塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アンブロも機能性スーツを発売へ

2020-09-07 20:35:17 | 日記
 スポーツブランドがビジネススーツを手掛ける時代となりました。

 発売当時はさほど注目されませんでしたが、一番最初に企画したのはアディダスだったと記憶しています。

 一般で認知されるようになったのは、青山商事という全国に店舗展開を持つ店舗で販売となったデサントの品からではないでしょうか。

 以後ミズノも「ムーブ・スーツ」という名前でスーツを企画し、アンブロも上下セットを企画、販売することになりました。

 欧州ですとイタリア、フランス、イングランドのように仕立服の歴史を持つ国は、代表選手の公式スーツを伝統的価値観の下で製造しています。

 簡単にいいますと

 1・素材は極上の羊毛
 2・専属スタッフが選手を直接採寸する
 3・伝統的なシルエットと仕立て具合

 という形になります。

 日本代表も現状はこの形で、ダンヒルが手掛けるスーツとその広告は常に注目が集まります。

 一方で今後、ゲリラ豪雨のさなかでも瞬時に乾く「ソロテックス」を用いた機能性スーツは、どんどん需要をましてゆくでしょう。

 「今風」と言えばそれまでですが、スーツ愛好家を増やす、スーツの格好良さを知るには最適かもしれません。

 一方で「いざ」という時には、従来の天然素材を用いた背広も必需品でしょう。

 サッカーにおいて指揮官が状況に応じて交代選手と布陣を考えるように、背広も場に応じた素材と着用を考えればよい時代と言えそうです。
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新しい販路を開拓するむずかしさ

2020-09-07 20:09:59 | 日記
 個人事業主でも企業でも、「取引先」と友好関係を築くのは大切です。

 しかし、テレビドラマ「半沢直樹」の帝国航空編で帝国航空の上層部と、取引先との間に金銭面で癒着が起き、その点を半沢と機長が追及する。

 という場面がありました。

 そうですよね、適切な距離はいかなる場面でも考えねばなりません。

 僕が日用品の多くを刷新した理由の一つに

 「コストを考え直すこと」
 「ずっと愛用してきた品だから」

 という考えを改めるべきと気付いたためです。

 僕は今、洗顔せっけんやボディソープをマンダムの「ルシード」を使用しており、ヘアムースもルシードで新調したばかりです。

 これまではただ愛用品を戦略もなく買い続けてきたのですが、改めて別の品を買ってみると、使い勝手だけでなく、価格や購入動機などが自分で再確認できます。

 これまでの愛用品よりも価格が相当下がることも確かですが、ルシードは明確に

 「40歳からの男性肌」

 というように、購買層を把握して商品化しています。

 つまり44歳の僕には購入動機が包装だけで見えてくるわけです。

 サッカーも欧州クラブは基本、若手や無名選手を東欧か南米から移籍させてきました。

 しかし、近年は中米のホンジュラスやパナマもワールドカップに出場し、アジアでもイラン、日本、韓国の選手たちは戦力として認知されています。

 そう、これまでの獲得方法を見直すだけで、新しい価値観が生じます。

 ただ、中米のように犯罪率が以上に高い地域にスカウトを派遣することは実に厳しいですし、アジアでは独特の言葉と生活習慣が立ちはだかります。

 ただ今後も「マネーボール」さながら低コストで収益を上げるには、新しい市場はやはりオセアニアやアジアになるのではないでしょうか。

 欧州サッカーにそれだけの度胸があれば、の話ですが。
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日本とスペインの間柄

2020-09-07 19:54:37 | 日記
 2000年代中期から急速に発展したクラブがビジャレアルです。

 プーマ提供の黄色いジャージを纏った名手には、スペイン代表のサンティ・カソルラとジョアン・カプデビラの他に

 ディエゴ・フォルラン ウルグアイ代表
 ファン・リケルメ アルゼンチン代表

 という有名外国籍選手もいましたね。

 特に指揮官ファン・ハールから桁外れの速さで戦力外と通告されたのがリケルメ。

 喧噪を嫌う彼からすれば、ビジャレアルの落ち着いた雰囲気や、プライバシーが守られる環境が好影響を及ぼしたことは間違いないでしょう。

 マルティン・ウーデゴールがレアルに遂に復帰します。

 久保建英も先輩方のように、この穏やかな環境が成長を助けてくれるに違いありません。

 スペインは日本人選手に限らず、多くの選手にとって新天地として魅力的な場所です。

 中村俊輔のエスパニョールでの日々はわずか半年で終焉し、横浜F・マリノスに復帰する形となりました。

 実はこの時代、エスパニョールの指揮官は、以後プレミアで確固たる名声をえる

 「マウリシノ・ポティッチェーノ」

 で、時代の先端を走る指揮官と既に10年前に出会っていた日本人選手がいたわけです。

 今でこそスペインと日本の間は距離が縮まっていますが、改めて振り返ると

 フリオ・サリナス 横浜マリノス
 ハビエル・アスカルゴルタ 横浜マリノス監督
 セラ・フェレール 横浜フリューゲルス

 というように、黎明期のJリーグに在籍した人物たちもいました。

 グレゴリオ・マンサーノがラージョ・バジェカーノ時代、ワールドカップ98に出場したものの、世界的に無名な日本人選手

 「城彰二」

 の能力を疑わなかったことを思うと、スペインと日本の蜜月は当時からあったように感じます。

 
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