ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

酔芙蓉

2012年09月22日 23時27分09秒 | 日記

『風の盆恋歌』に憧れてお庭に酔芙蓉を植え、毎年咲くのをたのしみにしているぼくのおかあさん。

どんどん大きくなって、今年はたくさんの花を咲かせてくれています。

朝は純白です。お昼頃にはうっすらピンクにほろ酔い夕方には、かなりいい色になります。

でも、写真ばかり撮ってないで、早くおさんぽに行こうよ、おかあさん!

昼間はほとんどお昼寝ばかりしているぼくですが、夕方のおさんぽは一番のたのしみです。

目が見えなくなって、耳も聞こえなくなって、しかも、もともとは野性的な嗅覚も持ち合わせていないぼくは地面が近いというだけで歩いています。

でも、好きなわんちゃんと嫌いなわんちゃんの区別はつくのです。ただし、5mくらいに近づいてから。

今までだと、苦手な子は遠くにいてもわんわん吠えていたのだけれど、このごろはおかあさんがそっと遠回りさせるのでぼくはほとんど気付かなくなりました。おかあさんが向こうの飼い主さんに、にっと笑うと、了解、というように向こうもにっと笑います。

だから、公園で会うのは好きな子たちばかり。やっぱり同じ種類のヨーキーとか、ヨーキーのミックス(最近は流行っているのか、シーズーとか、プードルとかのミックス犬もいます)とかは男女を問わず好きです。

このところのなかよしは9歳のシュナウザー、ロン君です。まだぼくより若いけど、糖尿病で失明して道路をまっすぐ歩くことが困難なのです。

公園の端っこにいつも赤い車が停まっているなと思っていたら、少し離れているところからお母さんに連れられてやってきているのでした。公園なら引っ張られてなんとか歩くことができるからだそうです。

ところがロン君、この間からは乳母車に乗って公園まで来ています。人間の赤ちゃんが乗るようなのが犬用でもあるのです!その点、ぼくんちは5軒ほどのお家を通り越してバス通りを渡ると公園なので、ぼくが歩けなくなっても抱っこしてきてもらえます。

公園の裏側のお家のシーズー君は18歳。3年前は抱っこしてもらって公園まで来ていましたが、その時の大きな病気を克服して、今では(やはり目が見えないのでお父さんが引っ張って誘導していますが)自力で歩いています。

とてもおしとやかで美しいお母さんに連れられている芝ちゃんの女の子もやはり目が見えません。よたよた歩いていますが、ちゃんと公園までおさんぽできてご飯を食べてくれるとほっとしますね、といとおしそうに話していました。

多分、ぼくがおかあさんにとっての最後の犬になるでしょう。(もし、もし、お時間ありましたら左のブックマーク「ももすけ写真館」に、おかあさんの犬たちの写真を載せましたのでご覧いただけるとうれしい)

おさんぽ仲間の犬たちも飼い主さんたちも、それぞれに年をとってきているのは確かであります。

つい先日、なぜか本棚に『ドン松五郎の生活』という分厚い古びた文庫本があるのを発見しました。おにいちゃんかおねいちゃんが買ったのかな、なんて思っていたのですが、昭和62年12月26刷とありますから、やはり、、、おかあさんの、、、でも、本人はとんと覚えがないようです。

井上ひさしもやはり夏目漱石を尊敬していたのだな、と思いました。でも、ぼくはビールなんぞは飲まないぞ。

 


そして、アイ ラブ バリ

2012年09月13日 19時39分16秒 | 日記

最初の日に見たケチャダンスがとても楽しかったので、もう少しバリのダンスを見たいとガイドさんにお願いして3日目はウブドに向かう途中、バロンダンスに連れて行ってもらいました。

ガムランの演奏者とときどき目があって、にっこり。人間の心の中には良い心と悪い心があって葛藤している、それをユーモラスに描いています。バロンダンスとは日本の獅子舞いのようなもののようです。終わって出演者と一緒に写真を撮ったり、とてもいい思い出になりました。

相変わらずおかあさんのおなかは不調でした。ウブドでは田舎風の離れの小屋でのランチでしたが、、、 クリックして大きなのをご覧ください。壁面にはほのぼのとした蛙や魚がいて、水槽には花びらが満タンです。どのような場所かわかるかしら?道端にもこんな風に供花とか、粽のような(多分、ヤシの葉っぱに包んだ食べ物)があちこちにありました。バリの人々の信仰心、やさしさが伝わってきます。

バリ島の千枚田も見ることが出来ました。アヒルの養殖もしているようで田んぼ中、あひるだらけのところも。

この日の最終目的はタナロット寺院を背景にインド洋に沈む夕日です。まだ日の高いうちに着いて、一番前に席を確保しましたが、西日が強くて暑いのなんのって。お腹の心配をしながらココナッツを飲んでしばらく待ちました。

ホテルでは毎朝、南太平洋(でしょう?)からの朝日をのぞみ、リスたちと近づきになり島の反対側でインド洋に沈む夕日も2回見ることができ、土産物やさんたちとの楽しい駆け引きをしてとても楽しい4日間でした。お腹の具合をのぞけば。。

土産物といえば、これは日本人として意識したことがひとつあります。

アッターという、木の根を乾燥して編んで敷物やバッグにした雑貨がとても気に入り、バッグを買おうとしました。値段交渉をして2500円と決まったのですが、バッグの上のかぶせの布が破けていました。このままでいいから2000円にして、と自分で修理できそうだったのでまた値切ると、他のものでどうかと。いんや、この布の柄がいいのだ、と言うと、このままでも2500円だと。工場に送って修理したら2500円で売れるからとのこと。

日本の小売店なら少しでも在庫を少なくしたいから売りきってしまうところだけれど(返品できるデパートなどは別として)、人件費がウソほど安い現地では当たり前のことなのだと、納得というか感心というか。

人の良さそうな青年にかなりの時間を費やさせて、結局は買ってあげられなかったことが悔やまれます。彼らにとって2500円の売り上げは大きいのだと思います。ウェス〇ンホテルにその倍も自転車代を支払ったのに、現地にあと2500円を貢献できなかった、バリ島での心残りではありました。

5歳の息子さんがいる愛らしいガイドさんと人のいい運転手さんに送られて、今度は無事にデンパサールを発ち、ジャカルタのおにいちゃんちで1泊して翌日は広州経由で関空に到着。

 

 

ずっこけインドネシア旅行を読んでくださってありがとうございました。テレマカシ

 


そして、バリ島 (フリータイム)

2012年09月13日 01時36分51秒 | 日記

ホテルには専用ビーチもあるし、プールもアスレチックジムもテニスコートも、それになにより有名なスパがあります。

一日はゆっくりしたらいいとのことで、この日はガイドさんは無し。

スパ、って温泉のことかと思っていたおかあさんでした・・・

でも、ホテルの中のスパって、とても高いらしい。

ゴルフのあと、ジャカルタでおにいちゃんが連れて行ってくれたマッサージやさんは1時間で1000円ほど。いつもおにいちゃんが行くところは500円なのだそうですが、小さな店なので3人一緒では予約が取れなかったのでした。

というわけで、無料の自転車を借りて散策しました。

ジャカルタと違ってバリは空が青く、暑いけどさわやかでした。大阪の暑さよりよほど気持ちの良い暑さです。

近くのショッピングセンターはこぎれいですが(そごうも入っている)フツーのお値段で、これぞインドネシアというほどのことはない。

木陰のテーブルで軽くサンドイッチ(おかあさんはずっとおなかの具合が悪い)とビンタンビール。

国が観光レジャー用として開発、もともとの住民にも影響が少ないように配慮され、大型ホテルばかりのこの地区(ハワイみたい)は仕切りの割れ門を出ると様子は一変します。名ばかりの歩道はせまくてでこぼこしてるし自動車は多くてほこりっぱい。それでも観光客用でしょう、ごたごたした土産物やがところどころにあって、一番手近なお店に入りました。

前歯の抜けた、そこのおじさん(年配に見えるけど、もしかしたらおかあさんより若いかも。現地の人の平均寿命は50歳だとか)は明日はお祭りで孫が来るのだ、とうれしそうに小さな男の子の写真を見せてくれました。そうです、お祭りらしくて、この島に着いたとき一番にこれは何?とガイドさんに尋ねたのがペンジョルというヤシの葉っぱで作ったお祭りの飾り。七夕のみたい。これは翌日に行ったウブドのペンジョル。

値切らなあかんよ、と1年前にバリに来ているおねいちゃんに教えてもらっていたので値切ると、そのたびにおじさんは孫の写真を見せて、この子にも何かしてあげないといかんから買ってくれ、と。また値切ると「お母ちゃん(奥さん)に怒られる」。一体、何語で会話していたのか、今考えると分からないのですが、それでも会話は成立していました。おとうさんの帽子とおかあさんのスカートとおねいちゃんのアリババパンツを買い、意気揚々とホテルに戻りました。

部屋番号を言って自転車を返し、お部屋に戻る途中、写真などを撮ってうろうろしていると、さっきの自転車やさんが自転車で追っかけてきました。この部屋番号にはあなたの名前では宿泊していない、というのです。引返してみると、なんと、借りたのは隣のホテル!海沿いの遊歩道を歩いているとき、通りがかりのお巡りさんに尋ねたら、ここだと教えてもらったのだったけど。

えー、宿泊してるホテルだとばかり思っていたわ、なんとかまけてよ、と青い目の世界チェーンのホテルマンに訴えました。一人がフロントに問い合わせに行っている間、次にバリにくるときはこのホテルで泊るから、とか、大阪から来たと言うと大阪弁を教えてくれ、とか、、、でも、結局はサービス料も入れて、日本のホームセンターでなら一台の自転車を買えるほどの賃貸料を支払わなければなりませんでした。

お買いものよりも高い自転車代でしたが、でも、飛行機を乗りちがえてどこかの島に行っていたのよりはマシ、とおとうさんとなぐさめあうのでした。

夕食はせっかくだからと、バリ料理のレストランへ。タクシーを頼んでいたのだけれど、結局はホテルの白タクで割高だったなと、これも今になってわかった。「地球の歩き方」に載っている日本人にも人気のお店、ということだったけど、香辛料ばかりがきつくて体調の悪いおかあさんはちっとも食べられませんでした。でもせっかくだから写真は撮りましたけど。

ホテルの部屋にもどるとこの日は満月でした。

 

 

 


そして、バリ島

2012年09月12日 12時31分37秒 | 日記

4日目の朝、ジャカルタ⇔デンパサールの航空券、ホテル3泊、日本語を話せるガイドと自動車とそのドライバーのバウチャーを持たせてくれて、おにいちゃんは飛行場まで送ってくれました。

まったくなんの予備知識も持たないまま旅にでてしまったおかあさんでしたが、向こうの空港にはお迎えが来てくれているはずだから、とルンルンで搭乗案内のあった飛行機に、タラップから登るのが楽しくて写真なんか撮ったりして・・・

ご機嫌で窓側の席におとうさんとならんで座っていると、「そこは私の席です!」と現地の女性。

え、もしかしてダブルブッキング?

eチケットの控えでは2人の席が離れていたので、隣り合わせにしてくださいと搭乗カウンターで手書きの変更をしてもらっていました。あの係員が間違えたのだわ、空席があるなら他でもいいけど、、、なんて単純に考えていました。

両方のチケットを確認していたスチュワーデス、おかあさんたちのチケットを見て、この便ではないと指摘しました。

空港の係員が来て、また、空港内へ連れて帰ってもらいましたが、搭乗するときに確かにチケットを見せているのだし、出発時刻もほぼそのくらいだし。

搭乗案内の電光掲示板が故障していたらしく、しばらくして本当に乗るべき便名の表示があり、アナウンスも確認、1時間くらいのディレイです。

間違って乗っていた飛行機の席がもともと空席であったなら、、、そのままどこかの島にでも行って、この後のバリツアーはどうなっていたことか、と思うとおかしくてたまりません。

まぁ、ともかく、めでたく目的地に到着でき、お迎えのガイドさんとも遭遇することができました。

まず昼食は、並んでいる箱の中にいる採れとれ魚を選んで焼いてもらい、ビールはビンタン!

屋内でも食べられるのでしたが、わざわざ暑い砂浜で。パラソルがあっても照り返しがきつくて、日焼け止めもサングラスも車に忘れて無防備の失敗でした。でも、風が心地よく、それにお魚は美味しいし、ゆったりと、ああ、バリ島だわぁ、と感激していました。

食中毒というのは同じものを食べた複数の人がなって、一人だけだと食あたりというのだそうです。どうも、、、そのころから、おかあさんのお腹の具合は少し変でした、、、

ゆっくりと昼食を終えて、いったんホテルにチェックイン。

わお、おにいちゃんったら張りこんでくれたんだ、素敵なホテルのしかも大きく海に面したベランダが二方もあるお部屋でした。

夕方からはウルワツ寺院のケチャダンスを見に行きました。

すごい人で、演じる人と見る人が入り混じってしまっています。、キャッキャという猿のような声とお経のような唸り声で圧巻でした。

そしてインド洋に沈む夕日。

そのあと、どこかのレストランで夕食の予定だったのですが、おかあさんは疲れていたのでホテルに帰りました。なにか軽いものでもと庭を散歩しながらレストランを物色。和食もあるのでしたが、外国に来てまでもねぇ、とイタリアン!?

食欲無い、と言いつつ(おかあさんは、食欲無いと言っていてもたいていちゃんと食べます)食べたスパゲティの美味しかったこと。ビンタンビールもおかわりしちゃいました。


テレマカシー

2012年09月10日 01時10分30秒 | 日記

10年ほど前「微笑みの国・タイランド」というキャッチフレーズにつられて旅行したことがありました。

でも、蒸し暑いし、それほどの「微笑み」に遭遇した記憶はありません。

今回のインドネシアでは、その「微笑み」に大満足。

多分、タイはもう発展してしまって微笑みを忘れている、インドネシアはまだ発展途上というところかな。

 

なんでインドネシアか、というと、ジャカルタにいるおにいちゃんは来年あたり日本に帰ってくるので、その前に遊びに行かなくちゃと思ったからです。

おにいちゃんが赴任していなければ、インドネシアなんて名前しか知らない国でした。

 

ジャカルタの空港に着いたら、まず米ドルで25ドルでビザ料を払って云々とおにいちゃんからメールで教えてもらっていたのに、たくさんの人が並んでいるあとについているとインドネシア人の列。

引き返して、あちこち聞きまくって行ったり来たり(~_~;)

みんなこわそうな人だなぁ、大丈夫かなぁ、だまされてるんじゃないかなぁ、と内心不安だったけど、それに、時間はかかったけどなんとかパス。

その入国管理のちょっといかがわしそうなおじさんに「ありがとう、ってインドネシア語でどういうの?」と訊ねると教えてくれました『テレマカシー』

以来、ことあるごとに使おうとするのだけれど、たった5文字が口をついて出てこないのです。

これほど覚えられなかった「ありがとう」は初めて。

年のせいかもしれないけど、でも「テレ・・・・・」と口ごもると、にっこり「テレマカシー」と皆、かえしてくれるのでした。

 

時間がかかったおかげで、くるくる回っている荷物を待つこともなく(スーツケースはもうすでにコンベアーから降ろされて端っこにちょこんとありました)、税関も同乗の人たちはほとんど終わっていたのですぐに済み、おにいちゃん所望のワイン(見つかると没収されるけど、罰せられることはない、とおにいちゃんがいうので、いわば密輸)もチェックされずに出ることができました。

おにいちゃんのアパート(アパートといってもぼくんちより広い!)から見たジャカルタの街、遠くに都心のビル群が見えますが、上空は晴れていてもいつもどんより曇っているそうです。

 

翌日とその翌日はゴルフ。南半球でのゴルフは2度目(えっへん)

さすが、ティマークはドリア!

お客一人にキャディが一人付きます。キャディさん付きゴルフは久しぶりのおかあさんでしたが、若くて可愛いだけのキャディさんでちっとも役に立ちませんでした。おとうさんとおにいちゃんには、それなりのキャディさんだったのに、一人は見習いのようなのでしょう。

カートはこんなにかわいい。

ゴルフ場の池で子どもが遊んでいる、のどか、、、ではなくて、池におっこちたボールを拾ってロストボールを売っているのでした。

 

4日目からバリ島で3泊しました。ずっこけ、つづきます。