ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

信州の親戚のような

2016年07月25日 17時49分48秒 | 旅行

その晩はなつかしいマスターのお家へ。

スキーシーズンは栂池高原でお店をやっていたのですが、もう息子さん夫婦に任せて、でも、まだ御隠居でもない。塗装やさんをやっています。(雪国には塗装業が不可欠みたい。長野オリンピックのジャンプ台はオレんちが塗ったずら、と自慢しています)

白馬で一番おいしいお蕎麦屋さんはまだ営業していませんでした。あと、1週間くらいで、と、残念。次においしいお店に連れて行ってもらいました。

「われはよう飲んだずら」

「そうでしたぁ?でも、今はもうそんなに飲めない」

マスターはお店をやっていていろいろなアルバイトや居候がいたけれど、また会ってみたいと思う5本の指に奈良(おかあさんは、当時、奈良に住んでいたので”奈良”と呼ばれていました。今も電話するときは”もしもし、大阪の奈良です”)は入るんだな、となつかしそうに言ってくれます。

そんなうれしいこと言われて気を良くしたおかあさん。奥さんはお酒を飲めないのでにこにこしながら、なんやかや食べています。マスターは糖尿病でお酒はダメなはずなのに、お店の人にも、もうこの辺でやめといたらと言われるくらい、二人で”ちょっぴり”飲んでしまいました。

 

翌日、みそら野のペンションからおとうさんがお迎えに来てくれました。奥さんは私たちを田んぼの跡地に挿し木をしていったというブルーベリーの畑に連れて行ってくれました。今年の初収穫ということで、もうできているかな、と。

そういえば、ずっとまえにお邪魔した時、おかあさんはとうもろこし、っててっぺんのふさふさしているところに生る、と思っていると言う話をして、笑われ、じゃ、トウモロコシ畑にと、連れて行ってもらったことがありました。段ボール箱いっぱいのトウモロコシのおいしかったこと。

ブルーベリーも木になっているのを摘むのは初めてです。お孫ちゃんや、他の親戚の人の分もあるし、と少しは遠慮しながら、でも、けっこう図々しくたくさん収穫してしまいました。奥さんは車で家まで帰る途中、会う人、会う人に「これ、初物~」と惜しげもなくおすそ分けしています。ああ、これが田舎のいいところ。もっとも、奥さんは東京の人ですが、もうすっかり土地の人になっています。

ああ、楽しかった。 

 


信州 2日目

2016年07月21日 23時02分15秒 | 旅行

無言館から上越自動車道、長野オリンピック道路を経て白馬みそら野までは約1時間くらい。

おとうさんのお友だちは定年退職後にペンションを買って、奥さんと二人でやっています。山が好きなご主人とお料理が好きな奥さん、だからやっていけるのでしょうけど、きっと、しんどいだろうな、なんて思ってしまいます。

古いけど、可愛いペンションでした。           お食事はボリュームがあって美味しかったです。が、例によって、最初は写真撮るのですが、食べるのに夢中であとは撮れていません。夕食と朝食、ペンションでは当たり前かもしれませんが、テーブルクロスが替わっています。

で、次の日のお昼過ぎにクラスメートが来るので、おかあさんはその前に、若いころスキー場で居候させてもらっていたお宅にお邪魔するつもりでいたのですが、話をきくと、クラスメートたちはその日、白馬の駅に集まって、そこから五竜のお花畑に行く予定と。あら、それ行きたい、とおかあさん。晩のお食事会にはもちろん出ないから、と。

それで、みんなが来るまでの間、白馬の麓をドライブしました。     大糸線には無人駅がまだまだたくさん、郷愁をさそいます。     そしてなんと、車のフロントガラスにバッタ(?)が数kmものあいだ伴走してくれていました。 

  最後に長谷寺(ちょうこくじ)。ここは40何年も前、スキーに来た時に泊めてもらったことがあって懐かしいお寺です。大晦日の夜、和尚さんがみんなにお話しをしてくれました。「何億という精子とたった1個の卵子がであって一つの命になるんだよ。」 今はもう、その和尚さんもいらっしゃらないでしょうが、代替わりした奥さんかな、黒い服を着た女の人が鐘をついていました。この日、このお寺でお葬式があったので、それでかもしれません。そばで眺めていたら、その奥さんが鐘をつかせてくれました。よかった、いい思い出になります。

白馬の駅の近くでお昼を食べて(お寿司屋さんの昼定食ですが、これがリーズナブルなお値段ですごく美味しかった。特筆!)駅にお迎えに行きます。いつものように、すぐに誰とでもお話しできるおかあさん、クラスメートのような顔をして10人ほどのグループといっしょにゴンドラとリフトを乗り継いでお山へ。

           

すっかりみんなと仲良くなってしまいましたが、夕方は別れておかあさんは久しぶりの白馬のマスターの家に向かいました。

 


無言館

2016年07月21日 00時44分10秒 | 旅行

5月ごろでしたっけ、おとうさんが高校の同窓会で、同じクラスだった人が信州のみそら野でペンションをしていて、そのペンションでプチクラス会の話が持ち上がったということでした。

しばらくして案内状がきました。まだお仕事をしているおとうさん、どうしようかなあ、俺の仕事の休みの日(火)に合わせてくれている、と。

即座におかあさんは「行き、行き。お店なんか、いつもの”勝手ながらお休みします”でええやんか」と。

もちろん、自分も信州に行きたいからでした(?)。

 

今から10年ほど前に京都で『無言館』の展示会を見ました。そのとき、はじめて、戦没画学生慰霊美術館が上田市にあると知って、いつかは行かなくちゃと思い続けていました。

7月5日(火)がそのペンションでのプチクラス会。なので、前日の月曜日に大阪を出て、上田市に向かいました。

上田と言えば、今は話題の真田城。人も車も混雑してるかな、と心配でしたが、何のことは無い、『無言館』はひっそりと木立の中にありました。

           特に身内がいるわけでもなく、なんとなく 行っておかなくてはと思っていただけでしたが、絵を見ているうちに急に鼻水が出て止まらなくて、ティッシュ、ティッシュ、で間に合わなくなり、ハンカチもぐちゃぐちゃになるほどでした。なぜだかわからないけれど、息が苦しくなって涙がとまりませんでした。 

外に出てみると開かないポストがありました。