ロック探偵のMY GENERATION

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宇宙戦艦ヤマト50周年

2024-10-06 23:07:16 | 日記



『宇宙戦艦ヤマト』が、50周年を迎えました。

この伝説的アニメの放送が開始されたのは、1974年の10月6日。それから、今日でちょうど50年となるのです。

松本零士先生については、これまでに本ブログで何度か記事を書いてきました。

しかしながら、意外と宇宙戦艦ヤマトについてはあまり言及してこなかったと思います。
そこで今回は、50周年を機に、ヤマトについてちょっと書いておこうと思いました。



ヤマトについて書くとなったら、私としてはどうしても触れなければならないテーマがあります。

それは、劇場版第二作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』……

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター / 2024年1月5日公開 予告[4K UHD]

この作品のラストについてです。

まあ、かなり有名なエンディングなので、これはネタバレにはならないんじゃないかということで書きますが……この作品において、ヤマトは最後に“特攻”します。敵があまりに強力すぎてもはや通常の戦闘では太刀打ちできないとみて、自爆攻撃を敢行するのです。

私は、この作品に関して、長く一つの矛盾を感じていました。

松本零士先生は、自身の生い立ちから、特攻を賛美してはならないとしている。にもかかわらず、最後にヤマトを特攻させたじゃないか……と。
しかし、だいぶ後になってから、そう単純な話ではないということを知りました。
これは、ヤマトという作品のみならず、松本零士という漫画家が生涯描いたテーマにもかかわる重要なテーマです。なので、この点についてはちょっと詳しく書いておきたい。


まず、前提としておさえておかなければならないのは、「松本零士は『宇宙戦艦ヤマト』の原作者ではない」ということです。

公的に認められている原作者は、西崎義展という人です。

この西崎さんという人が発端となる企画を出し、そこからさまざまな人が関与して、ヤマトという作品が練り上げられていきました。松本零士先生もいわばそのプロジェクトチームの一人。主要なキャラクターデザインなど大きな役割をはたしていはいるものの“原作者”ではない、ということなのです。ヤマトの原作者が誰なのかという問題は後に裁判沙汰になっていて、法廷でそういう結論になりました。「公的に」といったのは、そういうことです。松本先生の手によって『宇宙戦艦ヤマト』の漫画が描かれているわけですが、あれはアニメ放送の後に連載がはじまったもので、今風にいえばアニメのコミカライズなのです。

裁判沙汰にまで発展したというのは、松本零士と西崎義展というこの二者が対立状態になっていたということなわけですが……その対立は、少なくとも『さらば宇宙戦艦ヤマト』にまでさかのぼることができます。

ファンの間ではよく知られているとおり、『さらば』の制作過程においては、制作陣の内部で激しい対立がありました。
アニメで森雪の声を担当した声優の麻上洋子さんによれば、声優陣の前でやめるやめないの争いになることもあったのだとか。
対立の原因はいろいろあったかもしれませんが……そのなかでも大きな原因の一つといわれるのが、先述したエンディングに関する松本、西崎両者の考えの違いです。西崎氏はヤマト特攻というかたちでのラストを提示し、松本零士先生がそれに反対した、と。
そう、つまり、松本先生は『ヤマト』においても特攻に反対していた……ここに、私が考えていた矛盾はなかったということなのです。
結果として『さらば』では西崎案に従ってヤマトは特攻するわけですが、この話にはまだ続きがあります。この映画の後に、ヤマトの新たなTVシリーズが制作されるのです。
その『宇宙戦艦ヤマト2』は、劇場版の『さらば』と同じ白色彗星帝国との戦いを描いています。そして、このテレビアニメ版のラストでは、ヤマトは特攻という手段を択ばないのです。
逆はあっても、劇場版アニメをもとにしてテレビ版アニメを作るというのはなかなか異例のことでしょう。まして、劇場版でこれが最後の作品と明確に打ち出している状態では……そこにはやはり、特攻というかたちでのエンディングを是としなかった松本零士先生の強い意志が働いていたのではないでしょうか。

このことには、もちろん賛否があります。ヤマトファンの間では、劇場版のエンディングのほうがいいというほうが多数派かもしれません。
また、私個人としては、あの状態でヤマトに自爆攻撃をさせるということと、かつての日本軍がやった特攻を批判することとは必ずしも矛盾しないという考えもあるんですが……
しかしやはり、重要なのは、松本零士先生が特攻というものにあくまでも否定的だったということです。そこは、『宇宙戦艦ヤマト』という作品に接するときに、知っておいたほうがいいんじゃないか。作品が50周年を迎え、松本先生も世を去った今、そんなふうに思われるのです。



国際音楽の日 ビンテージⅨ

2024-10-01 22:51:02 | 日記

今日10月1日は、「国際音楽の日」です。

今年はこのブログでヴィンテージシリーズというのをやってきましたが、「国際音楽の日」にあわせて、その第9回目をやろうと思いました。




最近このブログではブリットポップの話がよく出てきました。
その関連動画がたくさんあったので、前半はブリットポップ特集で。


レディオヘッドともよく比較されるMUSE。
AC/DCのブライアン・ジョンソンと共演する動画がありました。曲は、Back in Black。MUSEも結構難解系なところがあって、AC/DCというのは意外な組み合わせのようにも思えますが……憧れのミュージシャンと同じステージに立った興奮みたいなものが伝わってきます。やはり、難解系の音楽をやっていても、ロックンロールの原点にも立脚しているということでしょう。

MUSE & Brian Johnson of AC/DC - Back In Black [Reading Festival 2017]


ブラーのデーモン・アルバーンが主宰するGorillaz。

Gorillaz - Empire Ants feat. Little Dragon (Live on Letterman)

アニメキャラのバンドというスタイルで、“中の人”はいろんなミュージシャンが担当してきました。そのリストには、たとえばクラッシュのミック・ジョーンズとポール・シムノンといった名前もあります。そういったところからも、デーモン・アルバーンという人の音楽性がロックの長い歴史に裏付けられていることが見て取れるのです。



ヴァーヴ。
レディオヘッドと同様、ブリットポップ本流が失速したころから売れ始めたという意味合いでポスト-ブリットポップともみなされるバンドです。
ストーンズのパクリ騒動がもちあがったBitter Sweet Symphony が有名ですが、同じアルバムUrban Hymn に収録されている The Drugs Don't Work も代表曲の一つ。

The Verve - The Drugs Don't Work


コーナーショップ。
インド系英国人によるユニットで、インド要素を取り入れているところが特徴です。ブリットポップといわれると疑問符がつくものの、なんとなくひとからげでブリットポップとみなされているグループの一つでもあるでしょう。
彼らが、キンクスのWaterloo Sunset をカバーしている動画がありました。インド要素ということで、シタールが使われています。

Cornershop Live - Waterloo Sunset, Live on BBC Culture Show

インド要素といえば、クーラ・シェイカーというバンドもあるわけですが……英国の音楽にちょくちょくインド要素が出てくるのは、植民地時代の名残という側面もあるでしょう。そういう意味では、取り扱い注意な面もあります。


クーラ・シェイカーの記事でちょっと名前が出てきたElastica。
ボーカルのジャスティーン・フリッシュマンは、スウェードの創設メンバーでもあります。ブレット・アンダーソンの恋人であり、後にはブラーのデーモン・アルバーンと恋仲に。ブリットポップと寝た女……といえるかもしれません。

Elastica - Waking Up

こういう感じは、私は嫌いじゃないないんですが、ブリットポップ終焉に巻き込まれて消えていった感じはあります。


Sleeper。
ブリットポップ系の女性ボーカルバンドとしては、エラスティカと並ぶ代表格。

Sleeper - Inbetweener (Video)

紅一点のボーカル、ルイーズ・ウェナーは、ブリットポップの栄光と挫折を描いた映画『リヴ・フォーエヴァー』で、オアシスを強く批判していました。
リアム・ギャラガーは、エラスティカのジャスティーン・フリッシュマンとも確執があって、ジャスティーンに「ハムスターの脳みそ」といわれたりしています。中坊レベルのセクハラ言動が女性に嫌われるというところはあったでしょう。そのへんも、ブリットポップの限界だったのかな、と……


Pulp。
このバンドも、最近再始動しているようです。
どちらかといえば、「もっと前からやっていたけどブリットポップの波に乗ってブレイクした」タイプのバンドでしょう。その故に、ブリットポップ終息に巻き込まれた感は否めません。

Pulp - Common People

先程のSleeper やレディオヘッドのFake Plastic Trees もそうですが、MVにスーパーマーケットが出てくるというのも当時のはやりでしょうか……


スーパーグラス。
大ヒットはしなかったかもしれないけれど、ミュージシャンの間では広くリスペクトされているという、ミュージシャンズ・ミュージシャン的側面があるといわれるバンドです。彼らが、ニール・ヤングの The Loner をカバーした動画がありました。

Supergrass - The Loner (Neil Young Cover)




ここからはブリットポップを離れて、今年このブログに登場したアーティストたちの関連動画を。


ブルース・ディキンソン。
ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンと共演している動画がありました。曲は、ディキンソンのソロ作Jerusalem。場所はなんと、カンタベリー大聖堂。

Ian Anderson from Jethro Tull with Bruce Dickinson - Jerusalem


エルトン・ジョン。
映画『ロケットマン』のエンディングで使われた I'm Still Standing。この曲をチャリティイベントで演奏する動画がありました。

Elton John - I'm Still Standing ft. Eric Clapton (The Prince's Trust Rock Gala 1986)

ライブエイドみたいな感じで、大物アーティストが多数参加。
ギターにはエリック・クラプトン、マーク・ノップラー、ドラムはフィル・コリンズ、キーボードにハワード・ジョーンズといった人たちがそろっています。


映画『エルヴィス』でエンディングを担当したマネスキン。
トム・モレロとコラボした曲のMV動画がありました。

Måneskin|マネスキン - 「GOSSIP feat. Tom Morello」 (日本語字幕ver)


MC5。
今年ウェイン・クレイマーが死去し、彼が遺した音源をもとにアルバムが制作されているという記事を書きましたが、そのアルバムは完成し、今月の18日にリリースされるということです。
そのタイトル曲Heavy Lifting の動画が一足先に公開されています。

MC5 - Heavy Lifting feat. Tom Morello (Official Audio)

この曲にも、トム・モレロが参加しています。


同じアルバムからもう一曲線公開されているCan't Be Found。
こちらは、リヴィングカラーのヴァーノン・リードが参加しています。

MC5 - Can't Be Found feat. Dennis Thompson & Vernon Reid (Official Audio)

ドラムを叩くのは、MC5のドラマーだったデニス・トンプソン。この人は、ウェイン・クレイマーの後を追うようにして、今年の5月に世を去っています。本作は、デニスにとっても遺作となりました。



最後に、最近の話題から二つの動画を。

ブライアン・アダムス。
最近、彼がKISSのアルバムの制作にかかわっていたという話を聞きました。
で、自身が制作に加わった曲のカバーバージョンを発表しています。
その中の一つ、War Machine。

Bryan Adams - War Machine

私はそんなに熱心なKISSのリスナーというわけではないんですが、この曲は気に入ってました。ブライアン・アダムスがかかわっていたと聞いて、なるほどなあと納得させられました。
KISSがやるとシニシズムという感じですが、ブライアンがやると、ストレートに戦争を告発する歌に聞こえてくるのが不思議です。


デイヴ・ギルモア。
最近、ソロでの新作を発表しています。
そのなかの一曲Between Two Pointsの動画です。娘のロマニー・ギルモアが歌とハープで参加しています。

David Gilmour - Between Two Points (with Romany Gilmour) [Tour Rehearsal]


9.11とブリットポップ

2024-09-11 22:33:42 | 日記

今日は、9月11日です。

2001年、アメリカ同時多発テロが起きた日ということで、このブログでは毎年その関連記事を書いてきました。

で、今年はどういうテーマで書こうかと考えていたんですが……最近このブログでは、オアシス再結成ということで直近の記事でブリットポップの話をしてました。そこからのつながりで、ブリットポップ系アーティストと9.11以降のアメリカとの関係ということで書いてみようかと思います。大西洋を隔ててはいるものの、英米の文化的つながりは深く、同時多発テロ以降戦争へむかっていくアメリカに対して意見を表明したアーティストの中には、英国の人たちも多く含まれているのです。


まず思い出されるのは、ブラーです。

ブラーといえば、ブリットポップのはじまりと終わりにいるバンド。

ライバルであるオアシスとともにブリットポップの勃興をけん引したバンドであり、リーダーのデーモン・アルバーンは、「ブリットポップは死んだ」という言葉でムーブメントに引導を渡した人物でもあるのです。

そのデーモン・アルバーンは、9.11以後、戦争へ突き進んでいくアメリカに異を唱えました。
Massive Attack の3Dとともにイラク反戦活動にかかわったことはよく知られています。
マッシヴアタックは、9.11後にグループ名を一時「マッシヴ」に変えられたという話をこのブログでいつか書きました。attack という言葉がよくないからということでそうなったわけですが、attack という言葉がよくないといいながら他国を攻撃するというのは大きな矛盾であるようにも思え……まあ、そういうこともあってか、21世紀のアメリカの戦争を批判しており、デーモン・アルバーンもそこに合流したのでした。

イラク戦争が始まった2003年、ブラーは名盤と名高いアルバム『シンクタンク』を発表。

アルバムジャケットに使われたのは、バンクシーのグラフィティです。
バンクシーの正体はマッシヴアタックの3Dじゃないかという噂がささやかれたこともありましたが……その真偽がどうあれ、まさにバンクシーのアートワークにふさわしく、この作品は戦争に突き進んでいく世界へ抵抗の意思を示すものでした。

そういうメッセージをもっとも色濃く示す曲が、Out of Time。
この曲のMVは、戦場へ向かう兵士たちを描いていました。2016年、ブラーの中心人物であるデーモン・アルバーンがシリアのミュージシャンたちとともにこの曲を演奏した動画があります。

Damon Albarn - Out of Time (feat. The Orchestra of Syrian Musicians)

以下、歌詞の一部を抜粋しましょう。

  僕らを自由にしてくれる
  愛の歌はどこにあるんだ
  あまりにも多くの人が倒れ伏し
  何もかもが間違った方向へ進んでいく

  愛がどうあるものなのか僕にはわからない
  けれど、もし今僕らが夢見ることをやめたなら
  決して暗雲を抜け出すことはできないだろう



もう一つ、ブリットポップ系に含まれる大物バンドとして、Radioheadについて。
ブラーの『シンクタンク』と同じ2003年、レディオヘッドは Hail to the Thief というアルバムを発表しました。
アメリカで大統領が登場するときなどに使われる曲 Hail to the Chief をもじってthief(泥棒)という言葉を使ったこのタイトルは、当時のブッシュJr.米大統領にむけられたものともいわれます。
このアルバムに「2+2=5」という曲が収録されていますが、これはジョージ・オーウェルの『1984年』から引用したもの。

Radiohead - 2 + 2 = 5

レディオヘッドの中心人物であるトム・ヨークは、社会的な活動でもよく知られます。
あのDo They Know It's Christmas? の21世紀バージョンに参加しているというのが、もっとも典型的な例でしょうか。米大統領選挙についても、トランプ候補をこきおろしたりしていて、実に痛快なのです。


やっぱり、ロックというのはそういう部分が大事なんじゃないかと。

前回のクーラ・シェイカーの記事で書いたことともつながりますが、こういう外の世界への視点みたいなものを持っているから、ブラーやレディオヘッドといったバンドはブリットポップという一時的なブームの終焉に引きずられることなく活動し続けられたんじゃないか……そんなことを思いました。そしてそれこそが、一過性のブームを超越した、普遍的なロックのグレートスピリットなんじゃないでしょうか。


 

オーディオブックの可能性

2024-08-26 23:13:30 | 日記


このブログでは、過去に、何度かアマゾンオーディブルというものについて書きました。

“本を聴く”ことができる、オーディオブック……アマゾンが提供する定額制サービスが、アマゾンオーディブルです。

もうオーディブルというものを使い始めてだいぶ長くなりますが……最近その新たな用法を見出しました。

まあ、そんな大げさなことではりませんが……オーディオブックで聴くのは、小説でないものがいいんじゃないかということがあります。

これまでずっと小説のみを聴いてたんですが、オーディブルのラインナップには、小説でない本もあります。一冊試してみると、どうもそっちのほうがよいのではないかという気がしてきました。

小説だと、どうしても朗読者のキャラづくりとか演出にイメージを左右される部分が出てきてしまいます。そしてこれは、しばしばマイナスに働くという……
これは私の感想というだけでなく、おそらく多くの人がそうなんじゃないかと想像してます。
アマゾンでは、一つの作品に関してオーディオブックとそうでないバージョンでそれぞれにレビューがあるんですが、概してオーディオブックのほうが評価が低い傾向にあるように見えます。きっちり比較してみたわけではありませんが……オーディオブックのレビューを見ると、朗読への不満をちょくちょく目にするのです。いかな声のプロとはいえ、一人の朗読者が老若男女を演じ分けることからくる違和感や、キャラの作りすぎ(これはおそらく、キャラの区別をはっきりつけるためにそうせざるをえない部分があるのだと思われますが)というのがどうしてもあり……慣れればそれほど気にならないとはいえ、その演出によってキャラのイメージが左右されることからくる微妙な違和感は、おそらく作品そのものに対するイメージにも相当に影響を与えてしまっているはず。それがはっきりと自覚される場合もあり、後になって、これは文字で読んだほうがよかったな、と後悔するようなことも少なくないのです。

そこへいくと、小説でない新書系の本などは、そういう問題がありません。
図やグラフなどは添付ファイルを開いて確認しなければならないとか、初耳の固有名詞や専門用語を音声だけでははっきり認識しづらいといった問題はありますが……しかし、小説作品が朗読に受ける影響を考えれば、そうした問題はほとんど無視できるレベルと個人的には思ってます。ゆえに、オーディオブックではそういうものをメインに聴いたほうがいいのではないかと思われるのです。

近頃、アレックス・ヴァン・ヘイレンが回顧録を出版していて、そのオーディオブック版には亡きエディと共に作った最後の曲が収録されているという話ですが、こういったサービスもオーディオブックならではでしょう。そんなふうに見てみると、オーディオブックという媒体にもまだいろいろ可能性がありそうです。



ブログ7周年

2024-08-20 22:45:57 | 日記


本日をもって、このブログは7周年を迎えることとなりました。

よく7年もやってきたものだと思います。
最近はちょっと更新頻度が落ちてますが……まあ、マイペースな感じでやっていこうかと。
そういうわけで、今後ともよろしくお願いします。