mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

南フランスと北部イタリアを巡るツアーと昼火事

2009年10月17日 | 旅行記

 今日は、午前中、二階のベランダに置いてある植木の手入れをしていましたら、昼食の時間となってしまいました。

 ベランダですから植木鉢で管理しているのですが、大きなものから小さなものまで全部で20鉢くらいあるでしょうか?

 今年は、環境に配慮した家にしたいと朝顔を窓際に植えてみたこともあり、毎日のように水やりなどを行う必要があり、管理が結構、大変でした。

 今日の作業は、水やりの他、剪定や草取り、お礼肥(ちょっと早い?)などです。

 ところで、情けない話ですが、今日が何曜日なのか分からなくなってしまうことが良くあります。

 仕事のような生活にリズムがあると、そんなことにはならないのですが、毎日が休みですと「曜日」を気にしなくなってしまうから不思議です。

 毎日、気を引き締めて、そして、目標を持っていないとだめなのでしょうね。

 いきなり、小生の自堕落の話で恐縮ですが、もう一つ、小生の独り言を聞いて下さい。

 昨日、国民健康保険のことで市役所に行ったのですが、その帰りに知り合いの職員と世間話をしてきました。

 毎日、家にいると、たまにはかみさん以外の人と話がしたくなるのです。

 そのくせ、厄介な人間関係はご免被りたい、というのが本音ですから人間という動物は勝手なものです。

 そんな勝手な考え方をしているのは「お前だけだ!」と言われないうちに、話題を海外旅行に移したいと思います。

 前回には、ユーラシア旅行社さんの「西南フランス、絵のような風景へ」と題するツアーの内容をお伝えしましたので、今日は、その続きといきたいところですが、他の旅行会社でも同じような企画がないかと思い、探してみたのです。

 そうしましたら、「ワールド航空サービス」さんのものに同じようなツアーがありました。

 と言いましても、ユーラシア旅行社さんの企画は、南西フランスとスペイン北部でしたが、ワールド航空サービスさんの方は、コートダジュールからイタリアのリビエラ地方ですから、場所的には正反対の方向ということになります。

 さて、ここから本論を・・・と考えていましたら、大きなサイレンの音が鳴り響いています。

 どうやら、昼火事のようですが、ベランダから外を見ましたら煙が「もうもう」と上がっているのが見えます。

 「これは近いな!」と感じましたので、南の方向へ「チャリンコ」でいってきました。

 場所は、鉄道の踏切に近い民家で、家からは直線で700~800㍍といったところでしょうか?

 近くには小生のような野次馬が大勢いますが、小生は、県道上の消火栓(ホースを接続している)のそばで、しばらく現場や消防、警察、野次馬などの様子を見ていました。

 燃えてる家を見ますと、煙は依然として「もうもう」としていますが、色が白くなってきたように思えました。

 近所の方でしょうか、心配そうに「ひそひそ」話をしていますが、この時、小生は、妙な感情にとらわれました。

 なぜ、そうなるのか分からないのですが、煙を見ていますと感情がこみ上げて、「涙」が溢れてくるのです。

 火事になった家とは何の関係もないのですが、本当に不思議な感情です。

 ということで、途中で帰ってきてしまいした。

 そして、このブログの続きを書き始めたのですが、あぁ、ただ今、防災無線の放送があります。鎮火したそうです。

 今日は、フランスのコートダジュールとイタリアのリビエラを巡るツアーについてお話ししようと思ったのですが、またの機会にしたいと思います。

 

 


フランスの最も美しい村:南西フランス絵のような光景へ

2009年10月15日 | 旅行記

 前回、フランスの最も美しい村についてお伝えしていましたら、くたびれて尻切れトンボになってしまいました。

 そこで、その続きを、といいたいところですが、ここのところ、健康のための一時間散歩と趣味と実益を兼ねてやっている畑作業に身が入りすぎて、疲れて体調がおかしくなってしまいました。

 そのため、美しい村のことが頭にはあったのですが、しばらくパソコン作業ができない体調でした。

 というような「言い訳」はこのくらいにしまして、ユーラシア旅行社さんの企画「南西フランス、絵のような風景へ」の続きをおしらせします。

 前回は、高級保養地ピアリッツまでの話でしたが、今日はフランスとスペインの国境をまたいでピレネー山脈の両側に広がるバスク地方についての話です。

 旅行日程を見ると、ピアリッツ~サン・ジャン・ピエ・ド・ポール~オロロン・サントマリー~ルルドとなっています。

 バスク地方に暮らす人々は、今も独自の言語と伝統を今も守っているそうです。

 サン・ジャン・ピエ・ド・ポールは、ナパール王国の一都市として栄え、サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路のフランス側最後の宿場町であったそうです。

 商店の並ぶ賑やかな通りは、巡礼者が行き交った中世を彷彿させるそうでです。

 写真で見ますと、小高い山の麓に赤い屋根の家々が連なっていますが、ヨーロッパらしい「絵はがき」に描かれているような光景が広がっているという印象です。

 そして、ここからルルドに行くことになっています。

 ルルドは、聖母マリアの出現の奇跡が起こった聖地だそうで、聖母出現の洞窟があるそうです。

 でも、説明にある「1858年2月、マリアの命じるとおり、洞窟近くの地面を掘ると泉が湧き始め、その湧き水によって病気が治癒する奇跡が何度も起こったといわれています。」という文面は、もう一つ理解しにくい話です。

 マリアさんは1858年に存命していたのでしょうか?

 それとも、マリアさんが存命中に命じてきたことを1852年に実施したということでしょうか?

 それと、この話は、日本の昔話でも同じようなことがあったと思うのですが・・・

 まぁ、それはそれとして、現地でキャンドルを持った何百人の神秘的な行列の模様を見ることや聖母出現の洞窟周辺の光景は、とても美しく魅力がありそうです。

 さて、次に旅行5日目になりますと、ルルドからモワサック、そして、トゥールーズに行くことになっています。

 トゥールーズは、薔薇色の街として紹介されていますが、モワサックについては、次のように説明しています。

 

 タルン川とガロン川の合流点に近い高台に位置するモワサックは、ブドウ畑の多いのどかな街。シャスラという甘いブドウの産地として食通に知られています。素晴らしいロマネスク彫刻が残るサン・ピエール大修道院付属教会をはじめ、中世芸術の数々が残っていて、サンチャゴ・コンポステラ巡礼地としても多くの人が訪れます。

 

 となっています。

 そして、小生はこのモワサックの説明で気になることがありました。

 それは、サン・ピエール大修道院付属教会の写真です。

 この修道院は、7世紀にベネディクト派によって設立されたそうで、12世紀までは活動が盛んだったそうです。

 その後、アルビジョウワ十字軍、イギリス軍の攻撃などで壊滅状態になったのですが、後の鉄道の普及などで修復され、素晴らしいロマネスク芸術が蘇ったそうです。

 小生が気になったのは、そのロマネスク様式の回廊(11世紀末)です。

 回廊を円柱(116本)が支えているのですが、その円柱と中庭の明るい緑が「パリから行く小さな旅」で見たモンサンミッシェルの修道院と同じなのです。

 薔薇色の町、トゥールーズにもロマネスク様式最大の教会(サン・セルナンデ聖堂)があるそうでから、フランスはロマネスク様式の宝庫なのかも知れませんね。

 今日は「西南フランス絵のような光景」についてお伝えしました。


フランスの最も美しい村

2009年10月08日 | 旅行記

 フランスには、「フランスの最も美しい村」のシンボルマークがあるそうです。

 それは、1982年に発足した協会(どんな協会か分かりません。)が定める厳しい基準をクリアした村のみに与えられる名誉ある称号だそうです。

 そして、実際にそこを訪れると、「どの村も豊かな自然に恵まれ、中世をそのまま封じ込めたようなしっとりした佇まいで、まさに珠玉の風景が広がっています。」となるはずです。

 ヨーロッパと言えば、パリ、ロンドン、ローマ、ウィーンなどの大都市の街並みや文化的・歴史的な建造物などが頭に浮かんできますが、最近、小生は、そういうものではない、もっと自然の美しさや、有名ではないが、「キラリ」と光る遺産などがないかと思うようになりました。

 そこで、そういうものがツアーにないのか探したのですが、イメージにあったものがいくつかありました。

 今日のタイトルにした「フランスの美しい村」もその一つで、ユーラシア旅行社さんのツアーです。

 ツアーの名前は、「南西フランス、絵のような風景へ13日間」というもので、「絵のような」といううたい文句に「ググッ」ときてしまいました。

 そこで、今日はその内容の一部を小生の独断と偏見で紹介してみたいと思います。

 このツアーの魅力は、なんと言っても最初に紹介したように協会が認定した「フランスの美しい村々を訪れる」ことです。

 具体的には、フランス南西部の山間にあるサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼ゆかりの地を訪ねることになっています。

 これをユーラシアさんでは、次のように説明しています。

 「ケルシー地方を中心としたフランス南西部の山間には、かって巡礼者で賑わった町や村が、中世の趣を封じ込めたまま、宝石のように点在します。どの町や村も周りの自然と美しく調和し、安らぎと懐かしい雰囲気が立ちこめています。そうした中にロマネスク時代の傑作が静かに残り、人々の魂を強く引き寄せます。」

 どうですか、この文章を読んだだけで、今すぐにでも飛んでいきたくなったでしょう!

 さて、次に、この旅の二つ目の魅力ですが、それは、ピレーネ山脈の銀嶺、ドルドールやガロンヌ、ロットといった幾重にも流れる清冽な川、緑深い山間部、大西洋の大海原など変化に富んだ自然を楽しむことができることだそうです。

 まぁ、分かりやすく言えば、「雪山」「緑の山間」「清流」「大西洋という海」などが渾然一体となった美しさを表現したものだと思いますが、こういう自然は、日本の方が優れている、という意見もあるでしょうね。

 そして、次のの魅力ですが、美食のフランスでもこの地域は、食事の美味しい地域だそうです。

 南西フランスは、大西洋から「海の幸」が、山塊部から「ブドウ」や「クルミ」といった「山の幸」がとれるほか、「フォアグラ」の産地でもあるそうです。

 以上で、フランスの最も美しい村を訪ねるツアーの説明を終わりにしたいところですが、これでは、いったいどこに行くのか分かりませんね。

 そこで、今日は最初のところだけお話したいと思います。

 まず、訪ねるのはビスケー湾の真珠といわれるスペインの「サン・セバスチャン」です。

 それにしても、ここでも「なんとかの真珠」という言葉がでてきました。ヨーロッパの宣伝の常套手段なのでしょうか?

 話を戻していただいて、サン・セバスチャンは、ハプスブルク家王妃マリア・クリスティーナがこの町を保養地として以来、高級避暑地として発展してきたそうです。

 その次の訪問地は、フランスのお洒落なバスクの港町、「サン・ジャン・ド・リュズ」です。

 この町は、女性に人気があるそうで、瀟洒な建物が並ぶ開放感溢れる港町とされており、また、知られざる美食の町でもあるそうです。

 次に、この旅の日程では、サン・ジャン・ド・リュズを見た日は、「ピアリッツ」という町に泊まりますが、ここから「アスカン」「バイヨンヌ」といった個性的な町を巡ります。

 まず、ピアリッツですが、ここは、太平洋の大海原が広がるところで、かっては多くの王侯貴族が滞在したナポレオン3世ゆかりの地だそうです。

 次に、バイヨンヌは、15世紀、レコンキスタの余波でスペイン国境からユダヤ人達が移り住んだ町だそうです。

 このユダヤ人達が商才を発揮して広めていったのがバスクの生ハム、サラミ、塩やチーズ、フォアグラやチョコレートだそうで、バイヨンと言えばチョコレートといわれるくらいフランスでも本場とされているそうです。

 また、アスカンなどのバスク地方の古い民家は、、真っ白な漆喰壁にカラフルな色の木組柱や窓が特徴で、露出している柱材や窓枠保護のため赤色の防腐剤を塗装しているそうです。

 きっと、木組みのカラフルな家々が並んでいるのでしょうね?

 次に、・・・と言いたいところですが、いささか疲れてきました。

 この続きは、次回、お伝えしたいと思います。

 今日は「フランスの最も美しい村」についてお伝えしました。

 


ピラミッド

2009年10月06日 | 旅行記

 昨日、ユーラシア旅行社さんから「地球を旅する情報誌」「EURASIA」11月号が送られてきました。

 旅行会社の宣伝としては、異色なパンフで「とっても洒落ている」のですが、中身もユーラシアさんの旅行案内もありますが、、旅のテーマを専門家が巻頭言的にいくつか寄稿しています。

 今回は、その中で「ピラミッドへ思いを馳せよう!」と題して、大城道則(おおしろみちのり)先生(駒沢大学文学部歴史学科準教授)が謎に満ちた古代エジプトの知恵と技術について投稿されていました。

 その要旨は、次のようなものです。

 

 まず、最初に「今こそピラミッドとは何か考えてみよう!」と次のように呼びかけています。

 古代エジプト人たちは、ピラミッドのことを「メル」と呼んでいた。

 私達は、数千年の時を超えて古代エジプト人たちとほぼ同じ風景を見ることが可能である。

 しかし、我々はいまだそのピラミッドについてほとんどなにも知らないのである。

 ピラミッドは、現代科学でも十分に説明できない疑問点をいくつも持っている。

 例えば、「ピラミッドは何のために造られたのか」、「ピラミッドはどんな方法で建てられたのか」、あるいは「もしピラミッドが王墓であるならなぜ王のミイラがないのか」などである。

 そして、それらが数千年間、我々人類の頭を悩ませてきた。

 そのため星を観測するための天文台説、飢餓の際に食料を貯めておく穀物倉庫説、あるいは日時計説、はたまた宇宙人説など荒唐無稽なものも含めて数々の仮説が古代エジプト研究者のみならず、さまざまな分野の人々によって提案されてきた。

 しかし、約4500年以上も前の出来事について明確な回答を提示することなど、どんな天才にも不可能なのである。

 でも、この「ピラミッドとはいったい何か」について毎日の生活の中で思いを巡らすのは楽しいことである。

 できれば「あなたにも現地エジプトに赴いてピラミッドを見上げつつ考えて欲しいものである。」と結んでいます。

 そして、次の段落では、「ピラミッド時代の人々」と題して、ピラミッドを造った(作業をした)時代の人々の営みを「奴隷的・強制的」ではなく、「建設現場ではいつも楽しげな歌声が響いていたに違いない。」と推論しています。

 最後に、「外国人たちが見たピラミッド」と題して、古代ローマ人たちが観光のためエジプトを訪れたとき、エジプトの遺跡の至る所で落書きをしていたという話や、現代でもフランス、ドイツ、イギリスなどで時代や地域を超えてピラミッドが存在しており、それだけピラミッドが人々を魅了してやまないことが分かるとしています。

 日本でも、沢山のピラミッドがあるそうで、日本人は、古代エジプト文明が大好きな国民であると言っています。

 

 さてさて、というような内容ですが、古代のエジプト人達は、どうしてあんな三角形の巨大な建造物を造ったのでしょうね。

 あの有名な吉村先生は、なんと言っているのでしょうか?

 小生は、中国や日本の歴史を見ていますと、「帝王の墓」であると考えるのが素直な考え方だと思うのですが・・・

 まぁ、「ああじゃない、こうじゃない」と考えたり、酒を酌み交わしながら議論したりすることが楽しい!のでしたら、こんな良いことはありません。

 人生!それだけで楽しいじゃありませんか!

 ところで、小生は、エジプトのピラミッドに行ってないのですが、パリでピラミッドを見ました。そう、ルーブル美術館です。

 そして、我が埼玉県でも見ました。加須市の「パストラルかぞ」がピラミッドなのです。

 著者の大城先生は、先ほど申し上げたように「日本人は、古代エジプト文明が大好きな国民である。」と言ってますが、こうして身近にありますと、案外、そうなのかも知れませんね。

 エジプト旅行と言いますと、かみさんは「身体が何かにしばられたように身動きできなくなる。」というような話を友人などから聞いて怖がっていますが、是非、訪問してみたいものです。

 今日はエジプトのピラミッドについてお伝えしました。

 

 


ローマ:ヴァチカン市国と下町散策

2009年10月03日 | 旅行記

 皆さん、お早うございます。

 昨日は、母の祥月命日でしたので、墓参りに行ってきました。

 うちのかみさんは、母のことで反省することが多いようで、よく、「ああすれば良かった」というような話を小生にします。

 小生も最近まで、母のことを思い出すと、同じ思いを持っていました。

 でも、段々、そうした思いが薄れていくのが不思議でなりません。

 小生の人間性に問題があるということでしょうか?

 その点、夫である小生が言うのもなんですが、かみさんは、常に感謝の念を忘れないようでして祥月命日を実行して母の墓前で「日常の報告」と「これからの生き様」を話しかけているようです。

 また、特定の宗教への強い信仰はないようですが、神様、仏様への感謝の念も持っているいるようです。

 神様、仏様などは、弱い人間の心が作り出した幻想であるなどと考えている小生は、もっと覚めて目で見ているのですが・・・

 そもそも最近の中東を巡る戦争の原因は、何でしょうか?

 欧米などの資源獲得?に始まり、テロへの報復?などが考えられますが、今回のアフガンやイラクの戦争は、アメリカが始めた戦争であることは厳然たる事実です。

 それに対して一部の国の過激派(アルカイダ?)は「ゲリラ」とか「テロ」とか「ジハード」とかいって、戦前の日本の特攻隊のような戦い方を行っています。

 ここに宗教の恐ろしさが潜んでいるような気がしてならないのです。

 もちろん、何かを熱狂的に信じて、その何かのためには自らの命も投げ出すという考え方は、宗教だけではないかも知れません。

 話が小生の個人的な宗教観からとんでもない方向に飛んでしまいました。この辺で、本論に戻っていただいて、ローマのヴァチカン市国と下町散策についてお話ししたいと思います。

 その前に、スタンダード観光コースの最後の訪問地になっている「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」についてお話しします。

 ここは、皆さんご存じの「ローマの休日」でお馴染みの「真実の口」がある教会です。

 「嘘をついている人が口に手を差し込むと、抜けなくなる」という真実の口は、海の神トリトーネの迫力ある顔とマッチして、観光客には堪らない場面となっています。

 私達は、個人的にここを訪れましたが、「真実の口」に手を差し込むまでには、行列ができていましたので長い時間がかかりました。

 場所は、フォロ・ロマーノから徒歩で10分、まさに「隣り」という感じですが、行ったときには、まったく分かりませんでした。

 さて、次にヴァチカン市国ですが、ここには朝早く出かけたにもかかわらず、大勢の人々が市国周辺に並んでいて、入場(国)するのに時間がかかったという記憶があります。

 ここのハイライトは、「ヴァチカン博物館」と「サン・ピエトロ大聖堂」です。

 ヴァチカン博物館は、教皇の珠玉のコレクションなどと言われていますが、「そのコレクションは、古代ローマ以前の彫刻、ルネサンス絵画、タベストリー、聖書など実にさまざま、さらに時代や品物別に整理され、各展示コーナーにもひとつずつ名前がついている。ただ、全部を見るとなると1週間はかかる・・・」という「珠玉」という言葉に相応しいものです。

 「1週間もかかるのにお前はどう見てきたのだ?」と詰問されそうですが、正直なところ、良く覚えておりません。

 ただ、古代の彫刻を集めた「ビオ・クレメンテーノ美術館」や「ピナコテカ」といわれる絵画舘、「ラファエロの間」、「システィーナ礼拝堂」のことは良く覚えており、特に、ラファエロの「アテネの学童」、ミケランジェロの「最後の審判」などのフレスコが目に強く焼き付けられたものです。

 いずれも学校の教科書に出てくる絵画などですが、「一生に一度は見ておきたい絵画」という説明がありますが、「何度でも、じっくり見たい」ものです。

 今日は、ローマの珠宝についてお伝えしました。