おはようございます。5時前に宿をチェックアウトしました。
5:08 塩尻駅からの自転車旅が始まります。
塩尻大門のデルタ線をかわさないと南へ進めないので一旦線路を潜って塩尻駅の西口へ。
車庫の線路に対してほぼ直角に目の前を横切る中央西線。
現行のルートになる前は画面手前側まで線路が伸びていたようです。
少し進むと早速旧街道らしさを感じられる一里塚を発見。
一定間隔に設けられた目印・休憩所のことでキロポストの役割を果たしていたものです。
比較的歴史的建造物の保存活動が盛んな中山道であっても、一里塚が現存しているところは少なく意外と貴重だったりします。
塩尻市内の中山道を進みます。そこまでしんどくない緩やかな上り坂が続きます。
塩尻名物のワインに使われるんでしょうか?ぶどう畑も多く見かけました。
そういえば昨晩は塩尻駅で購入しておいたワインを頂きました。飲みやすくて美味しかったです。
5:51 洗馬宿に到着。
ここで改めて中山道の歴史について触れてみようと思います。
江戸時代に整備された五街道。
海沿いを進む東海道に対し、山沿いを進むのが今回取り上げる中山道です。
表記は中山道だったり中仙道だったり仲山道だったり揺れが大きいようです。
旧中山道を「いちにちじゅう やまみち」って誤読したみたいなやつ有名ですよね。ちゃんと読み方あってればそれで大丈夫です。
東海道は海沿いを進むため起伏が少なく進みやすい道なのですが、その代わり河口付近で川幅のある河川を多く越える必要があります。
昔は防衛のためと称して橋がかけられないことが多く、渡し船や川越人夫に頼ったり大雨で川が渡れず宿代が嵩んだりと比較的お金がかかるルートだったようです。
それに対して中山道は大河を超えることは少ないものの、山のど真ん中を進むわけですから全般的に険しい道のりとなっています。
東海道と比べると宿代が抑えられたり、関所が比較的緩かったりというのがメリットだったようです。
私が今回進むのは塩尻から、中山道の起点からではなく途中からのスタートです。HELLOCYCLINGステーションがあるのがこの辺だと松本くらいですし、標高の高い所をスタート地点に設定することで位置エネルギーによるアシストを受けられると判断した結果こうなりました。
塩尻から中津川を目指す中山道は別名木曽路とも呼ばれるルート。現在の中央西線がほぼ同じルートで通っています。
今回調べるまで、律令時代に設定されていた東山道と中山道はほぼ同じと思っていましたが結構違うみたいですね。
一番大きい違いが塩尻~中津川。旧東山道は伊那谷を進み飯田を経由してからのちの大平街道を進むルートだったようです。
ルートは単純、谷に沿ってまっすぐ進みます。
塩尻駅の1つお隣、洗馬駅にやってきました。立派な木造駅舎が残りますが今では無人駅。
自転車置き場のあるところ、木製の柵がいい味出していますよね。
建物資産標を見ると、なんと明治42(1909)年12月。中央西線開業から110年以上ずっと使われている歴史ある駅舎です。
開始1時間ほどですが早目に水分補給を。眠気覚ましも兼ねてキレートレモンにしました。
この先の中山道沿いは東海道と比べて大きな町が少ないため、見つけたときに水分を確保しておくことが大切です。
洗馬の宿場町を見ながら中山道を進みます。
朝6時過ぎですが山の影になっていてまだ陽は当たらず快適に進めます。
冬になると雪が多く降る地区であるため、中継信号機に大きなフードがかぶさっているのが分かります。
6:16 日出塩駅。ここは駅舎老朽化のためか開業時の駅舎はなく簡易な待合室が新築されていました。
ただ、名古屋方面ホームの待合室は古そうなものが残されていました。
本日の目的地は中津川のその先、恵那なのでまだ100kmほどありますね。
このあたりから本格的に家が少なくなってきます。
中山道であることが故かほぼ全区間に渡って自転車通行可の歩道が整備されているのが助かるところです。
初期中山道の看板を発見。どうやら中山道設定当初は塩尻を経由せず小野から下諏訪に至るルートだったようです。
是より南 木曽路
奈良井川の流れに沿って川沿いを進みます。いい景色ですし涼も感じられます。
今では片側1車線に歩道もついた立派な道が整備されていますが、往時の中山道は川沿いの崖みたいなところを進んでいたんでしょうか?
6:56 贄川駅に到着。山に遮られていた太陽がようやく顔を出すような時間です。逆光が眩しい…
この駅も洗馬と同じく明治42年12月開業時から変わらない駅舎。
中山道の宿場町にも溶け込むレトロな駅舎。これらを見て回るのも今回のサイクリングの楽しみになりそうです。
贄川駅を越えてすぐの関所橋。旧中山道と中央西線が交差します。
レンガアーチの美しい構造、中央西線に乗っていても特に目立つ構造物かなぁと思います。
関所橋の名前からわかる通り、この橋を渡ってすぐのところには贄川関所が保存されています。
東海道では箱根と今切(新居)に、また姫街道の気賀に設けられた関所ですが中山道にももちろん存在していました。
江戸の治安維持のため鉄砲の流入を規制、また参勤交代の人質とするため江戸を出る女性の流出を規制する「入鉄砲出女」の検問に当たっていました。
中山道においては碓氷と(木曽)福島に関所が置かれたのですが、中山道に脇道が多くすり抜けられるリスクがあったそうで福島関所を補佐するものとして贄川の地にも関所が置かれたそうです。
贄川関所を見ながら進む普通中津川行。JR東日本の211系が充てられていました。
贄川宿の街並みを見ながら先へ。
先程通ってきた洗馬もですが、雪が降る地域であることから傾斜の付いた大きな屋根が張り出しているのが目立ちます。
同じ宿場町でも東海道と違った趣を感じられるポイントかなぁと思います。
7:41 木曽平沢駅。
地形に沿って進む中山道と違ってなるべく勾配を緩やかに取った鉄道はかなり高台に位置しています。
ホームに上がってみると木曽平沢の街並みがよく見えます。
ここは宿場町ではないものの、この先の奈良井に対する枝郷(分かれた集落)として栄えることになったそうです。
現在の駅舎は昭和34(1959)年に移転したときに建てられたもの。
今まで見てきた開業当初のレトロ駅舎もいいですが、昭和レトロなちょっと古い駅舎もいいものです。
特にこの駅名の表記、これが最高ですよね。
ちょっとレトロなフォントがすごくいいです。
8:00 奈良井駅に到着。中山道の宿場町の中でも特に観光客に人気なところ。
駅前に旧中山道が通っており宿場町にそのまま繋がるアクセスの良さが観光するには良さそうです。
奈良井駅も開業時から変わらないレトロな駅舎。
2005年に塩尻市に合併した楢川村の家屋検査済証シールがちょっと残ってますね。
中山道 奈良井宿。看板の前で記念撮影。
出発してすでに3時間経っていますが、朝8時というのはまだまだ早いほう。
観光客の方もまだ少なめでゆったり楽しめました。
高度経済成長であっという間に姿を変えた東海道の宿場町と異なり、のどかな雰囲気が残っていた中山道。
そこで早いうちから景観保存を行ったのが幸いして今では観光地として賑わいを見せています。
高札場も残されているのがポイント高いですね。素敵です。
奈良井駅を少し出たところにて、中央西線の勾配に対応すべく重連の山男EF64が見られました。
奈良井宿の宿場町の終わるあたりにはC12蒸気機関車が保存されています。
線路から近いので車窓から見て気になったという方もいるのではないでしょうか?
調べてみたところ確かに昔から木曽福島機関区に配置された所縁のある機関車のようですが、どうも峠を越えるには心許ないような感じがします。
どっちかといえばゼブラ塗装を施して入換や数両の貨車を牽いているほうが似合っているんじゃないかなぁと思います。
最近塗り直されたのか、屋外保存の割にはかなり綺麗な姿で保存されています。各部の白や銀もアクセントになっていてかっこいい。
また、少しSLに詳しい方なら気が付いたかと思いますが、この車両はC12には珍しくデフレクター(除煙板)が取り付けられています。
見た目はC11とC56を足して2で割ったような感じでちょっと違和感のあるスタイルなのがまたいいところです。
奈良井宿はこの先すぐに控える鳥居峠に備える宿という側面も持っていました。かなり険しい峠ということですね。
流石に急な峠道を行くわけにはいかないので新中山道に移り鳥居トンネルを抜けることにしました。
標高は974m、今回の道中で一番高いところだった気がします。この先は基本的に緩やかに標高を下げていきます。
トンネルの長さは1738mと結構あります。たった276mだった鈴鹿峠と比べるとかなり長いですね。
長いトンネルであるため、トンネル途中で事故が起きた時の非常電話や方向転換場などが設けられていました。
楢川村が塩尻市に合併された関係で鳥居峠まではずっと塩尻市状態でしたがここでようやく自治体が変わります。
ここから先は木曽郡木祖村。木曽川の源流がある地でもあるため「木曽の祖」という意味から木曽村ではなく木祖村となったそうです。
相変わらず中山道と中央西線は川沿いを進みますが、先程まで沿っていたのは奈良井川でここから先は木曽川となります。
ちょうど鳥居峠が分水嶺となっており東は信濃川水系で日本海へ、ここより西は木曽川を辿って太平洋へ注ぎます。
トンネルを出てすぐのところにはいい感じのドライブインがありました。
ドライ峠ブイン この書き方すき。
峠を越えると一気に下り坂になります。電動アシスト機能を殺しても位置エネルギーアシストだけで快適に進んでいけます。
木祖村の中心部を横目に坂を下っていきます。
坂道を駆け下りてきたため木祖村中心地に近い薮原駅はパスしました。
ただ、旧中山道と鳥居トンネル経由の新中山道が合流する薮原交差点付近の中央西線のカーブがよさそうだったのでここで休憩がてら撮っていくことに。
9:10 特急しなの4号名古屋行
やっぱりカーブをダイナミックに曲がっていく振り子特急はかっこいいものです。
(人は全然乗っていませんが)お盆の繁忙期ということで2両増車の8両編成なのもかっこいい。
後追いは若干ゃ草に被られましたがまあいいでしょう。
大自然を背景に振り子特急が往く、これこそ特急しなのって感じです。
9:16 普通松本行
こちらは繁忙期でも構わず短い2両運転のワンマン列車。
松本に来るまでのしなの号でも思いましたが、特急はガラガラなのにすれ違う普通電車は18きっぷ効果か結構”密”に思えます。
薮原駅の手前には新中山道の国道19号線に向けたものなのか中央西線に向けたものなのか、木曽の酒 木曽路という大きな看板が目立ちます。
少し進むと中央本線が二手に分かれているのが見えます。
手前が旧線、奥のコンクリ橋が複線化の際に増やされた新線というのが見ただけでよくわかります。
山道らしいロックシェードを進んでいきます。
アクセント的にこういうの来ると楽しいなって思いました。
山吹トンネルというのをくぐると木曽町に入ります。
ここは2005年に合併により誕生した自治体で、この辺りは旧日義村(ひよしむら)の地域です。
木祖村の隣に木曽町が隣接しているというのは…どうなんですかね?
9:46 宮ノ越駅。
最早見慣れてしまった感がありますがこちらも開業時からの歴史ある駅舎。
駅からすぐのところには宮越宿本陣も残されています。
奈良井や妻籠ほど大規模でなくとも東海道の各宿場みたいに本陣が保存されているのはかつての五街道の影響の大きさを感じられて結構好きです。
10:00 原野駅。
この駅は開業時には存在しておらず、1955年になって新設された駅であるため駅舎のつくりも異なります。
乗り場案内に「塩尻・長野・新宿方面」って書いてあるのがいいですね。
原野駅を出て100mほどの地点には旧中山道中間点があります。
今回は途中の塩尻からスタートしているのであんまり感慨深くはなりませんが…
東海道で言う中野町ですね。あっちはまだ平坦で疲れたらすぐコンビニに寄れましたが中山道はそうもいきません。
中間点からすぐのところには道の駅日義木曽駒高原があります。中山道の山岳区間において道の駅は非常に助かる存在。
思えば朝5時に出発してから水分補給のみで何も食べていません。おなかが減りました。
ここでご飯食べていこうと思ったのですが、食事施設は10:30からだったのでちょっと早かったですね…
売店にてコロッケとおやきを購入しました。軽めのおひるご飯。
こういう所で食べるコロッケって何故かやたらおいしく感じるんですよね。
袋から出した写真はありませんが、結構でかいコロッケでボリューミーでした。
名物のおやきもお茶とよく合う優しい味噌味、美味しかったです。
10:36 休憩を終え再度出発。
中央アルプスを背に立派な中山道中間点の碑が立っていました。
この先も谷に沿って進んでいきます。先程と違ってこの辺は結構うねうねしていますね。
11:00 木曽川沿いの宿場町、福島宿に到着。
先にも触れた通りここには関所が置かれていました。大きな関所門が中央西線の車窓からも目立ちます。
ただ、関所自体は崖の上にあるので今回はスルーしました。また来る機会はあるでしょう多分。
11:08 木曽福島駅。
木曽福島といえば、その昔中央西線の列車を牽引した山男な蒸気機関車が多数所属した木曽福島機関区。
以前見に行ったまちだのデゴイチ D51862みたいな変な個体も所属していたのが木曽福島。
木曽福島に蒸機が配置されていた最末期に活躍した775号機が駅前に屋根付きで保存されています。
レプリカのナンバープレートながら忠実に再現してくれているのが大変ありがたいところです。
特急しなので長野方面へ向かう時ちょうど左側に見えるあれです。
なかなかこのためだけに降りられないので自転車で保存車両を巡るのはおススメです。周辺の景色もより深く見ることになるので「今度機会があったら関所に来よう」とか用事を作ることにもなりますし。
ちょうどタイミングよく塩尻行の普通が見られました。贄川関所で撮ったやつの折り返しでしょうか?
行きも帰りも関所の街で見かけることとなりました。
木曽福島についたあたりで小雨が舞ってきました。猛暑やゲリラ豪雨よりは全然いいんですがやっぱ憂鬱になりますね…
しかも雨が上がったらムシムシするわけですし。
合羽を羽織ったものの10分ほど漕いだらすぐにやんできました。
この先も可能な限り「旧中山道」と指示のあるルートで進んでいたのですが、突如として目の前に面白いものが現れました。
まっすぐ進んでいた旧中山道が急に右に90度向きを変え、ここからは上を走る新中山道国道19号線の歩道に移ってくださいねという区間。
直進する道は現在は通行禁止とされているようです。
こちらが直進側。ちょっと色褪せた通行止めの看板がいい味出してます。
この先に続くトンネルは…この蹄型の断面形状は鉄道用トンネルっぽいですね。
ただ旧中山道と書かれた道を進んでいたのですが、どうやら知らないうちに中央西線旧線の廃線跡を進んでいたようです。
この区間では元々は赤線のルートで運転を行っていたものの、複線化と同時にまっすぐ結ぶトンネルが開通。ルート変更に伴って廃止ました。
このトンネルは中平トンネルといい、廃線後は道路に転用されたようですが現在は通行禁止にされています。
また、トンネルを抜けた先に中平信号場が設けられ上下列車の行き違いを行っていたようです。
ではこの先も中山道沿いに…と思ったのですが、歩道はあるものの階段しかありません。
草も荒れ放題ですしここを通る人はかなり少なそうです。一応は旧中山道のルート上なんですが。
ならばとスロープを使って少し戻った所から国道19号線の歩道にアクセスすると、斬新なスタイルで通行止めされました。
歩道がこの先も続いていそうに見えますが、階段を上がった先のポイントまであと150mほどのところで道が途絶えているようです。
仕方がないので少し迂回。すぐ近くに別の道があるのでそこまで不便には思いませんでした。
道の駅木曽福島の前を過ぎ、新中山道の国道19号線は木曽川を渡るのですが旧中山道はその手前で分岐、沓掛一里塚を通って木曽の桟(かけはし)へ向かいます。
そんなことは知らず立派な橋で木曽川を渡ってしまいました。
当初は国道19号線も旧中山道となっている川を渡らないルートでしたが、昔から難所として知られる「木曽の桟」を通り崖崩れなどのリスクが大きいルートでした。
そのため桟改良というバイパス工事が行われさっき渡った立派な橋やその先のトンネルが作られることになったみたいです。
その改良工事の一環で1つ下流側にかけられたのがかけはし大橋。赤く目立つ橋が架かっています。
このように2つの橋を渡ることで歩行者も崖崩れが心配される区間を回避でき、長期の通行止めを防いでいるようです。
高規格なバイパス道路で900mほどあるかけはしトンネルに歩道を設けるよりかは小さい橋を1つ架けたほうが効率的と考えたんだと思います。
この辺りが有名な「木曽の桟」
通行が困難な崖の場所に板を渡して通り道とした難所だった場所。現在でも崖の上にへばりつくような道になっています。
木曽川沿いの崖みたいなところを中山道は進みます。
上松駅に向かう途中ではバイパスの兼ね合いもあって何度か木曽川を渡って迂回します。
その途中で、立派なトラス橋が何故か2つ並んでいる場所に出ました。両方とも舗装されていますが古そうな橋は立ち入れなくなっています。
幅が狭く開口部の高さ手駅にも鉄道用だろうなぁと思ったのですが、当たりでした。
これは木曽森林鉄道の鬼淵鉄橋とのこと。解説書きがあって助かりました。
看板にあるトラス橋を渡る森林鉄道の写真はどっかの雑誌で見たことがある気がします。
てっきりもっと山の中かと思っていましたが国鉄連絡の上松駅に比較的近いところに架かっていたんですね。
上松の市街地にあるマンホールには木曽森林鉄道の蒸気機関車が描かれていました。
長いトンネルを潜ってきた国道19号線の上を跨ぎ、寝覚の手前で再度新旧の中山道は合流します。
12:55 寝覚の床(ねざめのとこ)
上松駅から800mほど、中央西線の中でもかなりの景勝地である寝覚の床につきました。
折角なので1本列車待機。普通列車の松本行がやってきました。やっぱり列車が来ると締まりますね。
定番の景勝地ですが、木曽川の流れが生み出した角ばった岩の並びはいい眺めです。
13:11 小野の滝
中央西線が一段高いところを走り、そのルートに沿って新中山道国道19号線が進んでいくのですが位置としては中央西線の真下に当たるこの滝。
国道19号線の休憩所として2台程度の駐車帯も設けられていました。真下に滝があるなんて電車に乗ってるだけじゃ気づけない発見ですね。
13:24 倉本駅
ここの駅も上下線のホームは構内では繋がっておらず一般道を迂回してくださいと看板が出ていました。
有人駅だったころは構内踏切で接続していた、みたいなことなんですかね?
ホームの構造を見ていただければわかるかと思いますが、石積みではなく鉄骨が組まれていて下部が開いています。
元々ここは客扱いを行わない立町信号場だったものを後に旅客化したという経緯のためホームが比較的新しい構造になっているようです。
13:46 大桑村に入りました。
この辺りで列車走行位置を確認すると、もうすぐ名古屋行きのしなの号がやってくることが判明。
特急しなの12号 名古屋行
時間がなかったのでその辺の線路沿いで撮りましたが、なかなか綺麗に撮れました。
薮原で撮った4号よりもさらに長く10両編成を組んでいました。さすが繁忙期。
川沿いに関西電力の水力発電所を見ながら先を急ぎます。
この桃山発電所は1923年に稼働を開始した発電所。レトロ風な建物なのかと思ったらほんとに古い建物だったみたいです。
14:04 須原駅に到着。
ここは駅舎に掲げられている看板が青地に白文字で非常に趣があります。
木製のラッチが普通に残されている光景。これは萌えます。
今まで来た駅にもちらほらありましたが、ここで紹介。
「列車の速度がたいへん速くなりました」
恐らく特急しなの号が381系から現行の383系に置き換わったころのものだと思います。流石に381系導入時ということはないと思います。
今までの感覚だとまだ大丈夫と思っていたら思ったよりぶっ飛ばしていくわけでこういう注意書きが掲げられるようになったってことなんでしょうね。
「たいへん速くなりました」という書き方、そして速くなってから25年ほど経過しているのについ最近変わったような書き方のまま止まっている。これがいいんですよ。
中山道須原宿の家々を見ながら先へ。
14:33 大桑駅。大きくカーブを描いたホームが特徴的です。
倉本駅と同じく簡素な構造のホーム。こちらは信号場格上げではなく、何もないところにあとから駅が追加されたようです。
今でもこの辺りでは木材加工が盛んと見えて、中山道沿いでもこんな光景が見られました。
15:09 第13仲山道踏切
中央西線では旧中山道と交差する地点に設けられている踏切に対し、塩尻側から順に第○○仲山道踏切と名付けています。
(木曽平沢~奈良井)
(大桑~野尻)
確かにここに来るまでの踏切はほぼ全てこのパターンだった気がします。
その中でも大桑~南木曽での交差が多いようで、おそらく6回交差しています。
15:12 特急しなの15号 長野行
よさそうな雰囲気だったのでここで長野行きのしなの号を待機。もう少し引き付けて撮ればよかったなぁと反省。
南木曽町に入ってしばらくすると十二兼駅。手前の旧中山道とかなりの高低差がある高台の上に設けられています。
この駅は1992年に改築されたそうでかなり新しくロッジ風な建物になっています。
新中山道をまっすぐ進みます。この区間では再度坂を少し登って南木曽駅前へ至るのが旧中山道のルートですが気にせず新中山道を進んでいました。
そのおかげで面白いものが見られたので結果オーライです。
三留野宿の看板と共に見えてきたのが桃介橋(ももすけばし)。かなり立派なかっこいい橋です。
この橋は1922年に架けられた木造の吊り橋。木製の吊り橋っていうのでまず驚きです。
この圧倒的迫力、ほんとに木でできてますよ…すごい。
錦帯橋みたいな江戸時代以来の橋も好きですが、こういう大正時代あたりの構造物のほうがググっと来るものがあります。
この橋は対岸の少し下流に建設された読書(よみかき)発電所の資材運搬のために建設されたもので、当時はトロッコ用にレールが敷かれていたみたいです。
レールの撤去が難しい橋脚部分に行けば名残は見られるようです。
読書発電所とセットで現在は国の重要文化財に指定されています。その先で発電所もちらっと見えたのですが撮り損ねました…
15:47 桃介橋を後にします。
三留野宿を過ぎるとこの先中津川宿までの区間で旧中山道は峠を越えます。
中央西線や国道19号線はこの先も木曽川に沿っていますが、川沿いの崖みたいなところを頑張って進むルートなので昔の街道は峠を越えたほうが都合がよかったということなのかもしれません。
石畳な区間を通って鬱蒼とした山の中を越えていきます。
16:24 妻籠宿の街並み。
峠を控えることに加え、大平街道との分岐点でもある妻籠。
奈良井宿と並んで景観保存によって有名になった妻籠宿。
宿場町の景観保存にいち早く取り組んだのが妻籠とのことで数多くの施設が綺麗に残されています。
本陣や高札場、水路に水車など細かいところまで残されていて当時の宿場町の様子が体感できます。
すぐ後ろに山が迫り、少し霞んで雲がかかっているのがいかにも中山道という感じ。
妻籠を出ると次の馬籠までかなり険しい馬籠峠に挑むことになります。
距離5.6kmで標高430mから790mまで360mも登っていきます。平均すると65‰位の勾配でしょうか。
電動アシストをほぼ使わず電池残量90%を維持して登ってきましたがこの坂はしんどいです。
フル活用しても大変な坂なので休み休み進みます。
17:01 馬籠峠
頂上には峠の茶屋と休憩所がありました。茶屋は時間的にもう閉まっていましたが。
ここから先は下り坂。峠を制覇したときのこの光景好きです。
馬籠峠で長野県は終わり、ここから先は岐阜県中津川市に入ります。
17:14 馬籠宿。
峠を越えればあとは坂を下るだけなのでかなり快適に、スピーディーに到達できました。
妻籠宿とセットで馬籠峠を控える基地として重要だった馬籠宿。
妻籠と比べると保存活動の歴史はそこまで古くないようですが、こちらも宿場町の景観が多くの観光客を集めています。
また馬籠宿は中央自動車道の恵那山トンネルを越える手前にある神坂PAから1.5kmほどと近く、PA内に設けられた馬籠バスストップから歩いてアクセスできる利便性の高さもヒットの一因かと思われます。
Wikipediaなどには、このバス停用の出入口を使うことでPA利用者が車を置いて散策に出かけられるなどと書いてありますが、これって大丈夫なんですかね…?
ちなみに名神高速道路多賀SAのハイウェイスタンプ付近にはこんな掲示がありました。
根拠条文となる道路法第四十八条の十一条及び高速自動車国道法第十七条に書かれていることは同じで
何人もみだりに自動車専用道路に立ち入り、又は自動車専用道路を自動車による以外の方法により通行してはならない。
道路管理者は、自動車専用道路の入口その他必要な場所に通行の禁止又は制限の対象を明らかにした道路標識を設けなければならない。
これを禁止する根拠とするならば、基本的には必要もないのに高速道路の敷地へ立ち入ることを禁止するっていうことですかね。
あくまで高速バス利用客に向けた出入口を用途外に使用して高速道路外に出ることは咎められても仕方がない気がします。
近年増えてきた「ぷらっとパーク」も一般道からSA/PA施設が出来るように開放したものであるため、高速道路利用者が車を置いて遊びに行くのはよくないような気がします。
個人ブログで制度を知らず…というのならまだしも、匿名書き込みとはいえそれなりに市民権を得ているWikipediaに記載があるのには違和感を覚えました。
もしかしたら特例的に認められているのかもしれませんし、ご存知の方がいたら教えてもらいたいです。
景色が反射して美しい馬籠宿の池を見ながら坂を駆け下りていきます。
坂を下りれば中津川市街地…かと思えばもうひと山舞っています。
落合宿を過ぎ、与坂を越えればようやく中津川市街地に入ります。
18:13 中津川駅。
ここに着くころには日が暮れていると思っていたのですが、どうにか暗くなる前に中津川駅まで来ることが出来ました。
日が暮れていたらここまでにしようと思っていたのでまだ行けそうです。
翌日に備え1つ先の大井宿(恵那)まで進んでおくことにしました。
その前にちょっと休憩。さすがに一日自転車を漕ぎ続けているわけですし疲れました。
セブンアップが染みわたります。美味い。
※文字数制限の兼ね合いでここで記事を分けることにします。
中津川以降は2日目の記事と合わせて紹介します。
つづく
紹介コード入力で30分無料クーポンをGETしよう!
LINEスタンプお願いします