塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

2部で戦い続けることへの慣れ

2020-09-15 20:57:28 | 日記
 日本ですとジェフ千葉(古川電工)、東京ヴェルディ(読売クラブ)というJSL時代から日本サッカーを引っ張ってきた両クラブが、J2から脱却できません。
 
 同様にブンデスリーガでも、2部降格が一度もなかったことから、かつては

 「恐竜、ダイナソー」

 と呼ばれ、畏怖されたハンブルクも今季を2部で過ごします。

 それだけ1部に昇格することよりも、2部に甘んじてしまう、2部で戦い続けることで感覚がマヒしてしまうことが、選手の足かせになってしまうのでしょう。

 ハンブルクは現在でも、アディダスが支援しています。

 レバークーゼン ヤコ
 シャルケ アンブロ
 ミランとマルセイユ プーマ

 というように、アディダスがかつて支援していたクラブとの契約を打ち切るときは、実にドライな印象を与えます。

 ユナイテッドのように優勝に届かなくとも、世界的な露出があるクラブの打ち切りはないでしょう。

 しかし、スポンサー料の減額が過去、チャンピオンズ・リーグ不出場の際に発覚したはずです。

 ハンブルクのような名門は、どこかで

 「俺たちはいつでも1部に戻れるさ」
 「今回はついていないだけだよ」

 という考えが起きやすいのかもしれません。

 バイエルンはルンメニゲに代表される取締役会が、手綱を常に引き締めて浮かれることを戒めています。

 その点がハンブルクとの違いであり、アディダスも喜んで契約続行とスポンサー料を提供し続けるに違いありません。

 レバークーゼンはチェルシーにカイ・ハベルツを譲渡し、100億円ちかい収入を得ましたが、どのような補強を考えているでしょうか。

 むしろメンヘングランドバッハの方が、バイエルンの難敵になるかもしれない気がします。
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ティエリ・アンリの奇妙な足跡

2020-09-15 20:36:37 | 日記
 モントリオール・インパクトで指揮を執るティエリ・アンリ。

 アーセナルのファンからすると、デニス・ベルカンプと2トップを組み、ハイバリーを熱狂の渦に巻き込んでいた時代を懐かしく思うのでしょう。
 
 アンリが実力者だったことに間違いはありません。

 フランス代表では1998年のワールドカップ、2000年の欧州選手権で優勝していましたし、長きにわたりプラティニが保持していた

 「フランス代表最多得点者」

 の肩書を更新したことでも知られています。

 それ以上に興味深いのは、アンリがアディダス、ナイキ、プーマというスパイク御三家の愛用経験を持つ、稀有な存在と言う点です。

 アンリがフランス代表に召集された1990年代後半は、頭からつま先まで選手は全てアディダスで統一していました。

 モナコからユヴェントス、ユヴェントスからアーセナルと活躍の場を移すころになると、ナイキと契約しマーキュリアルを愛用します。

 興味深いのはバルセロナに移籍することは、リーボックの契約選手であり、その後プーマに鞍替えしたという点です。

 アンリがリーボックと契約するころのリーボックは、サッカーの世界で相当影響力を落としており、契約選手はユナイテッドのライアン・ギグスと彼くらいたったと思います。

 圧倒的多数のナイキ
 圧倒的招集のリーボック

 アンリからすればリーボックの方が、手厚い歓待が受けられると考えたのでしょうが、最終的にはプーマを履きます。

 イタリアではインテル、ミラン、ユヴェントスを渡り歩いた選手をどこか特別扱いしますし、それはスペイン3強も同様でしょう。

 アンリのスパイク変更歴は、それだけでも興味深いと思うのですよ。
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サッカー・ダイジェストも内田篤人引退特集を刊行

2020-09-15 20:21:59 | 日記
 ナンバーだけでなく、サッカーダイジェスト編集部も内田篤人引退特集号を編集しました。

 ワールド・サッカーダイジェストの方は

 デイビッド・ベッカム イングランド代表
 ロベルト・バッジョ イタリア代表
 ジネディン・ジダヌ フランス代表

 という世界的名手の引退特集号を刊行してきました。

 ただ日本の専門誌がそれぞれ引退特集を組む、これだけで内田篤人がどれだけ取材対象者として魅力的だったのか。

 その点が明らかになりましたね。

 彼はデビューから引退まで一貫してアディダスを愛用してきました。

 かといって、中村俊輔のように大々的に広告起用されたわけではありません。

 内田は自分のフルバックというポジションを

 「フォワードは花、ディフェンダーは土」

 と形容していたはずです。

 アディダスというサッカーの代名詞にとって、自分より優れた広告塔は他にもいっぱいいますよ、という内田なりの解釈だったのかもしれません。

 アディダスからすれば、もっと彼を全面に押し出す企画があってもよかったと今、振り返っているような気もします。

 引退する内田は、既に代表のコーチ(アンダー世代のようですが)になるんですよね。

 シャルケでラウールと出会い、アントラーズでは小笠原と出会い、その強烈なプロ根性を目の当たりにし、同時に彼も同様にプロ混用の塊でした。

 彼に師事する選手たちは、今からその出会いを楽しみにしていると思います。
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