ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

夏の終わり

2007年08月28日 09時42分00秒 | 日記
朝からぎらぎらした太陽ではなく
空一面、うすい雲が幕を張って
遠慮がちにそっとそよぐ風がやさしい

雨の少ない夏だった
降るといえばどっと降り
まるで天がおこっているようだった

毎朝、毎夕、飽きもせず水遣り
暑かったでしょうと
晩に木々の下から水を天に向かって撒く
滴り落ちるしずく

暑さにも寒さにも我慢できないわたしだけれど
少し前までこの炎天下でテニスをしていた
ハードコートの熱を足裏に感じた夏合宿

夏の一番いいところは
水仕事をしても手が荒れないこと
夏は手が一番うつくしい


夏の終わりに
夏が好きだったんだと思う




ありがたくてふしぎなこと

2007年08月25日 01時53分00秒 | 日記
暑い日が続きます*(晴れ)*

でも、ぼくもぼくのおかあさんも食欲は無くならない方でむしろ”夏太り”の傾向があります。

人間に命令されて「おすわり」させられるのは好きなおやつのときはしょうがないけれど、ドライのドッグフードでなんかそんなことしたくないぼく*(クール)*

からっぽになったお皿をこちょこちょすると、おかあさんはご飯をいれてくれます。でも、ぼくはすぐにはとんでいかないで、そばに誰もいなくなってから気ままに食べます。

こうあるべきだ、ということにかなりこだわって生きてきた(必ずしも、”こう”であったわけでは決してない)おかあさんですが、だんだん年をとるにつれ、めんどうくさくなってきたのかもしれません。

「一日に一回は何か良いことを考えよう」とか、そんな殊勝なこころがけも持ち合わせてはいないのに、最近、ふとしたことで「しあわせだな」と感じていることに気付いています。

それを「そうあるべき」と思っているわけでなく、自然と感じることになんともふしぎなありがたさを感じるのです*(青ハート)*

同じ種の悩みを抱えてのたうちまわっている人を見ると「まぁ、まぁ、人生、それほど捨てたものでもないわよ」と声をかけたくなります。

自分とは別の種類の困難や哀しさに立ち向かっている人を見ると、すごいなぁ、と尊敬の気持ちがわいてきます。

みんな、だれもがしあわせになってほしいと思います。そう思えることがとてもしあわせなことだと感じるのです。

卵の黄身と白身を分けて、無意識のうちに黄身をゴミ箱へぽいと捨ててしまったり、洗い物をしていて手が滑り、可愛い花柄のお皿の上に何かのおまけでついていた安物のガラスコップを落として、お皿のほうが割れてしまったり、体力の衰えを気にして、片足立ちのままストッキングをはいて、やはりつんのめって、ストッキングを破いてしまったり、落雷のあと、スイッチオフのはずのパソコンの画面に”NO SIGNAL”と出てあわててしまったり・・・

それもこれも、すべてしあわせなことなのかもしれない、なーんて*(ウインク)*

ぼくはクーラーのきいた部屋でおかあさんの足元で寝そべっています*(ラブリー)*





ごっこ遊び

2007年08月19日 01時49分00秒 | 日記
今年のお盆休みはおかあさんの「ごっこ遊び」

3日間、特に旅行にも行かないで毎日好きなところに出かけ、おうちを旅館にみたてて、居間にお布団を3枚並べて寝ました*(家)*

もちろん、晩御飯は作らないで外食して帰ります。おかあさんにとってはこれがいちばん*(チョキ)*

お盆の間中、いつもは見かけない濃い黄色をした小さな蝶々がひらひら舞っていました*(庭)*

ぼくんちはとても蝶々の多い家で、金柑や橘の木は枯れる寸前まで葉っぱがなくなるほどなのですが、今の時期、モンシロチョウより小さく、シジミ蝶よりは大きい中途半端なのはめずらしくて、おかあさんは、はたと、先代の「ももすけ」を思い出していました*(ラブリー)*

不思議なヨーキーだったそうです。
それより少し大きめで少し薄い黄色の蝶々も飛んでいました。
もしかしたら「まつごろう」かもしれない。おねいちゃんが小学生のころ、学校のまわりにいた野良ちゃんでしたが、いつのまにか我が家の子になった男前の犬です*(ジョリー)*

それから、また、迷い犬で我が家にやってきて死んだシェルティの「シェル」や子どもの頃に飼っていたとてもお利口だった「ジョン」のことなどを思い出していました。

来る日も来る日も暑くて、ご飯は作らないけど朝晩の水遣りは長い時間をかけて、おかあさんは飽きもせずに繰り返していました。

真っ黒くて線の太い小型の蚊がやけに多いのですが、おかあさんが水撒きする間、ぼくもお庭にいます*(ラブリー)*

1日目は奈良「燈花会」
奈良公園の芝生一面にろうそくの灯りが幻想的です。おねいちゃんも一燈を献じました*(キラキラ)*
ちょうど東大寺の大仏殿の万燈供養会。ぼくも抱っこしてもらってたくさんの人に混じってお参りできました。お寺、しかも国宝の中に入ることができたのです*(びっくり1)*
そのうえ、写真も*(OK)*慣れない携帯電話で撮りましたがやはりダメでした。まさか、とデジカメを持っていなかったのが残念でした。

2日目、海抜600m弱の二上山雌岳*(山)*
ときどき、人間の顔を見上げては抱っこしてもらいましたが登頂*(笑顔)*

3日目、ようやく開放されたぼくは人間たちが映画を見に行ったのでほっとしました*(いっぷく)*

この少し前からインターネットの接続がヘンで、しょっちゅう「ページが表示できません、urlが間違っていませんか?更新をしてください」という表示が出て、おかあさんはいらいらしていました。

モデムというのか、ルーターというのか、その電源を引っこ抜いたりしていたのですが、どうもいつもと様子が違うのでプロバイダー(また、プロダイバーと書きかけている*(汗)*)にメールをしました。

早速、NTTさんに調整を依頼しましたという返事がきたのですが同じなので、再度メールを送ると、では、モデムを交換しますので、なにやらややこしいことが書いてありました、ふぅ…

そんなこと出きるわけがない*(びっくり2)*と、お盆があけてから、いつものPCショップのお兄さんに来てもらうつもりでいましたが、なんと、昨日くらいから治っています*(!?)*

そんな、こんなで一気に長い日記*(ペン)*
掲示板へのコメントを書いて送信してもダメだったりで、お返事が遅れているお詫びもここで弁解させてもらいます。
でも、何故だったのでしょうね*(はてな)*

おかげで何冊か本を読むことが出来ました*(初心者)*




この国が平和だと 誰が決めたの?

2007年08月05日 22時37分00秒 | 日記
地震はいつ来るかわかりません。

水不足で琵琶湖が干上がりかけて、庭に水を撒くのも節約しなさい、と数年前にありました。

国産のお米が足りなくなって、右往左往したのは10年も前のことでしたっけ。

普段、ぼくはなんて平和に暮らせているんだろうと思っています。


先日、おねいちゃんの三線の先生の公演会がありました。
おねいちゃんも沖縄の着物を着せてもらって、がんばって三線を弾いて歌いました*(音符)*

三線あり、沖縄舞踊あり、太鼓ありと、はじめてのおかあさんはとても興味深く見ていました。

そのなかで、若先生が創作舞踊を踊られたのが『平和の琉歌』という曲でした。

冒頭の歌詞
  この国が平和だと 誰が決めたの?
  人の涙も渇かぬうちに

目も耳も点になって、頭をがーんとハンマーで殴られたように感じました。

  アメリカの傘の下 夢も見ました
  民を見捨てた戦争の果てに

  蒼いお月様が泣いております
  忘れられないこともあります
  愛を植えましょうこの島へ
  傷の癒えない人々へ
  語り継がれてゆくために

  この国が平和だと 誰が決めたの?
  汚れ我が身の罪ほろぼしに

  人として生きるのを 何故に拒むの?
  隣り合わせの軍人さんよ

  蒼いお月様が泣いております
  未だ終わらぬ過去があります

  愛を植えましょうこの島へ
  歌を忘れぬ人々へ
  いつか花咲くその日まで

作詞・作曲 桑田佳祐


広島と長崎には行ったことがあります。
今度のお正月休みは沖縄に行こうと思っています。
平和で申し訳無いと思いつつ*(椰子)*

  



新しい携帯電話

2007年08月02日 00時36分00秒 | 日記
ぼくのおかあさんは携帯電話をいまだに両手でしか使えません*(携帯)*

4年ほど前、公衆電話が少なくなって外で不便だからと買いましたが、以来、同じのを使っていました。

家にいるときは電源を切っている、と言うと人に笑われました。そんなものだったのですか*(!?)*

”7月31日までに新機種に買いかえると5000円のキャッシュバック”というハガキが届きました。

この際、と携帯やさんに行って500万画素のカメラのついているのを昨日買って帰ってルンルンです*(ハート6つ)*

おかあさんのデジカメはやはり4年くらい前の400万画素です。それより立派なカメラがついてる携帯電話なんて、なんて優秀なのでしょう*(キラキラ)*

昨晩はめったに読まない説明書というものに首っ引き。
ようやく、待受け画面と電話の着信音をこのみのものに~*(チョキ)*

しかし、一日たっても、どこからも電話もメールも届きませんでした*(涙)*

電源は切らずにいれてあります*(ウインク)*