ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

引っ越し先です

2012年02月26日 11時22分00秒 | 日記
このCaféも、あと3日になってしまいました。

すでに、どんなんかなぁ、と、途中で移行作業をしていましたので、あっちに行ったり、こっちに来たりと、混乱させてしまったこともあります、ごめんなさいね。

ぼくは最後の日まで居続けるつもりですが、ご挨拶は先にしておきます。
もう、これっきりになってしまっては悲しいですから。

http://blog.goo.ne.jp/momosuke2sei

まだ、試行錯誤を繰り返しています。
壁紙はどんなのにしようか、とか(gooはたくさんあるので迷いますが、でも、これはと思うようなのもない)、ブックマークを勝手にしちゃったり、とか。
無料版で50個までブックマークが出来るそうですので、お許しを得ずにさせていただいています(自分のページをされているのを発見したときはうれしいので)。

Café終わり近くなって、新しいお友だちが出来たこともうれしいことです。


2002年10月13日、17:19から、今までに158140の足跡をもらいました。

世の中にはネットでの事件や、このCaféでも中傷があったりなどと聞きますが、さいわいにも、ぼくはそんなことは一度もなく、どなたかも日記に書いていらっしゃったのですが、まるで学校にいるような安心感がありました。

まだ、日記にコメント欄がなく、どうしたら掲示板を作れるか、どうしたらかわゆい背景になるのか、と思っていたら、親切に丁寧に教えていただいたこと。

写真の貼り付け方や、枠の作り方や、動かし方、いろんなタグも教わりました。(もう、すっかり忘れてしまったけれど)

もう、何年も音信の途絶えているお友だち、彼女はぼくにとってCaféの先生でした。
1年間で4回も手術をした、とメールがあったのだけれど、、

Hさんちで読んだ、ぷうさんの日記や掲示板にも感動しました。


ありがとう、Caféのお友だち、Caféを通じて知り合えたお友だち、そして、こんないい場所を提供してくれていた、OCN Caféのスタッフのみなさん、感謝の気持ちでいっぱいです。


photo by momosuke2sei from OCNフォトフレンド





旅の終わり

2012年02月24日 12時22分00秒 | 日記

さて、2月8日、リスボンの空港を朝の6時に出発しました。
空港まで20分くらいのホテルだったのですが、どんなに早く起きなければならないか想像しても、普段のおかあさんなら気が遠くなるはずです。



満月に近いお月さんが煌々と、間もなく沈みそう。地上のオレンジ色の光が印象的でした。(スペインもポルトガルも街灯はこの色に統一されているようで、どこもとてもきれいでした)

2時間半後、パリは雪でした。

  

ちょうど、ヨーロッパに寒波が来ていて、最初のバルセロナではトルコからフランスにかけて大雪のニュースでした。

おかあさんがいたマドリッドは快晴だったのに、翌日のグラナダではテレビで雪の積もっているマドリッドが映っていました。

雪でシャルルドゴール空港で一夜を明かしたという他のツアーと旅の途中に、出会ってもいました。

予定ではパリで乗り継ぎ、関空に向かうはずでした。。
しばらく待たされていたので、もう、お互いとても親しくなっているツアー仲間と、雪のせいかしら、などと話したりして待っていると、ようやく搭乗券の発券手続きを済ませ、、、

でも、その後、ツアーガイドのお兄さんが険しい顔で、みんなの待っているところにやってきて

「予定の関空行きのエアフランス機が飛ばなくなった」*(びっくり2)*
その日、エアフランスでは、4分の1の便で機長のストライキがあったのだそうでした。
アテンダントやほかのスタッフはストが回避になるぎりぎりまでスタンバイしていたのだったそうですが。(だから、搭乗券の発行もしていた)

何時間待っていたか、もう、おかあさんは忘れていますが、ようやくのこと、大韓航空に乗ることが出来ました。

ソウル着、ここではトランジットにまたもや数時間。
インチョン空港は日本の女性がブランド品をお目当てに買い物をするので有名らしいです。

かなり疲れているはずのツアーの仲間たちでしたが、それぞれに、また、お買い物の袋が増えていました。
おかあさんは、といえば、スタバのコーヒーを持って喫煙ルームへ。

もっとも、何時間もあったので、プラダのバッグはリスボンのほうが安かったな、などと、やはり、あちこちは見て回っていたのですよ。

とにかく、12時間ほどは遅れましたが無事関空着となりました。

それでも、20数名の団体をちゃんと日本に連れて帰ってきたくれたツアーガイドさんに感謝です。

ツアーガイドはどんな不測の事態がおころうとも、お客さんを安全に帰国させなければなりません。

おかあさんは40年前、アメリカの大統領として初めて中国を訪問したニクソンさんがグアムの飛行場に着いた時、添乗員をしていたのでした。

空港は全面、数時間の閉鎖。
その日、羽田(成田はもちろん、まだありません)に向けて帰る予定だった団体さん17、8名は大阪まで帰らねばなりませんが、羽田~伊丹の国内線には間に合わなくなってしまいます。
JALではなく、パンナム(これも、今は無く)、英語でどうやって難局を切り抜けるか胸をどきどきさせながら若かったおかあさんは、パンナムのカウンターに向かったのでした。

何のことはない、日本語の話せるアメリカ人の係員がいて、当時出来たての京王プラザホテルを用意してくれたのでした。
自慢しぃのおかあさんの武勇伝でした~

その後も、少しも成長していないおかあさんのおみやげです。



今回の旅行では774枚も写真を撮りました。
一部ですが、フォトフレンドにアルバムを載せていますので、このページの写真をクリックしてご覧ください。
アルハンブラ宮殿のライオン(猫みたいですが)や、グエル公園のタイルのベンチやら、パトカーやら。

旅日記・おしまい。




いつものくせで、、、

2012年02月22日 11時37分00秒 | 日記

早く旅日記を完結させて、OCNでのCafé生活を整理しなくてはならないのに、いつもの癖でほかのことをしてしまう。

gooはどんなだろうか、とか、ときどき移行作業したりして時間を無駄使いしている。。

でも、今、思ったことを書きとどめておきたい。

経済の難しいことはわからない。

でも、昨日のマツダのニュースでなんだかヘンと思ったのはぼくだけだろうか?

トヨタや日産はさっさと海外に生産拠点を移して、それでも赤字になるほどの円高。

国内生産にたより、生産の80%を輸出していたマツダは大変なことになっているらしい。

マツダの社長さんは対応が遅かった、と認め、海外への工場進出をと。

でも、日本を愛するなら、日本で生産して、日本人を雇用をし、いい品物を作って、日本も繁栄するのではないか、と単純に思う。

鎖国は日本を世界から遅れさせたけれど、徳川幕府は日本を本当に愛していたのかもしれない。

ブータンの人たちの『幸福度』を思う。

日本人がプリウスばかり買わないでマツダの車を買ったら、、、
ぼくのおかあさんはなんとなくマツダは好きじゃなかったけど、今はいとおしい気がしています。

そういえば、40年以上も前、おかあさんのボーイフレンドの一人(今のだんなさん)はマツダルーチェに乗っていたのでした。

今年のバレンタインディにはメル友さんへのチョコメールもすっかり忘れていました。

もし、もしも、この日記をよんでくださっているなら、ぼくからお詫び申し上げます。
おかあさんがおねいちゃんからもらったちっちゃなチョコです。



リスボン~シントラ~ロカ岬

2012年02月22日 01時13分00秒 | 日記

いよいよ最後の観光の日です。

リスボンから40km(長いバスの移動に慣れて、40kmなんかへいっちゃらに)
歴代国王の夏の離宮だったというシントラ宮、
それから少し行ったところにヨーロッパ大陸最西端「ロカ岬」

昔、この海の向こうは滝になっていて、そこまで行くと落っこちると信じていた人たち、今の教育を受けていなければ、おかあさんだって海を見てそう思ったに違いありません。

でも、のんびりそんなことを考えてはいられなかった。

すごい風で、大切な帽子もバッグにしまって、髪の毛は逆立ち、コートはまくれ上がって、あまり端っこの方まで行くと、それこそ大西洋に落っこちていきそうでした。

一生の思い出になることでしょう。
到達の証明書

再びリスボンに戻って、またまた世界遺産「ジェロニモス修道院」

大航海時代の「発見のモニュメント」の公園広場にはタイルの世界地図がありました。
1514年の日本も。

最後の晩餐はあんこうのリゾットでした。


翌朝、リスボンを発って帰国の途につくわけですが、これからが少々大変でした…




セビージャ~リスボン

2012年02月20日 11時22分00秒 | 日記

セビージャにはコロンブスのお墓のあるカテドラル、スペイン最大の世界遺産にも行きました。

でも、おかあさんの目線はこんなところ…
これって道路標識?



セビージャのゴミ箱



セビージャのおまわりさん


縮小しているのではっきり見えないので残念ですが、とってもハンサム。
写真を撮った後、手を振ったおかあさんに、やはり手を振って応えてくれくれたのです*(ハート3つ)*

セビージャのタクシーはプリウス


おかあさんたちの観光バスはベンツ、パトカーはプジョウ


セビージャからポルトガルのエヴォラという町へ。

今まで名前も知らなかった町ですが、やはり世界遺産の歴史地区。
覚えているのは、出店の焼き栗を買って食べたことや、広場のベンチに(多分)何時間も座ってたわいもない話を真剣に語り合っているお年寄りたちのこと。
そんなおじいちゃんたちといっしょに写真を撮らせてもらったことが思い出です。

セビージャからリスボンまでは470km。

さて、いよいよ、今回の旅のとっておき『哀愁のファドディナーショウ』リスボンの夜です。

食事をしながらだったので明るいのは仕方ないけど、小太鼓もあったりしてポルカのよう。
明るいファドを聴かせてもらったのも、また、運命ということでしょう。。