塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

息子と父の相克

2024-12-16 21:37:36 | 日記

 映画「インセプション」の中で、大富豪の父親が病気で後先短い、その莫大な遺産を息子が引き継ぐことになるのですが、息子は

 

 母親が死んだときも、父は僕に冷淡だった

 僕のことを心底「出来が悪い」と思っている

 

 と感じています。

 

 「波止場」「欲望という名の電車」の演技で知られるマーロン・ブランド

 

 マーロン・ブランドはオスカーを獲得する、その演技力が高い評判でしたが、ブランドの父親は

 

 「やつは大したことがないよ」

 「演技力はそこそこではないか」

 

 と語ったといいます。

 

 マーロン・ブランドも実子たちとの関係性はそう豊かではなかったわけですが、自分の父から嫌悪されて生きてきたという感情と実体験が、子育てを硬直化させてしまった、と僕は推測します。

 

 ヨハン・クライフとジョルディ・クライフのように、皮肉まじりに

 

 「天才の父とぼんくらの息子」

 「息子は何も残さなかった」

 

 と語るファンがいますが、自分が凡庸であるかどうかは、案外息子のジョルディのほうが外野の声を聴かなくとも、感じている面がありました。

 

 また、ネイマールのようにどこか父であるネイマール・シニアのマリオネットのような形も、どうかなあと思うファンが多いはずです。

 

 彼は北中米ワールドカップを目指すといいますが、怪我で欠場することになった2014年は別として、以後の2大会は決勝に進む気配すらありませんでした。

 

 サッカーは個人競技ではありませんから、敗北は基本監督が背負うのですが、ネイマールの招集は紺ん後どうなるでしょうか。

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ミラノ・ダービーが抱える特徴を思って

2024-12-16 21:26:26 | 日記

 大阪ダービー、多摩川クラシコの代表される、Jリーグにおけるダービーの代名詞

 エル・クラシコ、オールドファームに代表される、欧州におけるダービーの代名詞

 ぺニャロールとナシオナル・モンテビデオに代表される、南米におけるダービーの代名詞

 

 これらは常に喧噪と問題行動を引き起こしかねない存在であり、リーグの看板試合でもあります。

 

 ただ、インテルミラノとACミランの対戦、つまり「ミラノ・ダービー」は少し様相が異なります。

 

 そう、この一戦は両クラブが共同保有しているため、サンシーロだけが試合開始の場となるんですよ。

 

 他の対戦は基本、ホームとアウエイの感覚が明確になりますよね。

 

 ですから僕が思うにミラのダービーは

 

 観客動員がアウエイの場合でも、そう簡単には落ちない

 同じスタジアムで戦ってはいるが、ダービーではアウエイとして敵のドレッシングルームを使うという、違和感のある形

 サンシーロの芝は状態がよくないと指摘されるが、共同保有のため両クラブとも言えた形ではない

 

 という点が、実に風情、言い換えれば興味深いと思うんですよ。

 

 そのイタリアの老舗に、本田圭佑と長友佑都が在籍した点は、もっと話題になってもよいとは思いませんか。

 

 ただ2010年代中期のミラン、インテルはいずれも混乱期の真っ最中であった点は、両選手にとっても残念でしたが。

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見方を変えてみませんか

2024-12-16 21:18:55 | 日記

 1914年の第一次世界大戦の始まりは、セルビア人の放った拳銃により、オーストリア皇太子が暗殺されたことでした。

 

 見方は異なるというのはこういう事ですよね。

 

 セルビアからすれば、青年は救国の英雄

 オーストリアからすれば、れっきとしたテロリスト

 

 モーガン・フリーマンがネルソン・マンデラを演じた「インビクタス」でも、支配者階級の白人たちは

 

 「テロリスト」

 「南アフリカもお先真っ暗だ」

 

 と嘆きますが、黒人からすればマンデラはその存在だけでまぶしいわけです。

 

 サッカーにおけるダービーも同じですよね。

 

 レオ・メッシはFCバルセロナにとって、皆がその存在に敬意を払う大切な存在

 しかし、レアル・マドリードからすれば不倶戴天である

 FCバルセロナの名手たち、ヨハン・クライフ、リバウド、ロナウジーニョも同様

 レアル・マドリードの名手たち、エミリオ・ブトラゲーニョ、ウーゴ・サンチェス、ラウル・ゴンザレスも同様

 

 という形でしょうか。

 

 ただ、政治、宗教の世界とは異なり、競技では別の見解もあります。

 

 引退した中村憲剛は川朝喜フロンターレの象徴であり、FC東京からすれば最悪の存在でした。

 

 しかし、彼がいたからこそFC東京の競技力が向上したという面もありますし、案外「敵ながらあっぱれ」と思う関係者は多いはずです。

 

 ラグビーでも「ノーサイド」の精神が根本にあるように。

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