ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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The Darkness - Rock and Roll Party Cowboy

2025-01-29 23:49:34 | 音楽批評

ダークネスがニューアルバムを発表するということです。

ダークネスといえば……2000年代初頭に彗星のごとく現れたハードロックバンド。
グラムメタルに分類されることもあって、最近このブログで書いているグラム系アーティストの一つともいえます。

どのあたりがグラムかというと……見た目的な部分もそうですが、ボーカルであるジャスティン・ホーキンスのハイトーン・ボイス。
最初に聴いたときに、私はちょっとクイーンっぽさを感じもしました。グラム色の濃いハードロックバンドということは、クイーンの直系といえるんじゃないでしょうか。
クイーンとは、ちょっとしたつながりもあります。
というのは、現在ドラムを叩いているルーファス・テイラーは、クイーンのドラマーであるロジャー・テイラーの息子なのです。テイラー・ホーキンスが死去した後フーファイターズに加入するという噂もありましたが、それは実現せず、ルーファスは今年でダークネス加入10年目を迎えます。

話のついでで、今年の元旦に公開されたロジャー・テイラー出演動画。
曲は、クイーンがデヴィッド・ボウイとコラボしたUnder Pressure。まさに、ここにはグラムの血が流れているのです。

Roger Taylor & Louise Marshall - Under Pressure (Jools' Annual Hootenanny 2024)

ダークネスの話に戻りましょう。

ボーカルのジャスティン・ホーキンスは、ハイトーンボイスを操るだけでなく、リードギターもやっています。
ボーカルだったらリズムギターのほうなんじゃないかと思うところですが……リズムギターをやっているのは、ジャスティンの弟ダン・ホーキンス。
この人は、AC/DCのマルコム・ヤングに惚れ込んでリズムギターを志したという筋金入りの人物で、マルコムの真似をするために一万時間を費やしたと豪語し、マルコム亡きいま「世界に残された最後の正真正銘のリズムギタリストの一人」を自負しています。

女王の血脈と、オセアニアのタテノリグルーブ……その継承者であるならば、最強のハードロックバンドということになるのは必然でしょう。ロックンロールというジャンル自体が衰亡しつつあるともいわれる今、そんなダークネスは「最後の正真正銘のロックバンドの一つ」なのかもしれません。

ここで、ニューアルバムの中から動画が公開されている曲を一つ。

The Darkness - Rock and Roll Party Cowboy (Official Visualiser)

  ノースリーブの革ジャケット
  ハーレー・ダヴィッドソン

と始まるこの歌は、まさに80年代風メタルへの賛歌といえます。
キメの部分では、

  トルストイなんか読むつもりはないぜ

というフレーズ。
ここでトルストイが出てくるのは、直接的には韻の関係ですが、マジメとか道徳的とかいうものの象徴みたいな意味合いを持たせてもいるのでしょう。
そういうものに背をむけてみせるという、偽悪性……いかにもグラムロックというところです。
私は80年代のメタルをリアルタイムで聴いていたとはいいがたい世代ですが、なんとなくそういう雰囲気を肌で感じてはいて、ダークネスを聴いているとその懐かしい空気を感じる部分があります。そこがつまりは、ある種のメタルリバイバル的なところでしょう。そういうリバイバル的なスタイルにはいろいろな屈折がついてまわるのが宿命ですが、そのいろいろのなかで彼らがどう自分たちの音楽をやっていくのかというところに、あるいはロックンロールの未来が見えるのかもしれません。




西山女流三冠、棋士編入試験突破ならず

2025-01-22 22:32:40 | 日記


本日、西山朋佳女流三冠の棋士編入試験第五局が行われました。

今まで将棋の記事というのは書いてませんでしたが……実は私、ちょっと将棋をかじっていて、今回の編入試験も注目してました。


一応簡単に説明しておくと、これまでおよそ100年のプロ将棋史において女性のプロ棋士は一人もいませんでした。
「女流棋士」というのは存在しているわけですが、これは一般のプロ棋士とは別の枠組み。プロ棋士になるためには、奨励会という組織に所属して、昇段を重ね、最後の三段リーグというものを勝ち抜く必要があるわけですが、このルートを通過してプロになった女性はこれまで一人もいないということなのです。
西山さんは、かつて奨励会三段リーグまでいき、あと一歩というところの紙一重で四段昇段(プロ入り)を逃した方。そこから女流棋士に転向し、同じような経歴をもつ福間(旧姓:里美)香奈女流五冠とともに女流棋界の二強と目される存在になっていました。

で、今回の編入試験ですが……これは、前述した正規ルートでのプロ入りを逃した猛者がプロになるための別ルートです。
一定の条件を満たすと受験資格が与えられ、受験を希望すると、プロ棋士のなかから若手の棋士五人と対局。3勝すればプロとなることができます。
たいていは、奨励会を一度退会した人があらためて挑戦するという感じで、福間さんもかつて受験しました。女性としては今回の西山さんがそれに続く2例目。ここで、いよいよ史上初の女性棋士が誕生するかもしれないということで注目を集めていたわけです。

その結果は、残念ながら不合格だったわけなんですが……しかし、あと一勝というところにまでいたり、得意の三間飛車でのぞんだ最終局。西山さんも、持てる力を出し切った戦いだったんじゃないでしょうか。
また、試験官である柵木幹太四段も、どんな状況であろうと全力で勝ちに行くという勝負師の哲学をきっちり実践したのだと思います。


女性のプロ棋士がこれまで誕生しなかった理由はいろいろ論じられていますが、まず、女性の棋士人口が少ないということが大きな理由であることは疑いないところです。女流棋士界の存在によって、そのあたりはだんだん改善されてきていて、あと一歩というところに手が届く段階まではきているというのが現状でしょう。今回、西山さんの編入試験突破はかないませんでしたが、女性棋士の誕生もそう遠いことではないんじゃないでしょうか。



WANDS 「David Bowieのように」

2025-01-15 22:48:11 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。


先日、このブログで「もう一つのロックの日」ということで記事を書きました。

1月8日がデヴィッド・ボウイ(と、エルヴィス・プレスリー)の誕生日だからということだったわけですが……そこから、ボウイつながりということで、今回取り上げるのは、WANDSの「David Bowie のように」という曲についてです。

WANDSといえば、昨年、中山美穂さんの記事で「世界中の誰よりきっと」でコラボしていたという話もありました。中山美穂と、デヴィッド・ボウイ……あまりつながりそうにないこの二つの要素が、一つのバンドの中でどのように同居しているのか。そこを探っていくと、ロックとは何か、グラムとは何か、会社に所属して商売として音楽をやるというのはどういうことかーといった深いテーマが見えてくるようでもあるのです。


WANDSは、いわゆるビーイング系のなかでも、トップクラスにヒットしたバンドといえるでしょう。

ビーイング系アーティストたちは、音楽的な部分だけでなく、CDのジャケットを一目見ればそれとわかる、ある種のブランドイメージを確立していたといえるでしょう。タイアップ戦略も巧みで、ビーイング系のバンドが相次いでヒット曲を連発し、90年代初頭頃には一時代を築いた感もあります。
ただ、そのブランドイメージは、あくまでもビーイングという会社が主導したものであって、本人たちのやりたい方向性と必ずしも一致しない部分があったようです。WANDSの場合はそれが顕著で、ボーカルの上杉昇さんは当時の活動に不満を持っていたことをあちこちで発言しています。
ただ、時代がちょっと進んでいくと、WANDSの音楽にもだいぶ変化が見られました。そのへんまさに私はリアルタイム世代ですが、10枚目のシングル「Same Side」 が出た時に、だいぶ雰囲気が変わったなと感じた記憶があります。さかのぼって考えれば、その前のシングル Secret Night からその萌芽はあって、それがより前面に出てきたというところでしょうか。そして、上杉昇在籍時最後のシングルとなったWorst Crime……私は、このあたりのWANDSは結構気に入ってました。これが彼らの本来やりたかったことなんだろうな、と受け止めてもいました。(ただ、上杉さん本人が志向していたという80年代グラム系メタルよりは、90年代風のオルタナ/グランジに寄っている感もありますが)
しかし、おそらく路線変更をめぐってレコード会社側とは軋轢もあったものと思われ……WANDSは激変することに。ボーカルの上杉昇、ギターの柴崎浩という二人が脱退し、ほぼ別物のバンドとなるのです。大幅なメンバーチェンジを経た新生WANDSは、まるでDEENとかFIELD OF VIEWのようなバンドになっていて、その変化に愕然とさせられたものです。別にDEENやFIELD OF VIEW が悪いというわけではありませんが、WANDSに求めているものはそれじゃないという……実際のところ、この変化についていくことができたWANDSファンはそうそういなかったんじゃないでしょうか。
スリーピースのバンドで2人が脱退というだけでも相当なことですが、その二人がボーカル/ギターという、バンドのなかでも前に出るパート。もっといえば、WANDSというバンド名は上杉、柴崎両氏の名をつなげたものという意味合いもあるとされているのです(「上杉」は英語でWESUGIと表記されていて、Wesugi AND Shibasaki でWANDSという解釈がある)。なにか、“大人の事情”が働いているような印象も濃厚に感じられ……ビーイングブーム自体も新たなムーブメントに押されるかたちで終息していき、WANDSは低迷状態に陥ったといって差支えないでしょう。
それからの年月で、さまざまに紆余曲折がありましたが……数年前に、ギターの柴﨑さんが復帰し、WANDSとしての活動を再開しました。現在のWANDS
は、第五期として活動しています。


WANDSの代表曲の一つに、「世界が終わるまでは…」があります。
TVアニメ『スラムダンク』で使用され、タイアップ効果もあって大ヒットしました。巷のライブハウスなどで、今でもたまにこの曲を聴くことがあります。
そして、WANDS自身も、第五期メンバーで再録しています。

WANDS 「世界が終るまでは… [WANDS第5期ver.]」 MV

この曲は、WANDSが大きく方向転換する直前のシングルであり、「世界が終わる」という言葉はその決別宣言であるともいいます。彼らが決別しようとした「世界」というのは、中山美穂さんとのコラボで大ヒットした「世界中の誰よりきっと」の「世界」でもありました。

それ自体は、商業主義に反発したグランジ/オルタナの動きと合致しているでしょうが……しかし、WANDSにおける変化はもう少し複雑だったようにも思われます。
というのは、もともと上杉さんが志向していたのは、80年代のグラムメタルだといわれるからです。
私個人としても、Jumpin’ Jack boyのイントロがヴァン・ヘイレンのPanamaに似てるんじゃないかとか……(よくあるコード進行ではありますが)そんなことを思ってました。
で、そうなってくると、80年代メタル vs 90年代オルタナ/グランジという対立軸も出てくるわけです。
この多層構造が、奇妙なねじれにもつながります。
アメリカの80年代メタルバンドは、レコード会社からオルタナ/グランジに寄せるよう求められそれに対して消極的だったりしたわけですが、WANDSの場合は逆に、バンド自身がオルタナ/グランジの方向性を望み、レコード会社は難色を示すというふうになっていました。日本のポピュラーミュージック史や音楽業界事情をあわせて考えると、この逆転現象は興味深いものがあります。



最後に、「David Bowie のように」について。
これは、第五期WANDSが発表した曲です。第五期として最初にリリースしたアルバムの、一曲目に収録されています。

WANDS 「David Bowieのように」 MV

デヴィッド・ボウイといえば、グラムロックを代表するアーティストの一人であり、長いキャリアのなかでさまざまに音楽性を変化させてきた人です。その変化は、自身が作り上げた虚構と向き合いながらのものであったということを、いつかこのブログで書きました。
WANDSもまた、そうなのでしょう。時代の奔流のなかで音楽性を幾度も変えてきたキャリアがあり、そのなかで過去にかぶっていたペルソナと向き合いつつ活動する、しなければならない、という……

  確かめた答えに
  何も無かったとしても
  今更戻れない
  絶え間ない寂しさの果てに

  不思議と泣いた歌詞に
  意味が無かったとしても
  今更変わらない
  思い出が美しいことに

という歌詞は、ある種の虚構性を受け入れつつも、過去を肯定する姿勢のように読み取れます。
そこには、ロック史における振り子運動を振り切って立とうとする、力強さのようなものも感じられるのではないでしょうか。





もう一つのロックの日 ~グラムについて考える~

2025-01-08 22:46:16 | 日記

今日1月8日は「ロックの日」。

6月9日と並ぶ、もう一つのロックの日となっています。

というわけで、ここ数年は、この日付にロック関連の記事を書いてきました。

この日がロックの日とされているのは、エルヴィス・プレスリーとデヴィッド・ボウイという二人のロックスターの誕生日であることから、ということなんですが……
そのうちの一人デヴィッド・ボウイは、70年代初頭頃には、グラムロックのミュージシャンとみなされていました。今回は、そのグラムという要素をちょっと掘り下げ、グラムメタルというものについて考えてみようと思います。


ヘヴィメタルのはじまりがどこかというのは意見が分かれるところでしょうが、まあ、だいたい1970年ぐらいと考えていいでしょう。
そこから少しずつポピュラリティを獲得していき、80年代ごろにヘヴィメタルというは一つのブームを迎えます。
そこで活躍したいくらかポップ寄りなメタルを総称して、グラムメタルと呼ぶことがあります。
この言い方は、もちろんグラムロックを意識したもの。
ロックンロールの初期衝動回復運動……それが、ヘヴィメタルと結びついたものが、グラムメタルとひとまずいえるでしょう。

代表的なバンドの一つに、W.A.S.P.がいます。

W.A.S.P. I Don´t Need No Doctor Official Music Video

よくも悪くも、アリス・クーパー的な感じが濃厚に出ています。

アリス・クーパーといえばアメリカのグラムロックを代表するアーティストで、グラムメタル系バンドの活動を追っていると、アリス・クーパーの影がちらほら見え隠れします。
たとえば、Hurricane というバンド。
デビュー・アルバムで、アリス・クーパーのI'm Eighteen をカバーしていました。

I'm Eighteen

このハリケーン、デビュー時には期待の新人として注目されていたようですが、彼らがデビューした時にはもうグラムメタルは退潮の兆しを見せ始めていました。グランジ/オルタナが隆盛をきわめる90年代がやってきて、91年にハリケーンは活動を終了してしまいます。その後2000年代に入って再結成してるんですが……これは、グラムメタル系バンドに非常に多くみられるパターン。90年代に入ったところで解散、もしくは活動終了し、2000年代に入るぐらいに再始動という……これは、グラムメタルを追いやったグランジ系が退潮しはじめたために、息を吹き返したということでしょう。こういう栄枯盛衰をみていると、時代性をあれこれいうことの不毛さを感じるようにもなります。

ちなみに、ハリケーンでドラムを叩いていたのは、ジェイ・シェレン。現在イエスでドラムを叩いているあの人です。ボーカルのケリー・ハンセンはフォリナーに参加したりしていて、このハリケーンというバンドは、ジャンル分けのあいまいさも感じさせてくれます。

実際、ジャンル分けというのは相当部分が虚構というか、外野の人間が勝手にいってるだけで、当人たちがなんとなくそれに合わせてるというような部分があると私は思ってます。

80年代ごろのメタルシーンにおいて、グラムメタルと対立関係にあったとみられているスラッシュメタルというジャンルがありますが……そのスラッシュメタルを代表するバンドの一つ、Anthraxが、先ほどの I'm Eighteen をカバーしています。

I'm Eighteen

それだけアリス・クーパーという人が広くリスペクトされていて、アンスラックスがクロスオーバー的な試みをしているということでもあるわけですが……実際のところ、スラッシュメタルVSグラムメタルという図式は、時代の空気で演出されたものという側面を否定することができません。それは、70年代のパンクスたちが旧世代のロックンロールを否定していたのがある種の“演出”であったということと同じでしょう。
たとえば、エクソダス、スレイヤーというゴリゴリのスラッシュメタルバンドでギターを弾いてきたゲイリー・ホルトが、実はウォーレン・デ・マルティーニのギターを密かにリスペクトしていたというようなことを、最近になっていったりしているのです。


最後に、なぜかポイズン。

Poison - Talk Dirty To Me

メタルの退潮→グランジの台頭→グランジの退潮→メタルの復権という流れは、ロック史において幾度も繰り返されてきた振り子運動の一つでしょう。
しかし、そうして揺れ動きながらも、そこに貫かれている一つの軸はある。
個人的見解ではありますが、グラムメタルにおいてポイズンはそんなバンドの一つだったんじゃないかと思ってます。あの時代に山ほどいたグラムメタル系バンドの中でとびぬけて大ヒットしたわけでもないし、特に技術的に優れていると評されることもないバンドだとは思いますが……衝動というのは、そういう尺度では測れないものでしょう。



2025年スタート

2025-01-01 23:03:52 | 日記


2025年、あけましておめでとうございます。

今年は、アメリカでトランプ政権が発足。
日本では参院選と、政治の世界でなにか大きな変動が起きる予感も……
現在進行形の問題もいろいろとありますが、いい年になるよう願いたいところです。
今年も、よろしくお願いします。