徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

長老対談

2010-02-09 13:16:47 | LB中洲通信2004~2010
昨夜は神楽坂で出田さんと長老・小川さんのナカスの新旧プロデューサー対談。
ツー・スリーに行ったら(もちろん話には聞いていたけれども)スタッフ激増でちょっと熱気があったりして。
近くの居酒屋で2時間対談の後、2時間呑み。その後、M'sで3時頃まで。

ほとんど酔わなかったが、何か久しぶりな心地好い緊張感はあったですよ。ああ、ナカスって本当はこういう感じだったなという。そういえば聞いた記憶も微かにあるけれどもスタッフの変遷とか真意とか。
いろんな意味で状況は変わった。クロスオーバーでハイブリッドな状況でアナーキーはあり得るのか。これは、もはやいかんともしがたい状況ともいえる。

しかしこの後、ブログに転載されるtwitterのタイムラグというのも、これはこれでいかんともしがたい。

70年代(末)の青春/「ヒポクラテスたち」

2010-02-06 08:38:36 | Movie/Theater
ヒポクラテスたち
1980/ATG
監督・脚本:大森一樹 
出演:古尾谷雅人、伊藤蘭、光田昌弘、柄本明、小倉一郎、阿藤海、内藤剛志
<医学生グループが臨床実習という具体的な医療の現場で出くわす、さまざまな当惑や驚きや失敗や珍事の数々。そんな折、愛作(古尾谷雅人)はガールフレンドから妊娠を告げられる…。>(日本映画専門チャンネル

公開は80年だけれども、70年代の青春群像劇。それも70年代末だからできたであろう、時代の残滓。だからおもろくてやがて哀しく、切ない。そして痛ましい。
古尾谷雅人のイメージはこの映画のイメージのままで、彼があんな凄絶な最期を遂げてしまったときもこの映画を思い出した。同級生とは頭3つぐらい抜けている猛烈にひょろ長い体躯に繊細と凶暴を秘めていて、さらに運動の挫折感を滲ませる複雑骨折な70年代の青春。派手なアクションがあるわけではないけれども彼が優作フォロワーであったことはよくわかる。
学生たちはそれぞれがそれぞれのもどかしさを抱えつつ、忙しなく煙草を呑み続ける。呑まなきゃ(飲まなきゃ)やってられないという、脱臭されていない青春の空気がここにはまだ残っている。

手塚治虫、鈴木清順、北山修など、これでもかというぐらいのゲストが、いかにもゲスト然として登場したり、さらにいかにも効果音の類は、やはり現在では古臭さを感じざるを得ないが、小倉一郎、阿藤海、内藤剛志の若さと勢いはとても魅力的だし、千野秀一の音楽が70年代ぽくてとてもいい。
エンディングにあるほろ苦さや誠実さや愚直さのリアリティを80年代以降の日本は徐々に喪っていく。

それにしても、やはり古尾谷雅人は惜しい役者だったと思う。

ハーモニー/「血と砂」

2010-02-04 20:52:47 | Movie/Theater
血と砂
1965年/モノクロ
監督:岡本喜八
原作:伊藤桂一「悲しき戦記」
脚本:佐治乾、岡本喜八
出演:三船敏郎、仲代達矢、佐藤允、伊藤雄之助
<昭和20年、敗戦直前の北支戦線。軍楽隊の少年兵13人を率いる曹長・小杉(三船)の部隊が、中国・八路軍と砦をめぐる熾烈な戦いを繰り広げる様を描いた反戦色の濃い戦争アクション>(日本映画専門チャンネル

<反戦色が濃い>といってもそこは喜八作品なのでしみったれた肌触りはない。ミュージカル的な要素を織り込みつつ、三船、佐藤充、団玲子、そして伊藤雄之助という違うタイプの役割を持った“大人”たちが、18歳、19歳という軍楽隊の童貞少年たちをいろんな意味で厳しく、優しく成長させていく(慰安婦の楽天的かつ感傷的な描写など今では考えられないけれども、やはり“それ”も教育だと思うのである)。軍隊というのは現実社会そのものである。少年たちは楽器を背負い、銃を手にして戦場に立つ。
しかし戦場という現実とジャズの自由は決して交わることはなく不協和音を響かせる。本隊に見捨てられ孤立無援となった砦の塹壕の中で、楽器を手にしてスイングする少年たちに八路軍の砲弾と塹壕の土砂が降り注ぐ。
そんな中、佐藤充は少年たちを励ますように「ハモっているか?」と声をかける。<ハモっている>ということは生きているということだから。
戦場でハモることなど許されない。しかし今日を生き抜き、明日に希望をつなぐために人間はハモるのだ。
盲目のトランペッターの少年が倒れたあとに残酷な事実を知らされる。傑作。

年月のあしおと/広津和郎「宇野浩二病む」

2010-02-03 02:23:12 | Books
「俺は母親(おふくろ)が可哀そうでね」と彼は沈み込んだ声で云った。
「そうだよ、お母さんも奥さんもみんな可哀そうだよ」
 突然彼は四つ角で立ち止り、
「広津、僕の母親を呼んで来て呉れ」
「うん、呼んでくるからここで待っているね」
「うん、待っている」
 私は宇野の家まで走って行って、彼の母をつれて来た。
 彼は「あ、お母さん」と云って母を庇うようにその背中に腕をまわし、彼女の頭をやさしく撫で始めた。(中略)
「よく見えるがな。浩二、わたし眼悪くないがな」と母はおろおろと泣き出しそうな声で云った。
「広津、女房を呼んで来てくれ」
 私は又走って彼の細君を呼んできた。
「広津、兄貴も呼んで来てくれ。可哀そうな兄貴なんだ」
 私は彼の兄をも呼んで来た。彼の兄は子供の時分脳膜炎をやった事があるので、廃人同様で、彼の家に厄介になっていたが、顔は年を取っているのに、いつも子供のように無邪気な笑顔をしていた。こういう場合にもやはりその笑顔は消えなかった。
 宇野は往来の真中で、母と細君と兄とを抱きかかえるようにしたかと思うと、突然こんな声を彼が持っていたかと思われるような大きな声を張り上げて、
「これだけが宇野浩二の家族だぞォ!」と叫び、続いて、「おう!おう!おう!」と何度も語尾を引っぱって唸るように叫びつづけた。
 彼に抱かれた三人の家族は、言葉も出ずに悲しそうな顔附で、吼えつづける彼に取りすがっていた。
 私は一間ほど離れたところに立ち、その光景を呆然と傍観していた。
 彼の声に煙草屋からも酒屋からも、その反対側の店屋からも人が出て来た。私の側に来て二、三人が訊いた。
「どうなすったんですか」
「ウイスキーに酔っ払って管を巻いているんですよ」
 私は咄嗟にそう答えたが、不覚にも涙が溢れて来そうになったので、その場を去り、一人で宇野の家の六畳に帰って来て、そこに坐り込んだ。(中略)
兎に角あの光景は見ていられない--併し自分は見ていられなくなって此処まで逃げて来たが、母や細君や兄は見ていられないと思って帰って来てしまう事も出来ないのだろうと思うと、家族というものの悲しさが改めて考えられて来る。「これだけが宇野浩二の家族だぞォ!」……あの光景は人間生活の淋しい縮図のような気がしてくる……
(広津和郎『年月のあしおと』講談社刊 「宇野浩二病む」より)

上野桜木町の往来で発狂する宇野浩二。
何か、暗くて熱いんである、この時代。