塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

2024シーズンのJ1優勝はどうなるでしょうか

2024-12-05 00:30:35 | 日記

 町田ゼルビア、サンフレッチェ広島、そしてヴィッセル神戸。

 

 2024シーズンのJ1優勝クラブは、上記3クラブから誕生しますが、どのクラブが優勝しても意味があります。

 

 神戸 昨年に続くリーグ2連覇、今季は天皇杯と2冠という大きな称号

 広島 新スタジアムの稼働もあり、観客動員が大幅に増加、優勝で2025シーズンに大きな弾み

 町田 J1昇格の年にリーグ優勝という、戦前の予想を覆す可能性を最終節まで残す

 

 という形からみても、すごく興味深いと思うのです。

 

 とりわけゼルビアは

 

 天皇杯で戦った筑波大学の選手たちに、プレイが荒っぽいと苦言

 ロングスロー戦法に大きな批判が集中

 

 というように、勝ち点を積み上げて快進撃という、良い報道と同等に黒田剛監督に批判が相次ぎました。

 

 町田ゼルビアは2024シーズンに、五輪代表とA代表に選手を送り込み、東京都の3クラブの中で一番のリーグ順位を得ていますから、批判はある意味で黒田剛監督に向けられているとも言えます。

 

 批判している方はきっと

 

 勝ちさえすれば全て丸く収まるのか

 町田のサッカーも荒っぽいのではないか

 

 と感じ、意見しているのかもしれません。

 

 ただ、町田ゼルビアのファンは黒田監督を信任しているでしょうし、最終節で祝杯をあげることも同時に期待していますね。

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映画「若者のすべて」を鑑賞して

2024-12-05 00:21:31 | 日記

 ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品「若者のすべて」を視聴しました。

 

 177分という長い作品なので、2日(僕は4日と5日連休のため)に分割して視聴しようかとおもいましたが、4日のみで終えました。

 

 それだけ脚本と俳優の描き方が良かったということもあり、それ以上に封切られた1960年代のイタリア社会から、学ぶことが多いとも言えます。

 

 ヴィスコンティ監督はミラノの貴族にルーツがあるんですね。

 

 ヴィスコンティという貴族が中世ミラノを統一し、君臨していましてその時期はフィレンツエにおけるルネサンスでもあり、ピサやジェノバ、ナポリなど、イタリア国内の有力都市が、互いを牽制しあう形でもありました。

 

 映画「ハンニバル」において、ハンニバル・レクターが、自分を疑うフィレンツエ警察の刑事パッツイに

 

 「ここでその名は禁句だろう」

 「生きにくくはないのか」

 

 と尋ねる場面がありますが、作者のトマス・ハリスは史実をしっかり考察していることがわかりますね。

 

 ヴィスコンティは貴族であるにもかかわらず

 

 南部からミラノに移住してきた貧しい民を丁寧に描いている

 どうして彼にこの手法ができたのか

 

 と感じました。

 

 それはヴィスコンティは同性愛者で、ある意味自分も移住者のような「よそ者」と考えていたためなのでしょうか。

 

 ちなみに映画ではボクシングの風景が登場しますが、カルチョ、つまりサッカーではないのですね。

 

 それはボクシングのほうが会場が狭く描きやすい、サッカーではスタジアムを軸の撮影が大がかりになる、という点もあったのでしょう。

 

 ミラノには当然ACミランとインテル・ミラノが今も昔も君臨していますが、ヴィスコンティがカルチョを好んだという話は、まだ聞いたことがないのです。

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改めて、稲本潤一引退を考える

2024-12-05 00:14:18 | 日記

 日本代表選手として初めてFIFAワールドカップで得点を記録したのは、中山雅史になります。

 

 ジャマイカ代表、クロアチア代表、日本代表と初見参の国が3つも顔をそろえた1998年ワールドカップのグループH.

 

 しかし日本代表は勝てる見込みが一番高いとされたジャマイカ代表に1-2で敗北。

 

 初めての得点を刻んだ中山雅史よりも、ジャマイカ代表のウイットモアのほうが有名になったほどです。

 

 ですから昨日引退が明らかとなった稲本潤一の

 

 韓日ワールドカップの2得点は、引き分けと勝利、日本代表の躍進に貢献

 少なくともロシア代表での得点は、アレクサンデル・モストボイ欠場の影響が大きくとも、日本代表の歴史に刻まれる形

 

 であることに間違いはありません。

 

 中山雅史の得点が、ゴールに結ぶことはなかった

 しかし、稲本の得点は異なる

 

 この中には、4年間キリンカップを軸に国内に有力国を招待したこともあれば、本番直前にノルウエーに遠征するなど、ホストとしての責任を考えたこともあるでしょう。

 

 一方で小野伸二、中田英寿、そして稲本自らが本場に移籍し

 

 欧州の有力クラブで場数を踏む

 日本代表への還元を模索

 

 という日々があったこともあるでしょう。

 

 今の時代ならば、ゴンさんは間違いなく欧州に移籍していたはずですが、まだ当時はそうではなかった、時代の影響も色濃いワールドカップだったのではないでしょうか。

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