先日、京都に行った時だったか、どこかでいただいた小冊子「きらめき」(天台宗一隅を照らす運動機関紙)、持って帰ったきたものの、読んでいなくて、片づける前にちょっと目を通して、と思ったら良いことが書いてありました。
円融寺名誉住職 阿 純孝さんのおはなし
想定外の大きな石があるとする。その石に天女が百年に一度、天から降りてきてやわらかい天衣でその石をなでる。その繰り返しで石が削り落されて消えるまでの時間が「劫」だという。この時間を人間の年月に換算すると四十三億二千万年だというから、まさしく「億劫」なはなしではないか。「億劫」とは、時間が長くかかりすぎてやる気が失せるという意味だが、このたとえばなしから生まれた。
仏教徒の夢であり目標である成仏が達成できるまでに一劫どころか三倍の修行時間が必要だというのだからあまりにも長すぎて億劫なはなし。
そこで考えたのだが”ちょっとだけ仏さま”に私たちのそばに来ていただく方法だ。
人生いろいろ人さまざま。思いもよらぬことが多くある。そんな時(私はどうしたらよいのか)と思い、(私はどうすべきかと)悩む。(私は、、、私は、、、)と私を中心にして思い考え悩む。
その時、「私は、、、」ではなく「仏さまだったら」と、仏さまにかわっていただくのだ。
私たちの日常の行いは、身で動かす身業とことばで伝え合う口業、心で思い感ずる意業の身・口・意の三業のはたらきによって生活している。この三業を仏さまに肩代わりしていただくのだ。
解決しづらいことが起きたならその時は
仏さまだったら、どんな行いをなさるか
仏さまだったら、どんなことばかけをなさるか
仏さまだったら、どのように思われるか
と、「私だったら」ではなく、ちょっとだけ仏さまに交代していただくのだ。
そうすれば、仏さまがいい智慧を授けてくださるだろう。
億劫がらずにやってみて。
なるほど、、、
今、私はどうしたらいいのかわからない問題をかかえている。
仏さま、ちょっと、交代していただけるかしら?