄目なものは駄目」という明確な意志表示であるべきだとも思うのだ。
「脱原発は可及的速やかに実現されなければならない」
第三条にはそう謳い上げる必要がある。それが理念であり、シングルイシューというものである。理念てのは、やはり、まず入口であり、出口でもあるんだよね(計画、工程表とは別)。
ここでは年限で余地は残さない代わりに、解釈の余地を残している。たぶん日本人の負け方(引き際)を考えると、強い意志表示の反面、こういう曖昧さを含む文言ってのは意外と効くような気がするんだけども。
要するに「九条」みたいなものかな。

次回、があったら期待します。

<徹底討論!脱原発実現のための『脱原発法』意見交換会>(IWJアーカイブ)