ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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手塚治虫記念館にいってきました

2022-06-08 17:30:13 | 旅行

宝塚にある手塚治虫記念館に行ってきました。

先日山田風太郎展に行ってきたという話を書きましたが、せっかく兵庫県まで行くということなので、あちこち行ってみようということで、その一環です。姫路からだとだいぶ離れているということに現地にきてから気づきましたが……まあ、すでに予定としていたので、行ってきました。


行ってみると、たまたま、「鉄腕アトム連載開始70周年記念」という企画展をやってました。



漫画『鉄腕アトム』の原画がいくつか展示されており、非常に貴重な資料をみせていただきました。

手塚先生はアトムを代表作とされることを嫌がっていたともいいますが……やはり20年近くにもわたって連載し、アニメ第一作となったアトムには愛着があったでしょう。
そのアトムも、長く続けているといろいろあって、テコ入れのために、アトムのキャラを“悪者”のほうに寄せるという趣向がとられたことも。
今回の展示ではじめて知ったんですが、編集からの提案でそういう話になり、結果としてあまり読者受けはよくなかったという……まあ、そんなもんでしょう。
ただ、実際そのあたりのエピソードを読んでみると、私は非常に面白く感じました。不本意な設定でさえ、こういうストーリーを創れてしまう手塚治虫というクリエイターの偉大さなのでしょう。

せっかくなので、『鉄腕アトム』の動画を。
1980年代のリメイク版です。

【公式】鉄腕アトム(1980) 第1話『アトム誕生』

オリジナルストーリーですが、手塚先生がみずから制作に関わっています。
脚本とか、もうそういうところに名前が入っているわけです。超大御所でありながら、こうして最前線に出てくるバイタリティが、手塚先生のすごいところ。


この手塚治虫記念館は、常設展示のほうも、充実しています。
やはり原画などがふんだんにあり……映像資料も。
その映像の中で、漫画家にハングリー精神がなくなっているということを手塚先生が嘆いておられました。

手塚先生自身はハングリー精神のかたまりで、漫画界に新たなヒット作、新たなトレンドが出てくると、激しい対抗意識を燃やしていました。
そのことが、幾度か「過去の人」のような状態になりかけながら、そのたびに最前線に復帰するということを死ぬまで続けた源泉でもあるわけです。
『鉄腕アトム』にしても、足かけ18年におよぶ連載のなかで、微妙にアトムの絵柄を描き分けている。それは、つねに新たな読者を獲得するためだというのです。
しかるに、いまの漫画家にはそういう貪欲さがない――と、先生はおっしゃるわけです。
「いまの」といってももう30年以上前の話にはなるわけですが……これはあながち、ただの「近頃の若いもんは」論でもないと思います。
ロックンロールと漫画は20世紀カウンターカルチャーの最前衛だというのが私の文化史観ですが、この二つは似たような道をたどってきました。はじめは蔑まれる存在だったものがやがて大きく発展し、ポピュラーになったがゆえに、その草創期にもっていた反逆精神を失うという……
日本の漫画に関していえば、日本の漫画・アニメは世界に誇れるすばらしいものだといったことを自ら意識して言い出した頃が一つの転換点なんじゃないかと思います。
そうやって大物ぶりはじめた結果、案外この分野でも日本は世界における存在感を失いつつあるんではないかと……
やはりカウンターカルチャーというのは、権威の側から蔑まれ、下に見られてこそ、エネルギーを爆発的に燃焼させるのでしょう。ゆえに手塚先生は、漫画が輝くためには批判が必要だというのです。至言ではないでしょうか。

最後に……
宝塚駅から手塚治虫記念館にいたる道のところどころに埋め込まれている手塚キャラのパネルを載せておきましょう。










山田風太郎展

2022-06-06 21:33:46 | 旅行


昨日のことになりますが、姫路で行われている山田風太郎展というものに行ってきました。



山田風太郎は、姫路の出身。
ということで、姫路で行われている展示です。巡回展ではないらしく、ここでしか見れないということで姫路までやってきました。昨日がその最終日……ぎりぎりですべりこんだというところです。

出身地である姫路で、生誕100年という記念でもあり……この企画に親族の協力も得て集められた資料は、質、量ともに相当なもの。そういうかたちでの展示なので、多くの資料が複製ではなく現物となっており、そこがまたすばらしい。


山田風太郎といえば、なんといっても忍法帖シリーズでしょう。
それらの作品は、『魔界転生』や『SHINOBI』など、今世紀に入ってから新たに映画化されたりもしています。
しかし……山田風太郎がはじめに商業作家として世に出たのは、探偵小説というジャンルにおいてでした。
しかも、凡百のミステリー作家ではなく、江戸川乱歩や横溝正史とも親交のある正統本格派なのです。
乱歩が風太郎を高く買い、高木彬光や香山滋らとともに“戦後派五人男”と呼んだことは以前どこかで書きました。今回の展示会では、そういったミステリー界の大物たちと交わした書簡などもあり、非常に興味深いものでした。
意外なところでは、中井英夫とも交流があったそうです。中井英夫といえば、奇書『虚無への供物』。アンチミステリというか、メタミステリというか、そういう方向の人であり、本格推理とは一線を画する作家ですが……山田風太郎も本格推理の世界にどっぷりつかっていたわけではないので、ある種通じ合う部分があったのかもしれません。ただ、直接会ったことはなく、手紙のやりとりをしていたということらしいですが……
さらに意外なのは、ミステリーの枠を超えて色川武大などとも親交があったといいます。
色川武大、またの名を阿佐田哲也……そう、あの麻雀放浪記の阿佐田哲也です。風太郎もまた名うての雀士(ただし自称)であり、阿佐田哲也ともよく卓を囲んでいたとか。そういう文壇の麻雀仲間みたいなものがあって、その縁で角川から特製の雀牌を贈られたということで、その牌も展示されていました。どこが特製かというと、一筒四枚の中央に「山」「田」「風」「太郎」という文字が刻印されているのです。これはもう、国宝級の雀牌といってもいいでしょう。



山田風太郎といえば日記文学でも有名ですが、今回の展示ではそれらのもととなった日記の実物も展示されていました。

なかでも特に目を引いたのは、1945年8月15日のことを書いた日記でしょうか。
おそらく作品として刊行されているのだと思われますが、正直私はそちらのほうにはあまり詳しくなく、初見でした。

1945年8月の時点で山田風太郎はまだ学生であり、いつもどおりに大学で講義を受けていました。
その日の朝、「政府から重大発表がある」ということが告知されていて、しかも、天皇自身の肉声がラジオで放送されるらしいということで、それは何だろうかと学生たちのあいだで話題になっていたようです。
「休戦、降伏、対ソ戦宣言」という三つの選択肢が挙げられていて、風太郎は「対ソ戦宣言」一択と考えていました。
降伏などありえない、対米英戦争が抜き差しならぬところにソ連参戦という未曽有の国難にあたって、天皇自らが国民に呼びかけようということに違いない……と。
山田風太郎でもそうだったのだなあ、と思わされます。
まあ、その時代はたいていそんなものでしょうが……やはり、プロパガンダが行き届いていると、山田風太郎でさえ目が曇ってしまうわけです。つまりは、いまのロシアみたいな感じだったんでしょう。



ちなみに、姫路文学館では、別の企画もやっていました。



こちらは、本格系のミステリー作家たちが、文章やイラストなどを寄せたもの。

このなかで、方丈貴恵さんに関しては、たまたま最近この方の作品を読み、また、ご自身のツイッターアカウントで山田風太郎展に行ってきたとつぶやいておられるのも目にしました。出身が姫路なんだそうで……そういう点でも特別だったのでしょう。

さらに、この姫路文学館には、姫路ゆかりの作家らに関する常設展示もあり、また、司馬遼太郎関連の展示などもあって……いろいろと刺激を受けました。こうして姫路まできた甲斐があったと思います。



小倉にいってきました(2)

2022-05-08 18:33:02 | 旅行


先日の記事の続きです。

私が小倉を訪れた真の目的とは……これです。





今この映画が、デジタル4Kかつ、ドルビーアトモスでリマスターされていて、全国で上映されているのです。

4Kリマスター版の上映というのがちょっと前にもあったんですが、そちらはタイミングがあわず行くことができませんでした。
しかし今回は、ドルビーアトモスという音響もくわえて上映される……GWというタイミングで行くこともできる、となったわけです。

ただし、ドルビーアトモスという設備を備えた映画館はそれほど多くなく、上映できる場所はかぎられています。そのなかで、自宅からもっとも近いのが、北九州だったのです。

劇場版2作、『銀河鉄道999』と、『さよなら銀河鉄道999』の両方を観てきました。
北九ぐらいなら日帰りでも行けるのにそうしなかったのは、そのため。上映スケジュールとして一日のうちにはどちらか一方しかやっていないために、両方観るためには最低二日が必要でした。なら、宿泊して他にもあれこれ見てくればいいんじゃないか……と考えていたら、二泊三日になったわけです。

まあ、どちらも過去に観たことはあるので、話の筋はわかってるんですが……それでも、こうして観に行く価値は十分にある作品なのです。

一応簡単に説明しておくと、『銀河鉄道999』は、もとのストーリーを編集しなおして一本の映画にしたもの。『さよなら銀河鉄道999』は、その後日談となっています。どちらにも、キャプテン・ハーロックとクイーン・エメラルダスが登場。ハーロックファンとしては燃えるポイントです。

その映画の内容に関しては、映画記事として別に書くことにして……

今回の小倉行きでは、999やハーロックにまつわるものも見てきたので、この記事ではそれらを紹介しようと思います。


小倉駅内には、車掌さんがいます。



なんでそんなものがあるのかというと……北九州は、999の原作者である松本零士先生と深い関りがあるからです。

松本先生は、出身は久留米ですが、漫画家として上京するまでの少年時代を北九州で過ごしています。その縁で、小倉駅周辺には松本零士先生に関するいろんなものがあるのです。

たとえば、駅前にはキャプテン・ハーロックの銅像。
しびれます。


メーテルと鉄郎もいます。



小倉駅はモノレールも乗り入れていますが、このモノレールには999号というラッピング車両があります。







これだけ、小倉と松本零士先生には深いつながりがあるのです。
小倉で松本といったら清張ばかりではありません。いや……むしろ、松本零士先生のほうがより推されているといってもいいでしょう。

その推しっぷりがよくわかるのが……北九州漫画ミュージアム。

ここも松本零士の世界が前面に押し出されています。

入場者を出迎えるのは、ハーロックとアルカディア号三番艦……と、トリさん。



そしてメーテル。



『宇宙戦艦ヤマト』に登場する森雪の大型フィギュアもありましたが、そちらは撮影不可でした。

館内で上映されている999のショートアニメがあったんですが、こちらも豪華です。
北九州の歴史を紹介するという内容なんですが、主要キャラにはちゃんとアニメ版と同じ声優をあてています。つまり、野沢雅子さん、池田昌子さん、肝付兼太さんをこのアニメのためにキャスティングしているわけです。相当な力の入れようじゃないでしょうか。

最後に、ミュージアムの出口に設置されていたパネルの画像を紹介しておきましょう。









小倉にいってきました。

2022-05-07 21:06:46 | 旅行



先日、ゴールデンウィークということで北九州の小倉に行ってきました。
県内なので、旅行というほどのものでもありませんが……三日ほどかけて、あちこち見てきたので、今回はその画像を紹介しようと思います。


まずは、小倉のシンボルともいえる小倉城。
細川氏が小倉を拠点にしていた頃に築いた城です。



ただ、幕末の第二次長州征伐における戦闘で壊滅的なダメージを受けてしまいました(天守はそれよりも前に焼失)。この天守は、昭和になって復元されたもの。
夜は、このようにライトアップされています。




小倉といえば……当地ゆかりの作家として松本清張がいます。

西小倉駅の付近に清張通りという通りがあり、そこに松本清張記念館が建っています。ここも訪問してみました。



ここの展示であらためて清張の事績を眺めてみると、その幅広さに驚かされます。私としてはミステリー作家という部分に目がいきがちなんですが、ミステリーではない作品も多くあり、その一環として時代小説を書くだけでなく、本格的に歴史研究にとりくみ、しかもそれが古代から近現代史にまでわたるという……

そして、その清張もリスペクトしていた森鷗外。
小倉にゆかりがある、もう一人の巨人です。清張が芥川賞を受賞した『ある「小倉日記」伝』の小倉日記というのが鷗外の作品。ほかにも、清張は鷗外作品を作中に引用したり、鷗外の評伝を書いたりもしていて……深い関心を寄せていたようなのです。

鷗外は左遷されて小倉に住んでいた時期があり、小倉駅近辺には関連施設などが点在しています。
最近私のなかでは森鴎外の株が結構上がっていたということもあり、そのいくつかを見てきました。


小倉駅前には、その旧居を示す碑が。



市内には、“鷗外通り”もあります。そして、鷗外橋なる橋も。
下は、その画像です。



橋のたもとには、鷗外の文学碑がありました。



鷗外の旧居を再現したものも。



当時の様子をほぼそのまま復元しているということです。





邸内には、ミニチュアも展示されています。



そして、安国寺。
小倉時代を描いた短編「二人の友」で、ここの住職との交流が描かれていました。



禅宗の寺院ですが、鷗外は住職から唯識を学んでいたといいます。仏教にもさまざまな思想がある中から唯識を学んでいたというのが、いかにも鷗外らしいんじゃないでしょうか。

さて……

以上書いてきたいずれも意義深いものではありましたが……実は、私が今回北九州に行ったのは、これらのためではありません。
本来の目的は、別にありました。
それについては、また別の記事として書こうと思います。
というわけで、今回はこのあたりで。


二年ぶりの熊本城

2020-09-22 19:31:01 | 旅行


先日書いたように、日曜日に熊本に行ってきました。

それは、乾信一郎、横溝正史に関する展示を見に行くためだったわけですが……そのついでに熊本城にも立ち寄りました。

熊本城といえば、私は二年前にも訪れています。

そのときは、あの熊本地震から二年というときでしたが……それからさらに二年たって、熊本城がどうなっているのか見ておこうということで。

復旧は一定程度進んでいて、本丸天守はこんな感じでした。



ちなみに、二年前は下のような感じ。



比べてみると、天守本体の修復は一応済んだ状態みたいです。
ちょっと角度を工夫すれば、ほとんど震災の傷跡を感じさせないようにも撮れます。


前回来た時には、天守にいたる通路は封鎖されていて、ここまで来ることもできませんでした。そう考えると、たしかに復興は進んでいるのです。
今は、入園料を払って入るスペースも再開していて、天守周辺まで入れるようになっています。
おかげで、前回はこれなかった「くらがり通路」にも入れました。


熊本城の本丸天守は、二つの石垣の上にまたがるようにして建っているため、石垣と石垣の間に地下通路のような空間ができています。これが、「くらがり通路」。



ちょっと横溝感も出ていていいんじゃないかと思います。復興が進んでいればこそ、こういうところも見学できるようになっているわけです。

ただし、これはあくまでも本丸天守の話。
おそらくそこが最優先で修復されているのだと思われますが、それ以外の場所では、二年前とほとんど変わっていないように見受けられる箇所も多数ありました。

たとえば、この画像。



これは二年前に撮った画像ですが、この場所は現在でもほぼそのままのように見えました。この状態で何年も放置しておくのは危険なんじゃないかと思うんですが……
城内のあちこちに崩れた石垣や瓦が保管されている状況もありました。
やはり、それらをきちんとした工法で修築するのは、相当な手間がかかるということなんでしょう。
これからさらに修復が進んでいくのを今は待ちたいと思います。