今日の午後は美しい時間を過ごした。うちにとって美しいというだけで、
その家の猫にとっては、おぞましい時間だったに違いない。
その猫ちゃんは、最初から最後までお利口だった。うちが歌とピアノの練習をしてる間、ずっとおとなしくしてた。
キイキイ声で、まるまる一曲歌われても、知らん顔してた。
終わって、お茶を飲んでる時、彼女がひらりとテーブルに飛び乗り、うちの前につつつーっと来て、静かな静かな声で、フーッといった。
その一瞬の怒りも含め、実に実に美しい午後であった。
ついでに、俳句おさらいコーナーその2。
友人が、姉のTV番組にはまって俳句を始めた。
山梨県に一人はいる、つうことはそんな人が日本全国にあと46人はいる。いやもっと?夫婦で始めたらその倍?
それはともかく、その人の新鮮な俳句を見るたび、忘れかけてた大事なことに気づくことがある。ありがたいよ。
秋の宵膝の上には猫居たり 山梨子
「膝の上に居る猫」という題材に、「秋の宵」という季語が取り合わされてる。
実際は腹の上にいたらしいが、一応俳句なんで膝にしたという。ちょっと腹に戻してみようか。
秋の宵腹の上には猫居たり
意外といいよ。猫の影がふすまにゆらゆら映って見えそうな、秋の宵の昔っぽい感じがする。
今度は季語を替えてみる。
秋の雨膝の上には猫居たり
寂しいけど、その寂しさを受け入れてるような、静かな気分が出る。時間の流れもある。
秋の蝉膝の上には猫居たり
こうすると、人も猫も耳を澄まして、残る蝉の声ををじっと聞いている風景が浮かぶ。
秋夕焼膝の上には猫居たり
大事な人と喧嘩したあとみたいな、悲しみとか後悔を感じる。感じない?
季語を色々着せ替える(取り合わせる)ことで、題材の雰囲気ががらりと変わる。
物語が生まれる。読者の想像力をかきたて、思わず感情がわいて出るような季語を選んで使うのがコツ。
ゲームで攻略にふさわしいアイテムを選んで使ってみるのとおなじやね。
今年で俳句始めて26年目、きりは全然よくないが、まあいいじゃんきりなんかどうでも、
こいらで初心に帰って、一つずつまた確かめながら俳句を作ってみようと思ってた。
そう思っても、なかなか何から始めたらいいかわからんかった。
ちょうどそこへ、俳句を最近本気で作り始めた人が現れてその俳句を見たりして、
そのとき浮かんだことなんかをを書き留めてみようと思った。初心者の人と句座を囲む意味はまさにこれだ。
十年後にこれ読み返して、十年前はどんだけ未熟やったか苦笑する日がきたらいいなと思う。