ももすけの日記

化粧水のほのとかをりて初化粧
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

花の色はうつりにけりな

2014年05月15日 18時22分06秒 | 日記

桜桜ともてはやされて、その桜が散った後の花水木の颯爽たる姿

我が狭庭にも貧弱な花水木の木がありまして、その少し咲いているのを発見したときはうれしかったのに、すぐに忘れてしまい

憧れの人が好きと言ってた山吹  フェンスからそっと覗いてアピールしているアプチロン  そのフェンスの裏側で栄養失調状態でようやく咲いていることに気づいてもらったチューリップ  そう、お花はやっぱり人間が見てやらないと

花は咲くのにいつの間にか実をつけなくなった花梨  ドウダンはドウダといわんばかりに可愛くて  白山吹は蝶のような形  植えた記憶もはっきりしないのに庭のあちこちでフリージャー  今年も藤は見事でした 

ほんのときどきしか帰ってこないおにいちゃんが帰ってきたゴールデンウィークには満開のツツジ  ライラックも 

清楚で艶やか、相反するようだけど大好きなバイカウツギ  名前の知らない白い花(でもよく見かけます)    とてもかわいいキュウリ草(この名前だけ最近知りました)など    

それから、イタイイタイ草(これは勝手におかあさんが命名) 数年前から近くの公園で繁殖して、お散歩中の犬たちが被害を受けるほど痛いとげとげが出て、靴底に刺さったとげから芽を出してぼくんちの庭にも

momoが痛がらないようにと去年の秋はせっせと引っこ抜いていたおかあさん

今は増殖するのがいやだから(多分、ほうっておくと庭中イタイイタイ草だらけに)引き抜いてるけど、momoのためにじゃないのはかなしい

お隣に向いてたてられた(最初に植えたところが悪かった)薔薇のアーチ、『cocktail』という名前がすてきな朱色の混じった紅だったのに、あれれー、白い野薔薇に、、、

 

頸椎損傷の後遺症は治りませんよ、と、専門の先生に聞くのは今回で3度目

手の痛みやしびれ、背中の違和感、その他もろもろとは付き合っていくしかないみたい

それでも日に何度となく「体が動く、って、なんてありがたいこと」と感じ、思うままにさせてもらっている家族に感謝

去年の今頃はリハビリ中だったもん

ハコネウツギの好きなお友だち  パリで奮闘しているかな

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顔が見えるか見えないか

2014年05月03日 16時02分20秒 | 日記

先日、おかあさんは昔勤めていた会社のOB会に出かけました。

得意満面でiPadを見せびらかして写真を撮っていました。

すると「そうやって写真を撮って、”今、どこそこの店にいま~す”なんてやるんだろ?どこがおもしろいだろう、理解できないよ」なんて、近くにいた人たちに言われました。Facebookのことでしょうね。

ブログについても、彼らだけでなく、以前にもほかの友人たちに「友だち、って、顔を見て話すのがいいんじゃないの」と。

決して悪意があって言っているわけでも、非難しているわけでもないとは思うのですが、ネットでお友だちと話すことの楽しさを体験したことのない彼らには分かってもらえないようです。

もっとも、顔を見て、というのはとても大事な要素だと思います。

おかあさんは本を読むとき、たいていは最後(本文の最後ではなく、あとがきとか解説とか)のほうから読むのですが著者の写真が載っているとうれしくなります。

最近、松浦弥太郎さん(『暮らしの手帖』編集長)のエッセイを少し読んでいますが、2、3日前の新聞でそのお顔を見て、より親しく思いましたし、本を読むときもイメージするのが楽しくなると思います。

このブログでのお友だち、お会いしている人もいますが、まだ見ぬ人を想像するのも楽しいものです。

いつかお会いできたらいいな~

 

 

 

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「春にして君を離れ」

2014年04月05日 20時40分05秒 | 日記

今朝は昨日よりかなり寒くなり、昨日の春の嵐でもまだ耐えた桜の花びらも震えていそうです。

いやあ、忙しいこの1週間でした。

まず、丹波篠山のお友だちの絵画の個展が3月28日(金)

築120年の町屋カフェを借り切っての展覧会、福岡、名古屋、滋賀からのメル友さんたちとも会え、我が家のようにゆっくり過ごさせていただきました。(なにしろおかあさんも築120年以上の家で育ちましたから)

一目ぼれしてしまった絵がありました。あたたかさが伝わってくるのでした。

 

30日(日)からは湯布院温泉へ。

コーラスサークルのお友だちがご主人の都合で湯布院の近くに引越しをして、行きたいねぇ、温泉へと言っていたら、本当に話がまとまりました。

おしゃれな温泉として有名な湯布院ですが、今はどこも同じようになりつつあると感じました。温泉以外の観光地も。

しかし肥後牛(大分じゃないけど)も鶏肉の照り焼き風のお蕎麦もとり天付き海鮮どんぶりも印象に残る美味しさでした。

旅行は良いお天気で食べ物が美味しければほぼ満点です。

大阪から飛び立ったプロペラ機が到着した大分空港は雨でした。雨があがって金鱗湖散策もできたのですが曇っていました。

ところが翌朝は晴れてくっきりとした由布岳が姿を見せ、うるさいおばさんたちも(大阪から8人、現地1人の計9人)うっとり~

31日(月)はジャンボタクシーにて九重高原の日本一(東洋だったかな?)長い吊り橋を渡り、竹田の岡城址(もちろん、コーラス団員、みんなで「荒城の月」♪)桜もきれいでした。それから、また「東洋のナイヤガラ」と言われているそうな、横に長い滝を見て、湯平温泉へ。

4月1日(火)朝食を食べたお部屋にピアノがあり、全員で歌ったり踊ったり・・・朝からです!

またジャンボタクシーにて別府は地獄めぐり、などなど、を経て大分空港からやはりプロペラ機で伊丹空港へ。

 

翌日はお洗濯だけすませて半日は寝ていました。

そして3日(木)は、またコーラス団全体のバス旅行で犬山城へ。お天気も良く、こちらでも桜は満開

築120年の立派なお家の(しかし市の文化財なので勝手に改修もできない)レストランで創作フレンチ料理をいただいてきました。築120年って、流行っているのかな・・・?

 

そして、昨日4日(金)はリハビリを兼ねている市の体操教室の仲間と近くの大学の公開お花見。

桜のトンネルの下は桜の花びらの川でした。

 

そして、今日、おかあさんはぼくを抱っこしたつもりになって農林センターへ。

美しいものを見ると愛する人のことを電光石火の早さで思い出す、と、、、

おかあさんは愛する犬のことを思い出していました。

ここが「犬禁止」(飼い主のマナーの悪さのおかげで)なんかではなかった数年前まで、毎年、桜の下をおさんぽしてたんだ。桜のじゅうたんが足の裏に気持ち良かったんだ。

そして、去年の今頃、おかあさんは手も足も動かなくて病院にいました。

誘われればよろこんで参加するのは、昔も今も変わりないのですが、参加できることのありがたさをひしひしと感じています。

 

今日の日記のタイトルとは何の関連もないかもしれません。

急に、この本を読み返してみたくなりました。内容はあまり覚えていないのですがタイトルがいいね。

 

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訣別のとき

2014年03月21日 14時44分44秒 | 日記

お彼岸の中日というのに寒い日です。風が強くて、日が照っていたと思ったら霙まじりの大粒の雨が降ってきたり。

 

相変わらずぼくのベッドはそのまま置かれてあり、おかあさんはその毛布(ぼくのうんちがくっついているかもしれない)をときどき、ぎゅっと抱きしめています。

でも、いつまでもこうしているわけにもいきません。

そして49日を思いつきました。

人間と同じように、死んでも49日の間はこの界隈にいるのです。

おかあさんはとても音に敏感になっていて、家の中でコトリと物音でもすると、もしや、なんて思ったり、庭に出て風がさ~っとふいてきても、何か感じたりするようです。

おとうさん曰く「おれが死んでもそんなに悲しまないやろなー」

おとうさんがいなくなると不便で困ると思います。それにやはりさびしいだろうと思います。

でも、何の役にも立たないぼくがいなくなってさびしいのは純粋に愛していたからにほかなりません。

49日は3月23日、もうまもなくです。

玄関もそのまま、お散歩用のバッグやリードや洋服とも訣別です。

でも、おかあさんは考えています。いっとき、「断捨離」すべしとはじめてみたものの、大切なものを失ったような気がして、本当にどうでもいいものにまだ手をつけていない状態。momoのお洗濯してしまってある洋服はそのままでいいわ、誰にも知られないのだし、と。

おかあさんが死んだあと、おねいちゃんが家の片づけをしていてぼくの洋服がでてきたら、きっと、うるうるするに違いないのだから。

 

 

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50年目の卒業式

2014年03月05日 18時14分46秒 | 日記

「卒業証書授与式について」(ご案内)

というハガキが1カ月ほど前に届いていました。

高校はちゃんと卒業したはずだったけど、と思いながら読んでみると

「毎年、卒業されて50年目の節目を迎えられる先輩方にご来臨賜っております。」

わ~、なんてロマン!

もう、おかあさんは絶対出席するつもりでいました。早速、高校時代の6人の仲間に一斉メールをしました。

M子「学校の名前も変わってるし、場所も変わってるし。懐かしいのは古い校舎とグランドを見降ろす石段とかやわ」

あと二人の女子「うん、行こ、行こ」

二人の男子の一人、M君からは電話で「お前、行くのか?ほな、行こかぁ」

もう一人の男子には再度、M君から連絡しましたがあいにく仕事の都合で欠席とのこと。

Kちゃん(もう一人の男子)以外、みんな行く、言うてるで、とM子に言うと「ほな、行こか・・・」

でも、彼女は気がすすまないようでした。

高校のときは8人グループでした。1クラス50人の男女比は3:2でしたが、このグループ(M君の名前からM一家と名乗っていました)は4:4でした。(2人の男子が欠落していますが、また、連絡を取り合いたいなと思います)

それぞれに同性の親友は別にいて、異性の友人も別にいて、なんということなく、それでいていつもたいていM一家は一緒に行動していたような気がします。

M一家はこのお正月にもおかあさんの見舞いをかねてぼくんちで集まっていました。(当時、ぼくの具合がもうあまり良くなかったので、おかあさんはできるだけぼくと一緒にいたくて、うちに来てもらうようにしていました。おかげで、この人たちにもぼくを知ってもらえたし、おかあさんのいろいろなお友だちにもたくさん会うことができたので した)

まるで『色彩を持たない多崎つくる』の高校時代のようでした。あれは卒業後15年くらい、こちらは50年、村上春樹さんに報告せねばならないような気がしますが、今考えても、そして、今も、なんか兄弟のような感覚。お正月、ちょうどおかあさんはこの本を読み終えたばかりだったので、みんなにおもしろい本よと言いました。が、きっと、その後、読んだひとは誰もいないと推測します。

さて、この6人のうち、案内のハガキが届いているのは3人だけでした。Kちゃんをのぞく5人で出席することにしましたが(最終的にはM子も風邪をひいて欠席)、どれだけの同級生が集まるのだろうかと胸ふくらませて、3月1日、あまりなじみもない、でも母校となる高校にでかけました。

その母校は奈良市内から西の京のはずれに引っ越し、伝統ある学校だったのに、姪からは「momo姉ちゃん、今、あの高校の卒業生言うたら、ちょっと恥ずかしいで」とまで言われ、校名も2度も変わっていました。(もちろん、校歌も変わっていました。卒業式に校歌を歌うのは感動的。覚えているかなぁ、歌えるかなぁ、なんて余計な心配でした)

350人ほどいた同窓生のうち、50人1クラスから4人出席ですから、28人くらいは出席しているはず。

誰に会えるかなぁ、と楽しみにわくわくしながら行ってみると、来賓の受付、控室と用意あったものの、私たち以外にはあと3人でした・・・〇○。。

「恥ずかしい」ほど低落した高校にしては、卒業式での生徒の動作はきびきびして、返事もはっきり、好感が持てました。自分たちのときのほうが、よほどなれなれしくて初々しさが無かったような気がします。クラスごとに声を合わせて「3年間ありがとうございました」と言うのも、総代の答辞とはまた違う新鮮さ。

校歌は歌えなかったものの、国家も式歌(『仰げば尊し』ではなく、式歌とありました)も一緒に歌えて、卒業式に参列できたこと、よかったと思いました。

式の終了後、あとの3人のうち、2人は面識があり、一緒に近くのファミレスで食事をし、しばし昔の話で盛り上がりました。同窓会もしなくてはね、と。

 こんな粋な計らいをしてくれる高校なんてきいたことありません。大学ならあるかも、ですね。万が一きたら、おかあさんはまたきっと行くに決まっています。

 

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