ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

青山剛昌『名探偵コナン』

2018-03-09 16:05:47 | 漫画
先日ハイロウズの「胸がドキドキ」について書きましたが、その記事のなかで『名探偵コナン』の話が出てきました。

ついでなので、今回は『名探偵コナン』について書きます。

……といっても、あれこれいうまでもなく、誰でも知ってる作品ですね。
青山剛昌先生が描く、本格系ミステリー漫画です。

 

ハイロウズが原初的なロックンロールを目指しているとしたら、コナンは原初的なミステリーを志向してるんだと思います。

「ロックという音楽は時代によってさまざまに形を変えてきましたが、いつの時代にも奏でられる普遍的なスタイルはあります」とハイロウズの記事で書きましたが、これはミステリーについてもいえるでしょう。
ミステリーも、時代の流れとともにいろんなサブカテゴリーを生んできましたが、やはり普遍的なスタイルはあって、“本格”と呼ばれるジャンルがそれだと思うわけです。

殺人が起きて、刑事と探偵が出てきて、「これは……密室ですね!」となって、最後は関係者を一堂に集めて「犯人はあなたですね!」とくる。

これがミステリーってものだと思うんです。

世のみなさんも、そんな本格ミステリーを読みましょう。

……ということで、ここでむりやり自著の宣伝に着地します。

コナンみたいな、とよく評される、拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』、よろしくお願いします。

福本伸行『アカギ』連載終了……っ!

2018-02-01 17:00:09 | 漫画
 

『アカギ』の連載が、とうとう終了しました。

長かったですね。

特に、鷲巣麻雀……

いったいいつ終わるのか、本当に終わるのか、と思っているうちに、20年ほども経っていました。
昨年いよいよ決着がついたわけですが、その対局終了後の、「俺は長生きしただけだ」というせりふはかっこよすぎでした。
福本先生の漫画といえば、こういう随所にちりばめられた名言が特徴ですね。そして、「ざわ… ざわ…」というあの効果音と、アゴの発達したキャラたち、「しかし……ならず……つ!」といった、ときにいささか大仰な演出、かと思えば、鷲巣が「死んじゃう……死んじゃうツモ……!」なんて言い出したりして、独特の漫画世界を構築していました。ともかく強烈な個性を発揮していて、麻雀漫画のなかでは一等面白い作品でした。

……と、こんなことを書いておきながらなんですが、じつは私、『アカギ』をリアルタイムでは読んでおりません。
『近代麻雀』を毎週読むほどコアな麻雀漫画ファンでもないので、新刊のコミックスが出るたびに読んでいました。
それで最終話だけ読むのもアレなので、最終話もまだ読んでいない状態です。いずれコミックスになったときに読むのを楽しみにしています。

ともかく、福本先生、お疲れさまでした。

『カイジ』のほうは、まだこれからも続いていくようですが……

パトレイバー30周年

2018-01-10 19:36:42 | 漫画
ツイッターに、「パトレイバー30周年」というハッシュタグが流れていました。

もう30年にもなるんですね。

子どもの頃、アニメを見ていたことを思い出します。コミックも、全巻読みました。

 

『機動警察パトレイバー』といえば、ゆうきまさみ先生の代表作。
ロボットものながら、舞台を近未来に設定し、現代(その当時の)との連続性を持たせることでリアリティがあり、子ども心に普通のロボットものとはちょっと違うなと思わせる何かがありました。

ちょっと違うなというのは、話の内容にも感じさせられました。

終盤のグリフォンとの戦いでは、かなり重いテーマが扱われています。
ロボットという子供の夢のような世界と、大人の現実の世界が激しい摩擦を起こしているようです。
リアリティのあるロボットものだからこそ、こういうふうに描けたのでしょう。
もちろん最終的には主人公の側が勝利するんですが、この重いテーマがあるがゆえに、単に勝って万歳というだけではない深い余韻を残していくんですね。そういったところが、ふつうのロボットものじゃない感じを与えるんだと思います。
昨日の記事で書いた『幽遊白書』もそうですけど、やっぱり名作といわれる作品は何かが違うわけです。
その“違い”のゆえに、『パトレイバー』は30年たっても色あせず、実写化されたり原寸大の模型が造られたりして、30周年のハッシュタグもできるということでしょう。
ジャンルは違えど、ものを書く人間としては、そうありたいところです。

『幽遊白書』メッセージボードを手に入れた!

2018-01-09 14:50:26 | 漫画
先日、イオンでこんなものを手に入れました。

ジャンプ50周年企画のメッセージボードです。

ジョージアの缶コーヒーで特定の5本を買うと、もらえます。店頭でこれを見つけ、衝動買いしてしまいました。

何種類かあるなかで、私がチョイスしたのは『幽遊白書』。

『幽遊白書』は、冨樫義博先生の代表作の一つです。
冨樫先生というと、いまはもう『ハンター✕ハンター』の作者という扱いになっているかもしれませんが、私のなかでは今でも『幽遊白書』の作者。

 

中学生ぐらいのときにリアルタイムで読み、アニメもみていました。
あの時期、もっとも燃えた漫画でした。(「萌え」ではなく、あくまでも「燃え」)

最初は人情物の漫画のようにして始まりますが、やがて霊界探偵として妖怪たちと戦うようになり、トーナメント形式の武闘大会というジャンプおなじみの展開になっていきます。

一説にこういう展開のルーツは山田風太郎にあるともいいますが、やはりこれが燃えますね。

個性的な主人公たちが、それぞれの力を駆使して強敵たちと戦っていく。この王道の展開に、酎や戸愚呂といった魅力的な敵キャラが映えます。

かと思えば、仙水編では、ゲーム的な展開もみせます。

王道バトル漫画は、力のインフレが起きて収拾がつかなくなり、また、延々同じパターンの繰り返しに陥ってしまう危険がありますが、幽白は、単に力勝負ではないストーリーによってそれを回避しました。
この仙水編では御手洗清志という人物が登場しますが、このあたりから、作者がミステリー的な方向へ持っていた関心もうかがえます。
まあ、最終的にはやっぱりパワー勝負になるんですが、極限まで強くなってしまった主人公が抱える空しさや、人間のおどろおどろしい内面などが描かれていて、そのあたりも普通のバトル漫画ではない印象を残しました。ジャンプを代表するばかりでなく、90年代エンタメの変遷を体現している作品ともいえるんじゃないでしょうか。ジャンプ50周年企画で選ばれたのも納得です。



《追記》
関係ありませんが、『るろうに剣心』もありました。

『るろ剣』もまた、ジャンプの王道をいった漫画ですね。作者が最近アレでちょっとアレなことになってしまいましたが、そのことと作品は別。むしろ、変に自粛せずに『るろ剣』も出してきた集英社とコカ・コーラ社を評価したいと思います。

手塚治虫を読め! 『三つ目がとおる』をおす三つ目の理由

2017-11-06 15:53:24 | 漫画
以前、手塚治虫の『三つ目がとおる』のことを書きました。

そこで、手塚作品の中で特に『三つ目がとおる』をピックアップするのには三つの理由がある……と書いたのですが、その三つの理由のうち、最後の一つを書いていませんでした。
今回は、それを書こうと思います。

三つ目の理由……それは、以前このブログで取り上げた話題と通ずるところがあるな、と思ったということです。

「生まれつきの髪の色を変えなきゃだめ?」という記事ですが……そこでとりあげた、生まれつき茶色っぽい髪を黒く染めるように強要されたという話です。

そのニュースのことを考えていて、『三つ目がとおる』のなかの一つの話を思い出しました。

『三つ目がとおる』は、連載漫画でよくあるように、複数話で一つの大きなストーリーになる「〇〇編」というのがいくつかあるのですが、その一つに「地下の都編」というのがあります。

このエピソードでは、写楽の育ての親である犬持博士が、写楽の第三の目を手術で切除しようとするのです。

写楽をごくあたりまえの大人にしてやりたい

と、犬持博士はいいます。

第三の目があるがゆえに、写楽は手がつけられない。いっそ、それを切除して、普通の人間にしたほうがいい……と。

そして、話の後半では、学校の先生に退学のおどしをかけられ、手術に踏み切るのです。

生まれつき人と違うものを、“あたりまえ”の人と同じように矯正しなければならないのか……ここでは、そういう問いが投げかけられているのだと思います。

それは、生まれつき茶色い髪をまわりに合わせて黒くしなければならないのかという問題と通底するところがあるように思えます。


この話の前半では写楽は三つ目の力を使いません。
さえない少年のままで、遺跡を掘りあて、そこから巻き込まれる冒険を自分一人の力で切り抜けます。後半では三つ目の写楽が出てくるのですが、部分的とはいえ、三つ目の力を使わずに写楽が危機を乗り切るのは、『三つ目がとおる』という作品の中では異例のことです。
こういう話を用意したところに、手塚治虫の強いメッセージが感じられます。

それは、他人と違っていても、それを恥じたり、まわりに合わせたりすることはない……このエピソードを通じて、手塚治虫はそれをいいたかったんだと思うんです。

いよいよ手術がせまってきたとき、和登サンはいいます。

写楽クンは、手術なんかしなくたってがんばってるじゃない!!

バンソウコをとらずに
あんなすごい遺跡をたったひとりでほりあてたんですよ!!

かれはどんなじゃまにも悪口にもくじけずに
泣きながらほったのよ
そのえらさがおとうさんにはわからないの?


和登サンの涙ながらの訴えに、犬持博士も手術を断念します。

そして、それに応えるように、いつもは暴走する三つ目の写楽も、すべてが終わった後、バンソウコを貼って自らを封印するよう和登サンに促します。ふだんなら考えられないことです。


なんであれ、生まれもったものを否定されてはいけない……言葉でいえば陳腐ですが、手塚治虫は『三つ目がとおる』という漫画によってそれを見事に表現しています。

ほかの手塚作品にも、そういうメッセージは流れているように思います。
肌の色、髪の色、目の色……生まれ持ったものへの差別がまかりとおって見える昨今、このメッセージが大切なんじゃないかと思いました。