ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

私としたことが!

2018年08月26日 13時21分00秒 | ひとりごと

今年の秋は、ドナウ川のクルーズに行く予定をしていたのですが、日程が合わず、オーストラリアのパースに行くことにしました。まるで方向は違います!!

大体、ドナウ川といったって、どこからどっち方向に流れているのかも知らないのですが(苦笑

さて、旅行社にツアーの申し込みをしましたが、ビザ(ビザではなくETAというらしい)は自分で取るつもりでした。

ETAのオーストラリア政府への申請手数料は20オーストラリアドル、1600円くらい。それを旅行社にたのむと3000円あまり。当然、元旅行代理店社員だったおかあさんは自分でできると思っていました。去年のニュージーランドだって、一昨年のアメリカだって、ちゃんとできましたもん^^

20年以上前になりますが、確かオーストラリアは大阪の総領事館で申請したような記憶があります、当時は数次ではなくて、1年か2年後の渡豪のときも再度、申請しました。

今はなんでもインターネットの時代。最近のアメリカもニュージーランドも、今回ほど手ごわくはわかったのですが。

旅行会社の案内にはETAを自分で取るのは、インターネットで、としか書いていません。だって、自分の会社で手数料を払ってほしいですものね。

まず、オーストラリア、ETAと検索すると、最初にでてきたのが、[広告]付、これは違うみたいと、数行下の[広告]マークの無いのをあけると、同じ画面でした。あ、オーストラリア政府も広告料を出して呼び込んでるんだと、勝手に解釈。これがいけなかった、、、

まずは、おかあさん、自分の分から。どんどん、必要事項を記入して、(日本語バージョンとなってるけれど、知らない英語が出てくるたびに行き詰まり、翻訳ページに行ったりで四苦八苦)ようやく、カード支払いを済ませました。なんの疑いも無く!!

じゃ、次はおとうさんの分を。さっきは[広告]マーク付のほうだったけど、同じ画面だし、今度は[広告]マークが付いてないほうからやってみました。2回目はすんなりと、カード支払いまで到達。ところが、申請者本人とカードの名義人が同じでないと通りません。そんなはずは無い、カード名義人が本人以外の欄もあるし、おかしいなと思いつつ、それでも、まだ、何の疑いも無く、おかあさんはおとうさんに電話して、彼のカード番号とセキュリティ番号を聞き出しました。

そして、ふと、端っこに¥6480の数字が見えたのです。ようやく、これはオーストラリア政府のページではないことに気がつきました。

クレジットカードを、どこの誰かもわからないところで記入してしまったのです。まず、カード会社に電話しました。これが、なかなかつながらない。おまけに、居間の電話の子機はこのところ充電機能が落ちていて、携帯電話から。(2階の親機の部屋は暑いし)

10分以上も待って、ようやくつながった先はなんとも鷹揚な。こっちはあせってるのにー。

「お客様がお支払いになったのですから、その支払先が取り下げないとキャンセルはできません。お客様から、先方にその旨お伝えになって取り消しする方法しかありません。」

その先方がどこの誰かもわからないから電話してるんじゃありませんか!!

じゃ、お調べしますので、と待つこと数分。6480円の請求はあがっていますが、どこからかはまだ不明です、とのこと。

とりあえずは、もう、そのカードをもう使えなくして、再発行をお願いしました。なので、これ以上の被害はでないと、ほっと一安心。

で、旅行会社に電話で問い合わせ。

説明が不十分で申し訳ありません、と一応は謝ってくれました。

で、一緒にパソコンの画面を見てくれて、「オーストラリア、ETA 」じゃなく、オーストラリア政府をまず開いて、、、ほんとうにわかりにくいところから申請の画面が出てきました。

しかし、今回の旅行会社はJTBだけれど、問い合わせ先は熊本でした。そういえば、去年、iPadですったもんだしてたときも、東京だとばかり思い込んでいた相手は仙台だった。

その政府の申請窓口で、おかあさんはまず自分のETAが登録されていなくて愕然としながら、おとうさんのを申請しました。やはり、たいした英語力ないおかあさんはここでも、かなりの苦戦(汗)、でも、なんとかやり終えました。

18$のメールを受け取って申請が受け付けられた確認をしました。さて、自分の分も申請しなおさなくては、と、念のために確認画面にいくと、ちゃんと受理されていたので、まったくの詐欺ではなかったようです。時間を置かないと反映されない、みたい。

メールには、あなたのETAはこちらのデータに記録されているから、エアラインやイミグレーションでも大丈夫です。パスポートにビザのラベルは必要ありません、というようなことが、、、多分、書かれているのだろうと思うけど、、、心配だな。

私の周りには、それほど語学力も無く、それほど海外の知識が無くても、パッケージツアー(この言葉も最近使わないみたい、、)じゃなく、自分でエアーもホテルも手配して楽しんでいる人が結構いるみたいだけど、おかあさんにはできません。

昔、ビザの申請書を持って、大阪や神戸の大使館や領事館に行ってた、と言っても、ああ、半世紀も前のことだからね。

写真のクロワッサンは、例によって、おねいちゃんがパン教室で焼いた、高~い、パンです。チョコ入りとチョコ無しを3個ずつ。

今朝、おかあさんはチョコのクロワッサンを食べ、おとうさんとおねいちゃんは普通のクロワッサンを食べました。おねいちゃんはチョコ入りを1個持って帰りました。あと、1個ずつあります。

おねいちゃんは「明日の朝は、おとうさんにチョコをあげてね。」とおかあさんに言いましたが、おかあさんは、うんと返事しませんでした。おかあさんはチョコが好きだからです。

おねいちゃんは、おとうさんが好きなんだね。

 

 

 


秋立ちぬ

2018年08月08日 15時07分53秒 | ひとりごと

お盆の前のお墓参り、郡山と奈良に行きました。

懐かしの郡山城址はかなり面影が変わっていました。

天守閣跡には、この暑いのに若いアベックさんがべったり、しかも長い間くっついて楽しそうにしていました。 恋人もいそうにないぼくのおねいちゃんがちょっとかわいそうでした。でも、おねいちゃん、ぼくはいつもおねいちゃんといっしょにいるよ。死んだら、どこへだって行けるんだから。

 おかあさんは、自分の高校時代のボーイフレンドを思い出していました。何度かいっしょに来たのか忘れていましたが、夏の暑い盛り、ここに来たことは確かにあります。松本清張の小説を貸してもらったような??胸きゅんのはずなのに、そんなことを思い出していました。青春の城下町です。

 

 それから、奈良のお墓参りを済ませて、奈良公園に。

奈良公園では鹿たちも暑そうでした。そういえば、ぼくは鹿がちょっとこわかったんだな。口の中でうー、って吠えてたけど、人には聞こえないようにしてた。農林センターの牛だって、最初にあったときはびっくりして後ずさりしたもの。

女の子の鹿がちゃんとした角の牡鹿(角の節といいうか、分岐している部分、で年齢が推測できると、今年、北海道の鹿を見て教わったけれどもう忘れています。多分、2,3歳以上だね)の耳や喉の辺りをなめなめしていました。うっとりした目をしていました。普通は牡が牝にするんじゃないかなと、逆のような光景でしばらく見とれていました。

 

 

郡山城址でだったか、奈良公園でだったか、はっきりしませんが、たしかにツクツクボウシが鳴いているのが聞こえてきました。おねいちゃんが最初、聞きつけました。そうやね、ツクツクボウシは夏休みの終わりごろに「シュクダイしたか~、シュクダイしたか~」って鳴くのにね。

夕方、おうちに帰ってくると、やっぱり、どこかでツクツクボウシが鳴いていました。

普通だと、立秋のころが一番暑いはずなんだけど、今年は早くから暑かったから、そろそろ、天の暑さも尽きてきたんだろうか?今朝はクーラーで締め切った部屋の窓を開けると、外のほうが涼しかったもの。

暦を調べると、昨日、8月7日が立秋だったようです。

今朝からボランティアのお仕事をちょっとやって、さてとクーラー無し、扇風機だけでお昼寝しよう、と。