mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

沈まぬ太陽

2009年10月27日 | 映画

 昨日、渡辺謙さん主演の「沈まぬ太陽」をかみさんと見てきました。

 この映画の原作は、皆さん、ご承知のように山崎豊子さんの長編小説ですが、映画化は不可能といわれたそうです。

 小生は、映画どころか原作も知りませんでしたので、内容がどんなものか全くの白紙の状態で映画を見てしまいました。

 映画は、いきなり、群馬県の御巣鷹山の墜落事故をモデルにした画面から始まります。

 渡辺謙が演じる主人公、恩地は、この事故を起こした「国民航空」という政府系の巨大企業に勤務しているが、労働組合の委員長をしていて会社側と強い姿勢でボーナス交渉などに臨んだこともあり、東大法学部卒というエリートにも関わらず、経営側に嫌われる存在になってしまいます。

 そんな中で、副委員長として、ともに組合運動を推進してき三浦友和演ずる行天(同期入社で親友)は、第2組合設立するなど経営側に取り込まれていき、裏金づくりなどを通じて政治家や役人を取り込んで、出世していきます。

 恩地は、会社から煙たがられる存在ですから、パキスタンに2年という約束で追いやられてしまいますが、社長は約束を守らず、次にはイラン、そして、ケニアへと勤務を命じられます。

 その間、妻(鈴木京香さん)と二人の子どもはパキスタンにはついていきますが、それ以外は単身赴任ということになります。

 恩地の転勤が社会的に悪評となり、娘の結婚に支障が出るのですが、この辺りは、現在の社会的評価と違うのではないかと思います。

 まぁ、その話は、映画の大きな流れの出来事ではありません(もちろん、当事者にとっては大きな問題です。)が、この映画の大きな流れは、航空会社の仕事を通じて恩地と行天の生き様というか、人間にとって何が大切なのかを問いただしているのかも知れません。

 会社から完全に干されて、やむなく行天の不正に手を貸して、最後には検察に不正を告発して自殺してしまう組合仲間のことや、総理大臣の肝いりで会長に就任し、恩地とともに不正と戦う国見(石坂浩二)がその総理に辞任を迫られる場面、恩地が国見会長の了解を得て関西に移動して事故の遺族に対する仕事に就こうとしたとき、それを呼び止めてケニア行きを命じた行天常務と恩地と家族の動き、行天に対する東京地検特捜部の接触、そして、ケニアに赴任して草原の野生動物と太陽を見て、沈まぬ太陽に希望を見いだすなど場面が多すぎて、このブログで全部を秩序立ててお話しできないのがとても残念です。

 でも、小生がこの映画で最も感銘を受けたのは、事故の数年前に妻を亡くし、今度は御巣鷹山の航空機事故で子どもと孫を亡くした、お遍路さんにでる遺族(宇津井健さん)がいるのですが、その遺族に恩地が贈る言葉です。

 それは、「自分が今まで生きてきた中で色々絶望を感じたが、あなたが受けた深い絶望とは比べものにならないくらい軽いものだ。」というような趣旨の言葉です。

 そして、そんな絶望に人間は苦しんでいるけれども、恩地には、草原の太陽が真っ赤に燃えて沈まないように見えた、それは、人間にとっては希望そのものなのだ、ということなのでしょうか?それとも、太陽という大きな大自然の営みと私達が会社人間として悩んでいる人間の小ささを考えてみなさい!ということなのでしょうか?

 恩地が、行天が、他の人間が、その後、どうなるのかが見えない内容でしたが、身近にもありそうな不正と出世を取り巻く人間模様でした。

 沈まぬ太陽に希望を見いだすという設定のようですが、小生には希望には見えなかったのですが・・・

 是非、皆さんも劇場に足を運んでこの映画をご覧になってはいかがでしょうか?