廃線となった湘南軌道の8駅の碑をたよりにして、線路があったであろう場所を勝手に想像してサイクリング経路をこしらえました。当時線路があったであろうと勝手に想像して経路を設定したのですが、その沿線には今でも営業している様子の古いお店や、たぶんもう誰も住んでいない様子の昭和前半のような民家や、お寺や、立派な農家の母屋らしき民家がありましたので、この経路は結構いい線いっているかもしれません。
この経路は結構いい線いっているのは、二宮から大竹までで、大竹から秦野までは結構違っているみたいだということが分かりましたので、廃線跡サイクリング:湘南軌道(2回目)をやりました。
方角の北が地図の上なので、このブログの写真は秦野駅跡から二宮駅跡の順にしましたが、サイクリングで実際に走ったのは、二宮駅跡から秦野駅跡の順です。
しかし、大竹と秦野との間では、かつて線路のあった場所は建物になっているように感じました。1980年頃までは当時の橋脚の一部が残っていたようなので、再び訪れて、当時の線路が水無川のどこを渡っていたのか妄想を膨らませようと思います。
じつは、今回の廃線跡サイクリングコースの一部を、それとは知らずに通ったことがあることを思い出しました。そのときには湘南軌道の存在を全く知りませんでした。知らずに通るのと比べたら知っていて通る方が面白いと思います。
今回は、廃線跡サイクリング湘南軌道編の初回なので、とりあえず8駅の碑を確認することを主目的にいたしました。これから回数を重ねて周辺の様々な物事や歴史をつなげていけたら面白いのではなかろうかと思います。
今回、湘南軌道の跡として仮定した経路(いま道のところしか走れませんから)
湘南軌道秦野駅跡
湘南軌道秦野駅跡近くの「軽便みち」碑
湘南軌道台町駅跡
大竹駅跡碑からおよそ300m北にも「軽便みち」碑がありました。
湘南軌道大竹駅跡
大竹駅跡碑からおよそ300m南にも「軽便みち」碑がありました。
湘南軌道上井ノ口駅跡
湘南軌道下井ノ口駅跡
湘南軌道一色駅跡
湘南軌道中里駅跡
湘南軌道二宮駅跡
湘南軌道についてネットで少々調べてみました。
かつて秦野市の日本専売公社(現・イオン秦野ショッピングセンター付近)から中井町を通り、東海道本線の二宮駅へ続いていた軽便鉄道「湘南軌道」。今では路線の存在自体を知らない人も多くなったので、秦野市の南公民館は100年の節目を記念して2013年05月に「写真で見る軽便鉄道」が開催した。
この路線は、当時秦野の名産だった葉タバコを東海道線の二宮まで輸送することを主目的として1906年に建設され、旅客営業も取り扱う「湘南馬車鉄道」として地元の有志が開業したのが始まりだそうだ。当初は名前通り、馬がレール上の客車を引く原始的なもの。幅の狭い軌間のレールを採用するなど一般的な鉄道より低規格な「湘南軽便鉄道」が誕生した。その後、新会社に経営を移管し「湘南軌道」の名になった。
当時は小田急線の開業前であり、秦野・中井の住民が東京方面や小田原へ出掛ける場合、東海道線へのアクセスとしても湘南軌道は大きな役割を担っていた。大正期(1913年)に客足の増加のため動力を蒸気機関車に変更。火などが飛び散らぬよう煙突のかぶせものの格好に特徴があったと言われているようだ。
昭和2年(1927年)に小田原急行鉄道(現在の小田急小田原線)が開通した。小田急が開通した時、同じ駅名を避けて小田急は「大秦野駅」となった。秦野と二宮とを結ぶバス路線も登場した。これらのことも関係して客足は激減していき衰退した。旅客営業休止、その後の路線休止を経て1937年(昭和12年)に営業を終え廃止された。それでも相変わらず小田急の方の駅名は大秦野駅が続き、今の秦野駅になったのは昭和62年(1987年)。
現在の県道72号線(秦野二宮線)の旧道が主な路線跡。約10キロメートルの道のりを、ママチャリほどの速度で1時間程度かけ走行していたという。
現在、当時を偲ぶものはほとんど残っていないらしい。線路のレールは太平洋戦争の金属供出などで無くなったのではないかという説もあるらしい。唯一の大きな遺構は二宮駅北口近くにある当時の本社社屋で、現在は、薬局として使用されている。
二宮駅跡解説碑はその薬局の隣にある建物の前(社会福祉法人寿考会みちる愛児園駅前ナーサリーの前)に設置されている。
また、1980年頃までは秦野市の水無川を渡っていた橋脚の一部が残っていたものの、河川の改修工事により現在は撤去されているそうだ。
2005~2006年にかけて沿線の1市2町は、かつての駅跡8カ所に石碑の解説文が建てられた。
参考にさせていただいたブログ:
・湘南軌道(Wiki)
・軽便(けいべん)鉄道100年の節目 掲載号2013-05-02
・廃線探索 湘南軌道
・湘南軽便鉄道・写真展示会見学
・はだのめぐり 軽便鉄道を歩く その1
・はだのめぐり 軽便鉄道を歩く その2
・湘南軌道 ジオラマ
・廃線跡サイクリング:湘南軌道(1回目)
・廃線跡サイクリング:湘南軌道(2回目)
・廃線跡サイクリング:湘南軌道(3回目)
この経路は結構いい線いっているのは、二宮から大竹までで、大竹から秦野までは結構違っているみたいだということが分かりましたので、廃線跡サイクリング:湘南軌道(2回目)をやりました。
方角の北が地図の上なので、このブログの写真は秦野駅跡から二宮駅跡の順にしましたが、サイクリングで実際に走ったのは、二宮駅跡から秦野駅跡の順です。
しかし、大竹と秦野との間では、かつて線路のあった場所は建物になっているように感じました。1980年頃までは当時の橋脚の一部が残っていたようなので、再び訪れて、当時の線路が水無川のどこを渡っていたのか妄想を膨らませようと思います。
じつは、今回の廃線跡サイクリングコースの一部を、それとは知らずに通ったことがあることを思い出しました。そのときには湘南軌道の存在を全く知りませんでした。知らずに通るのと比べたら知っていて通る方が面白いと思います。
今回は、廃線跡サイクリング湘南軌道編の初回なので、とりあえず8駅の碑を確認することを主目的にいたしました。これから回数を重ねて周辺の様々な物事や歴史をつなげていけたら面白いのではなかろうかと思います。
今回、湘南軌道の跡として仮定した経路(いま道のところしか走れませんから)
湘南軌道秦野駅跡
湘南軌道秦野駅跡近くの「軽便みち」碑
湘南軌道台町駅跡
大竹駅跡碑からおよそ300m北にも「軽便みち」碑がありました。
湘南軌道大竹駅跡
大竹駅跡碑からおよそ300m南にも「軽便みち」碑がありました。
湘南軌道上井ノ口駅跡
湘南軌道下井ノ口駅跡
湘南軌道一色駅跡
湘南軌道中里駅跡
湘南軌道二宮駅跡
湘南軌道についてネットで少々調べてみました。
かつて秦野市の日本専売公社(現・イオン秦野ショッピングセンター付近)から中井町を通り、東海道本線の二宮駅へ続いていた軽便鉄道「湘南軌道」。今では路線の存在自体を知らない人も多くなったので、秦野市の南公民館は100年の節目を記念して2013年05月に「写真で見る軽便鉄道」が開催した。
この路線は、当時秦野の名産だった葉タバコを東海道線の二宮まで輸送することを主目的として1906年に建設され、旅客営業も取り扱う「湘南馬車鉄道」として地元の有志が開業したのが始まりだそうだ。当初は名前通り、馬がレール上の客車を引く原始的なもの。幅の狭い軌間のレールを採用するなど一般的な鉄道より低規格な「湘南軽便鉄道」が誕生した。その後、新会社に経営を移管し「湘南軌道」の名になった。
当時は小田急線の開業前であり、秦野・中井の住民が東京方面や小田原へ出掛ける場合、東海道線へのアクセスとしても湘南軌道は大きな役割を担っていた。大正期(1913年)に客足の増加のため動力を蒸気機関車に変更。火などが飛び散らぬよう煙突のかぶせものの格好に特徴があったと言われているようだ。
昭和2年(1927年)に小田原急行鉄道(現在の小田急小田原線)が開通した。小田急が開通した時、同じ駅名を避けて小田急は「大秦野駅」となった。秦野と二宮とを結ぶバス路線も登場した。これらのことも関係して客足は激減していき衰退した。旅客営業休止、その後の路線休止を経て1937年(昭和12年)に営業を終え廃止された。それでも相変わらず小田急の方の駅名は大秦野駅が続き、今の秦野駅になったのは昭和62年(1987年)。
現在の県道72号線(秦野二宮線)の旧道が主な路線跡。約10キロメートルの道のりを、ママチャリほどの速度で1時間程度かけ走行していたという。
現在、当時を偲ぶものはほとんど残っていないらしい。線路のレールは太平洋戦争の金属供出などで無くなったのではないかという説もあるらしい。唯一の大きな遺構は二宮駅北口近くにある当時の本社社屋で、現在は、薬局として使用されている。
二宮駅跡解説碑はその薬局の隣にある建物の前(社会福祉法人寿考会みちる愛児園駅前ナーサリーの前)に設置されている。
また、1980年頃までは秦野市の水無川を渡っていた橋脚の一部が残っていたものの、河川の改修工事により現在は撤去されているそうだ。
2005~2006年にかけて沿線の1市2町は、かつての駅跡8カ所に石碑の解説文が建てられた。
参考にさせていただいたブログ:
・湘南軌道(Wiki)
・軽便(けいべん)鉄道100年の節目 掲載号2013-05-02
・廃線探索 湘南軌道
・湘南軽便鉄道・写真展示会見学
・はだのめぐり 軽便鉄道を歩く その1
・はだのめぐり 軽便鉄道を歩く その2
・湘南軌道 ジオラマ
・廃線跡サイクリング:湘南軌道(1回目)
・廃線跡サイクリング:湘南軌道(2回目)
・廃線跡サイクリング:湘南軌道(3回目)