何年かかったろう、5年?ようやく、島崎藤村の長編「夜明け前」読了。
高校のクラス会で、現在は「藤村記念館」館長である担任の鈴木先生に、何の気なしに、挨拶代わりというか
「先生、藤村の何を読めばいいと薦められますか」と質問したのがコトの始まりだった。
で『夜明け前』
こんなに長いとは思ってもいなかった。
まず、岩波文庫の1部上巻、下巻を購入。
「木曽路はすべて山の中である」に始まる。
しかし、宿場町の様子や、せいぜい、主人公の半蔵が黒船の襲来を見聞きする東京方面への旅など、ストーリー性もなく退屈。正直!
だけど、鈴木先生の優等生であった(自負)私としては読まなくてはいけない。
読み始めた年の年賀状に「夜明け前を読み始めました」と近況を書く。
もっと他の面白い本を読むうち、ついつい後回しに。
それでも、なんとか上下巻を読み終える。
そうだ、ネットでダウンロードすればタブレットでいつでも読める、と「青空文庫」でダウンロードするが、文体がかなり現代的になっていて違和感あり、おもしろくない。文語調が好みなのではなく、よくわからないのだけれど、やはりちょっと違うと、おもしろくなくてストップしてしまった。
数年の間、まだ「夜明け前」の続きです、なんていう年賀状を先生に出していた。
鈴木先生は年賀状を受け取ってから書かれている、と思う。元旦には来ないで、3日くらいに着くから、多分、たくさんの相手(生徒たち)だろうから、来た年賀状に返信しているのだと。
今年は、まあいいか、と「夜明け前」には触れずに、あけましておめでとうございます、だけにした。
そうしたら、先生からの年賀状「夜明け前は読みましたか?」と。
焦ってしまった。しかし、なかなかタブレットでは読めない、目が疲れてしようがないし。
今年の5月の連休はすごく長くて、誰からもお呼びがかからないし、お稽古はお休みだし、、
そうだ、図書館で借りれば読める、返さなければならないからと。しかし、気がつくのが遅くて連休の終わりかけ。
2部の上下巻2冊を借りたけれど、2週間で読みきれなくていったん返却。
しかし、借りたのも新しいほうの文庫本で文体はほぼ現代。でも、かなりの時間が空いているので違和感無く、というより読まねば、と思うほうが強かった(苦笑)
ようやく、数日前に第2部下巻読了、20ページある解説も読み終えた。
元来、私はあとがきや解説から読み始めるのだけれど。
この壮大な長編小説は幕末維新を生きた半蔵のあまりにむなしい耐え難いむなしさで終わってしまう。
解説には、半蔵一人ではなく、その時代を背景にして、とあったけれど、私の感想は、息子の父親に対する、どういったらいいのだろう、、、
世間の明るみに出して無念さを晴らしたい、というか、、弁明したい思いが強かったのではないかと。
2部下巻の後半くらいからは、半蔵の心がかなり表現されてきておもしろくなってくるのだった。
国学者平田篤胤を崇拝し、仏教より神道を、幕府より天皇を、と一途に考えていた半蔵は、明治政府に失望する、簡単に言えば。
青年時代から半蔵が見守ってきたのはまぼろし、だったのか、と。
2部下巻14章 「妙なものだなぁ。俺なぞはおまえ、明日を待つような了見じゃ駄目だというところから出発した。明日は明日はと言って見たところで、そんな明日は何時まで待っても来やしない。今日はまた、瞬く間に通り過ぎる。過去こそ真だ――それがおまえ、篤胤先生の俺に教えて下さったことさ。だんだんこの世の旅をして、いろいろな目に逢ううちに、いつの間にか俺も遠く来てしまった気がするね。こうして子供のことなぞをよく思い出すところを見ると、やっぱり俺という馬鹿な人間は明日を待ってると見える。」
そして、子供たちに会いに上京したとき 「そこには糊口の途を失った琴の師匠が恥も外聞もなく大道に出て琴を弾き、樋口十郎左衛門のような真庭流の剣客ですら居候をし、世が世ならと嘆き顔、刀鍛冶は偽作以外に身を立てられないのを恥じて百姓の鍬や鎌を打つという変り方だ。一流の家元と言われた能役者が都落ちをして、旅の芸人のまじるということも不思議でなかった。これらが何を意味するかは、知る人は知る。幾世紀をかけて積み上げした自国にあるものすべて価値なきものとされ、かえってこの国にもすぐれた物のあることを外国人より教えられるような世の中になって来た。」と。
(この国の変わりようは、近頃の日本をも私に思い出させた。小売店が無くなって、大型スーパーやコンビニばかり。ちょっと糸がほしいと言っても小間物屋さんは無くて、100円ショップなんだから。そして終身雇用ではなく、派遣だとか、パートだとか、生活を支えている男性であっても!)
その時の彼は秋らしく澄み渡った物象の威厳に打たれて長い時の流れのほうに心を誘われた。先師篤胤の遺した忘れがたい言葉も胸に浮かんできた。「一切は神の心であろうでござる。」
この国維新の途上に倒れた幾多の惜しい犠牲者のことに想いくらべたら、彼半蔵なぞの前に横たわえる困難は物の数でもなかった。彼はよく若い時分に、お民の兄の寿平次から、夢の多い人だとからかわれたものだが、どうしてこんなことで夢が多いどころか、まだまだそれが足りないのだ、と彼には思われてきた。 ―――何一つ本当に掴むこともできないそのおのれの愚かさ拙さを思って、明るい月の前にしばらくしょんぼりと立ち尽くした。
(そうだった、夢見る夢子さんだね、とは鈴木先生が私に言ったのだった。以来、他の人からも、同じような意味のことを言われることがあるけれど。もちろん、半蔵の夢とは比べものにはならないけれど、)
平田門下の先輩景蔵に「維新の見方も人々の立場によっていろいろに分かれるが、多くの同時代の人たちが手本となったものは何といっても大化の古(いにしえ)であった。」と。
寺を焼きかけられた松雲和尚の弁「もともと心ある仏徒が今日眼をさますようになったのも、平田緒門人が復古運動の刺激によることであって、もしあの強い衝動を受けることが無かったなら、おそらく多くの仏徒は徳川時代末と同じような退廃と堕落とのどん底に沈んでいたであろう。」
旧庄屋として、また旧本陣問屋としての半蔵の生涯もすべて後方になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終わりを告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその19年あたりまでを一つの過渡期として大きく廻りかけていた。人々は進歩を孕んだ昨日の保守に疲れ、保守を孕んだ昨日の進歩にも疲れた。新しい日本を求める心は漸く多くの若者の胸に萌してきたが、しかし封建時代を葬ることばかりを知って、まだまことの維新の成就する日を望むことも出来ないような不幸な薄暗さがあたりを支配していた。
この読書の感想は4つ。
①いかにこの退屈な長編を最後まで読み終えることが出来たか、というと、それは薦めてくれた人との関係であると思う。どれだけ、私が鈴木先生を敬愛しているか、ということ。そして、その念は読み終えて良かった、という読了感にまた裏打ちされた。
かつて「橋のない川」これもすごい長編、退屈で飛び飛びだったけど読み終えた。やはり敬愛する人が薦めてくれたから。
②廃仏毀釈、という言葉はこの作品中には出てこないけれど、維新のころの言葉として現代では使われている言葉。帝塚山大学元教授の西山先生(奇しくも我が鈴木先生は帝塚山短期大学教授だった!)の講演会を2度聴いたけれど、廃仏毀釈は少なくとも、奈良では起こらなかった説が面白いと思う。西山先生の講演を聴いていたからこそ、夜明け前も理解できるところがあった。
③先日、平岡神社で巫女さん体験をしたが、神と仏、日本人の宗教感覚が私はとても好きだ。
神社に詣でても、お寺に参っても、教会を覗いてもいいではないか、と思うのだ。
そして、他の人が信じる宗教を認めることがいいのだ。それは、他の人を認めるということでもある、と思う。
④あれぇ、4つ目忘れてしまった!この日記を書きかけてのがもうずいぶん前なので、忘れてしまったのだ。
パソコンの調子悪くて、完了できなかったけれど、とりあえず、これで更新!!