先週の火曜日に娘が胆嚢除去の手術、そして1週間後の今日、夫が椎間板ヘルニアの手術!
同じ病院なので、同じ週にしてください、と頼んでみたけれど、それは無理だった💦
今はコロナのせいで病室にも家族は行けない。
手術の前後、手術室の前でちらりと会うだけ。
なので、麻酔は手術室に入ってからのようだ。
手術の間、家族は一人だけ(ほかの家族は二人付き添いもあったので、重篤さ、かもしれない)待合室で待つ
待つのはコロナでなくても同じだけれど、病室では待てないのだ。
先週の娘の時は、午後の手術だったので、一組(2人)の家族と一緒だった。私は、娘が病室から歩いて降りてきたのでびっくりした。てっきり、ストレッチャーで運ばれてくるものと思っていたから。
3時間ほどたって、先生がヤクルトくらいの大きさの瓶にカラカラ音を立てて、胆嚢のなかにあった胆石を見せてくれた。すごいたくさん‼おそらく小さな胆嚢の中に犇めいていたのだろう。そして切り取って開いた胆嚢もまるで虫の標本のようにピンでとめてあるのを見た。
手術は無事終わりました。麻酔が覚めたら、また呼びますから、と医師が立ち去った後、一緒に待合にいた家族が「良かったですね!おめでとうございます。」と声をかけてくれた。それから、しばらく待つ間に、その方たちと話をする。午前中から、頭の手術ということで長い時間がかかっているらしかった。その後、どうなさったか。。
今日は朝9時の手術だったので、ほかにたくさんの家族が待合にいて、だいたいは無言。
でも、ちょっと目があったりすると話好きな人は話しかけてくる。話好きは私もだから。
斜め前に座っていたおばさんと目が合った。関係が一瞥でわからなかったけれど、私の推理では患者のお母さんと、その娘さんのお婿さん、かな?大腸にポリープどころではない大きな腫瘍ができて、とても内視鏡や腹腔鏡では無理なので開腹手術とのこと。
と、看護師さんに名前を呼ばれ、出ていくと、やはり夫が立っていた。「頑張ってね!でも、あなたが頑張るんじゃないわねー」夫は苦笑しながら踵を返して手術室に入っていった。
2度目といえど、待つ時間は長くて退屈。娘の時は本を1冊読んでしまえたけれど、今回はもう目が疲れていて続かない。この病院は近代的なのに(建物とか新しい)Wi-Fiが無い。ほかの人はほとんどスマホをいじっていたけど。
病院内もむやみに歩けなくて、手術室の階もそれほどの距離はないのだけれど、ゆっくりとぶらぶら歩く。
しばらく歩いて待合の長椅子に戻ると、汗を拭きふき、持ってきた荷物をあれこれ見ているおばさんが片方に座っていた。軽く会釈をして腰を掛けると、”話好き”らしきその人は、まだ汗を拭きふき話しかけてきた。
来年の1月で91歳になること(とてもそんなお年には見えない、60代でもおかしくないくらい)、息子が肩が痛いので今日の手術になったこと、ずっと昔にこの病院に看護師としてではないけれど務めていたこと(おそうじのおばさん?それとも、今でいう介護助手のような?)、夫はもう亡くなっていないけど、夫はこの病院の向かいの府立病院で働いていたこと、そこの売店にいたこのおばさん(当時は若い、もちろん!)は、誰かに紹介されて彼と結婚したこと、結婚後は移転する前のこのS病院で働いていたこと、そして現在の場所に移転後も働いていたこと、このS病院が移転したのは14年前だっとこと、、、
いろいろ聞いているうちに、ふっと思い出す顔が浮かんできて、このおばさんの顔と重なった!
9年前、この病院にいました?と訊くと、いた、と。
そうだ、すっごくえらそうにしていたおばさん!でも、私にはなぜかとてもやさしくしてくれた!
首から下、全く動かない状態だった私。。。
足が少し動くようになっても、手がなかなかだった。自分ではブラジャーもまだつけられない頃、リハビリにノーブラでは、と、『余裕』が出てきたころに、カップ付きのインナーを娘に買ってきてもらった。お風呂もまだ介助が必要だったし、そのカップ付きを着るのが大変だった。私は手間取らせて、そのおばさんに気を使い、もう、これは着なくていいです、と言ったら、大丈夫と言って、着せてくれたのだった。
当時、同い年くらいのおばさんだと思っていた。年配になってもお元気で働いてはる、えらいなぁ、と思っていたけど、その時すでに80歳だった、なんて!!
話しているうちに、私はこのおばさんが当時の人だと確信できた。彼女はたくさんの患者と接していたわけだから、取り立てて私なんかを覚えているはずはなかったけれど。
手を取り合って、お互いの名前を言い合った。そうこうしているうちに、看護師さんが呼びに来た。夫の手術が終わって、手術室から出てきた、今度はストレッチャーの夫を迎え、そして見送り、待合に戻った。
エンドウさんは言った。「こんなことって、あるのね。今日はきっと良い日になりますね。」