もう数日来、テレビなどで今日の皆既日食のことを報じていて、専用のメガネでないと目が悪くなるとか。
そのメガネの調達もできないまま、でも、今夜は雨が降ってる、きっと明日も太陽は出ないかもしれないし、そのうえ、おとうさんが「テレビでも撮影したのをやる」というので、それならメガネも必要ないわと思ったおかあさんでした。
今朝、おねいちゃんが「見える、見える」と隣の部屋で叫んでいました。
どうやら晴れていたようでした。
ぼくもおかあさんも、うつらうつらと聞こえてはいましたが、そのままベッドの中にいました。
夜、おとうさんが言ってた飛行機から撮った皆既日食をテレビで見ました。
たしかにこれならメガネも要らないし、よく見えるし、1万何千メートルからの光景はそうそう見られるものではありません。
でも、実際に見て「感動した!」と言う人々の顔をテレビで見ると、やっぱり本物を見なかったのは落ちこぼれだ、という気がしてくるのです。
じかに見た感動を味わえなかった、それを見ることのできる環境にいながらのくやしさ、(自分の朝寝坊を棚に上げて)おとうさんの一言のせいにして恨んでいます。
おかあさんは子どもの時に下敷きかなんかで見たような気がするのですが、でも、それほどの感動だったのかどうか、、、
みな、同じように言うのでそんな気がするだけで、ちっとも覚えていません。
もう赤くなったかなと見てみると、皆既苺になっていました。。
なんてやさしい響き。
こごみちゃん、なんて名前も今はありそうだな。
最近ではスーパーでもたまに見かけるようになりました、流通手段の発達のおかげでしょう。
生協さんのカタログにも載っていたので、初めてこごみを自分の手でゆがいたのでしたが、あの懐かしい味とはちょっと違うように思いました。
おかあさんは若いころ、スキー場のスナックで居候をしていたことがあるのですが、そのお店の25周年記念パーティに招待されたのが15年ほど前の5月の連休のころ。
ということは、スキー場にいたのはもう40年も前のことになります。
初代居候ということで厚遇され、記念パーティのあとも、春スキーを楽しみ、マスターのお家に泊めてもらって数日を過ごしました。
そこで初めてこごみと出会いました。
特に味が気に入ったわけでもなく(もともと何の癖もない)、形のかわいらしさと物珍しさだけ覚えていたのです。
その記念パーティのあと、夏にゴルフをしに家族で何度かお邪魔しました。
そのお礼にと盆暮れには、マスターの好物のそうめんを贈ったりしていました。
年賀状のやりとりと、贈り物のお礼の奥さんからの電話くらいで、ここしばらくは行っていなかったのでしたが、一昨年の暮に喪中のはがきが届いたのです。
差出人はマスターの名前で、でも、誰が亡くなったかも書いていませんでした。
もう、暮ぎりぎりで切羽詰まってのことだったからでしょう、でも、おかあさんはもしや、一番大切な人を亡くされたのでは、と勝手に思い込んでいました。
年が明けて、すぐに電話でもすればよかったのに、ぐずぐずしていて、なんだかこわくて連絡がとれませんでした。
夏、そうだ、そうめんを送ろう、奥さんなら、きっとお礼の電話をしてくる。
・・・電話はかかってきませんでした。
もうだいぶ前から、そのお店は息子さん夫婦が後を継いでいます。
おねいちゃんが、ケンケン(息子さん)が母の日に一緒に出かけたとfacebookに書いてるけど、奥さんの方のお母さんかもしれないしね、と。
高校生だったおねいちゃんはその25周年記念のときに、おかあさんと一緒に行って以来、2代目居候をやったのです。
じゃ、そこでケンケンに訊いてよとおかあさんが頼んでも、そんなんいややー、とおねいちゃん。
マスター夫婦は秋に結婚式を挙げて、その冬からスキー場でお店を始めたのでした。
マスターは気はいいけどクマゴローみたい、奥さんは東京から山登りに来て知り合ったというモデルさんみたいな美人でした。(ただし、結構気が強くてしっかりもの)
居候といえども同志のような間柄でもあり、居候同士とのいろいろな思い出、スキーインストラクターとのロマンス(だったのかな?)、風邪をこじらせて急きょ山を下りて入院、、、
こごみはいろいろなことを思い出させてくれました。
今回の塗装工事の間、玄関のポーチの柱に巻きつけていたバラの木は柱から引き離され束ねられていたので、今年はもうお花はダメかなとあきらめていたのでしたが、苦難を乗り越えて、少しだけですがきれいに咲いてくれました。
ぼくんちの左隣はずっと空き地だったのですが、1年少しほど前にお隣りも家が建ちました。
それまで何の気兼ねもなしに、ぼくんちの木や草花たちはフェンスを越境していたのでしたが、これを機会にとバラの木用にアーチをとりつけてもらうことになりました。
でも、今までと同じ向きではやはりお隣りのほうに枝が伸びて行くので、向きを変えて。
気がつくと、いつのまにか、さくらんぼの実がたくさん色づいていました。
おかあさんは熟した実を口に放り込んでは種をぺっぺと吐き出していました。
唇に残るべったりとした甘さがなまめかしくてエロスを感じるわぁ、などと一瞬、詩人になったりもしていたようです。
ぼくも一つだけもらいました、たくさん食べるとおなかをこわすからだそうですけど。
ほんとはおかあさんは桜の木を植えたかったのですが、植木屋さんにも反対され、それでもホームセンターで小さな苗木を買ってこっそりと植えたさくらんぼの木です。
10年経ってもまだまだか細いですが、こんなにたくさん、しかも美味しいのは今年初めてのような気がします。
>空白の部分を考える、それが私の喜び ・・・ 松本清張
https://cgi2.nhk.or.jp/etvcafe-nclub/index.cgi
ブログ友さんに教えていただいたNHK‐EテレCaféのクイズを楽しんでいるおかあさんです。
そこに、ゲストがひとこと言うコーナーがあって、なるほどなぁと、こちらも楽しみです。
テレビでドラマや映画を見ていて「あ、次は~~が出てくるよ」「犯人は〇〇やわ、きっと」なんて言うので「うるさいなぁ、黙って見ろ」とおとうさんに言われるのですが、おかあさんの想像する楽しみはとまりません。
この連休中もぼくんちはいつもと変わりないのですが、コーラスやテニスの練習はお休み。
でも、昨日はボランティの朗読のお仕事はあって、緊迫したムードの1日でした。(今、気付いたのですが、朗読の朗はほがらか!)
全然、朗らかではないボランティアで、、(いつかこれも書こう、書くと忘れてしまえるから)
一昨日は映画『アーティスト』を見てきました。年に1回くらいしか映画を見ることはないのに、4月に『鉄の女』を見たばかり、異例のことです。
家に帰ってぼくの顔を見るなり、忠誠心の無い子やわー、とおかあさんはつぶやいていましたが、映画に出演出来るくらいの子と比較はしてほしくないものです。
映画もブログ友の影響かもしれません。たった年に2本だけれど。
それからブログでは本の話題も盗んでいます。
読んだ本もすぐ忘れてしまうので、これも真似してブグログ「ももすけの本棚」を作りました。
しかし、レビューも書いていないし、もちろん誰も来ないからコメントもなく空白。
ぼくのおかあさんは読んだ本の中で気に入った文章をメモするくせがあるのだけれど、そのメモを保存しておくくせが無いのです。
たまたま手許にあるのは
>そもそも相手が自分を尊ばないと言って腹を立てるのはまちがっている。尊ばれない己が身を省みるべきなのであった。相手が自分に礼を尽くさない、目下の目上に対する礼を失している、となじるのは、それだけで礼を尽くされない理由になっている。
自分の空白を埋めていくのも楽しみになるといいね。
去年はすごい勢いだったので無造作にばっさばっさと切り捨ててしまった藤、今年はたった一房しか咲いてくれなくて余白ばかりです。