ロック探偵のMY GENERATION

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WANDS 「David Bowieのように」

2025-01-15 22:48:11 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。


先日、このブログで「もう一つのロックの日」ということで記事を書きました。

1月8日がデヴィッド・ボウイ(と、エルヴィス・プレスリー)の誕生日だからということだったわけですが……そこから、ボウイつながりということで、今回取り上げるのは、WANDSの「David Bowie のように」という曲についてです。

WANDSといえば、昨年、中山美穂さんの記事で「世界中の誰よりきっと」でコラボしていたという話もありました。中山美穂と、デヴィッド・ボウイ……あまりつながりそうにないこの二つの要素が、一つのバンドの中でどのように同居しているのか。そこを探っていくと、ロックとは何か、グラムとは何か、会社に所属して商売として音楽をやるというのはどういうことかーといった深いテーマが見えてくるようでもあるのです。


WANDSは、いわゆるビーイング系のなかでも、トップクラスにヒットしたバンドといえるでしょう。

ビーイング系アーティストたちは、音楽的な部分だけでなく、CDのジャケットを一目見ればそれとわかる、ある種のブランドイメージを確立していたといえるでしょう。タイアップ戦略も巧みで、ビーイング系のバンドが相次いでヒット曲を連発し、90年代初頭頃には一時代を築いた感もあります。
ただ、そのブランドイメージは、あくまでもビーイングという会社が主導したものであって、本人たちのやりたい方向性と必ずしも一致しない部分があったようです。WANDSの場合はそれが顕著で、ボーカルの上杉昇さんは当時の活動に不満を持っていたことをあちこちで発言しています。
ただ、時代がちょっと進んでいくと、WANDSの音楽にもだいぶ変化が見られました。そのへんまさに私はリアルタイム世代ですが、10枚目のシングル「Same Side」 が出た時に、だいぶ雰囲気が変わったなと感じた記憶があります。さかのぼって考えれば、その前のシングル Secret Night からその萌芽はあって、それがより前面に出てきたというところでしょうか。そして、上杉昇在籍時最後のシングルとなったWorst Crime……私は、このあたりのWANDSは結構気に入ってました。これが彼らの本来やりたかったことなんだろうな、と受け止めてもいました。(ただ、上杉さん本人が志向していたという80年代グラム系メタルよりは、90年代風のオルタナ/グランジに寄っている感もありますが)
しかし、おそらく路線変更をめぐってレコード会社側とは軋轢もあったものと思われ……WANDSは激変することに。ボーカルの上杉昇、ギターの柴崎浩という二人が脱退し、ほぼ別物のバンドとなるのです。大幅なメンバーチェンジを経た新生WANDSは、まるでDEENとかFIELD OF VIEWのようなバンドになっていて、その変化に愕然とさせられたものです。別にDEENやFIELD OF VIEW が悪いというわけではありませんが、WANDSに求めているものはそれじゃないという……実際のところ、この変化についていくことができたWANDSファンはそうそういなかったんじゃないでしょうか。
スリーピースのバンドで2人が脱退というだけでも相当なことですが、その二人がボーカル/ギターという、バンドのなかでも前に出るパート。もっといえば、WANDSというバンド名は上杉、柴崎両氏の名をつなげたものという意味合いもあるとされているのです(「上杉」は英語でWESUGIと表記されていて、Wesugi AND Shibasaki でWANDSという解釈がある)。なにか、“大人の事情”が働いているような印象も濃厚に感じられ……ビーイングブーム自体も新たなムーブメントに押されるかたちで終息していき、WANDSは低迷状態に陥ったといって差支えないでしょう。
それからの年月で、さまざまに紆余曲折がありましたが……数年前に、ギターの柴﨑さんが復帰し、WANDSとしての活動を再開しました。現在のWANDS
は、第五期として活動しています。


WANDSの代表曲の一つに、「世界が終わるまでは…」があります。
TVアニメ『スラムダンク』で使用され、タイアップ効果もあって大ヒットしました。巷のライブハウスなどで、今でもたまにこの曲を聴くことがあります。
そして、WANDS自身も、第五期メンバーで再録しています。

WANDS 「世界が終るまでは… [WANDS第5期ver.]」 MV

この曲は、WANDSが大きく方向転換する直前のシングルであり、「世界が終わる」という言葉はその決別宣言であるともいいます。彼らが決別しようとした「世界」というのは、中山美穂さんとのコラボで大ヒットした「世界中の誰よりきっと」の「世界」でもありました。

それ自体は、商業主義に反発したグランジ/オルタナの動きと合致しているでしょうが……しかし、WANDSにおける変化はもう少し複雑だったようにも思われます。
というのは、もともと上杉さんが志向していたのは、80年代のグラムメタルだといわれるからです。
私個人としても、Jumpin’ Jack boyのイントロがヴァン・ヘイレンのPanamaに似てるんじゃないかとか……(よくあるコード進行ではありますが)そんなことを思ってました。
で、そうなってくると、80年代メタル vs 90年代オルタナ/グランジという対立軸も出てくるわけです。
この多層構造が、奇妙なねじれにもつながります。
アメリカの80年代メタルバンドは、レコード会社からオルタナ/グランジに寄せるよう求められそれに対して消極的だったりしたわけですが、WANDSの場合は逆に、バンド自身がオルタナ/グランジの方向性を望み、レコード会社は難色を示すというふうになっていました。日本のポピュラーミュージック史や音楽業界事情をあわせて考えると、この逆転現象は興味深いものがあります。



最後に、「David Bowie のように」について。
これは、第五期WANDSが発表した曲です。第五期として最初にリリースしたアルバムの、一曲目に収録されています。

WANDS 「David Bowieのように」 MV

デヴィッド・ボウイといえば、グラムロックを代表するアーティストの一人であり、長いキャリアのなかでさまざまに音楽性を変化させてきた人です。その変化は、自身が作り上げた虚構と向き合いながらのものであったということを、いつかこのブログで書きました。
WANDSもまた、そうなのでしょう。時代の奔流のなかで音楽性を幾度も変えてきたキャリアがあり、そのなかで過去にかぶっていたペルソナと向き合いつつ活動する、しなければならない、という……

  確かめた答えに
  何も無かったとしても
  今更戻れない
  絶え間ない寂しさの果てに

  不思議と泣いた歌詞に
  意味が無かったとしても
  今更変わらない
  思い出が美しいことに

という歌詞は、ある種の虚構性を受け入れつつも、過去を肯定する姿勢のように読み取れます。
そこには、ロック史における振り子運動を振り切って立とうとする、力強さのようなものも感じられるのではないでしょうか。