1980年代の日本社会は、たばこと鉄道、そして電話が民営化され特に電話は現在のNTTだけでなく「第2電電」と呼ばれる、現在のKDDIが競合として誕生しました。
民営化できることは民間企業に任せたらどうか
小泉純一郎内閣総理大臣の「郵政民営化」
などは、国が牛耳れば選択肢は一つしかないが、民間であれば当然「競争」が生まれ、価格や応対に差ができる
というわけです。
我が家は毎年、年賀状をああでもない、こうでもないといい、結局僕が毎年苦労して宛名を印刷します。
通常が裏面もそうなのですが、今年は既に印刷済みのものを購入してありますが、母も僕も民間企業、郵便局のいずれかにお金を払い、印刷してもらえばいいと思うんですよね。
我が家の場合、9割は父のはがきですが、父は一切印刷をしません。
ここまで選択肢があるのに
「お前が印刷すればいい」
「既にこんなにはがきの購入費用でコストがかかっている」
と罵倒される始末、その宛名印刷代金が僕が払うといっても、まるで聞く耳を持ちません。
僕は少なくとも
自分の理がすべてと思うことはない
選択肢がいくつかあれば、検討したらよい
と思いますが、昭和の世代は自分の理こそがすべてと思い、面倒な家の事柄は長女、長男が責務を負うのだ(僕は長男です)という感覚なのでしょうか。
アリゴ・サッキが最後まで4-4-2と心中し、フィリップ・トルシエはあれほど批判の大きい3-4-1-2を捨てませんでした。
価値観といえばそれまですすが、自分の信念を勝手に押し付けると、選手、家族はどんどん疲弊していきます。
今年もまた年賀状でああでもない、といいそうですが。