昨日、スネ夫の国にはなりたくないという記事を投稿しました。
今回は、そこで書いた鉄鋼輸入制限の話を延長し、もっと一般的な問題としてスネ夫的なあり方について考えてみたいと思います。
重要なことは、タテの主従関係ではなく、対等な関係を持つ、あるいは、少なくとも持とうとすることだと思うんです。
いまの日本の対米関係は、どうみても対等ではありません。
こちらの主張をほとんどまったくしない。
そして、そういう態度をとることが得かといえば、そうではないというのは昨日書いた通りです。
こちらの主張をせずに相手の言い分を飲んでばかりいると、相手はこちらのことを「都合のいい相手」とみなすようになり、どんどん無法な要求をしてくるようになるんです。
だから、時には衝突するのを承知でこちらの立場を主張しないといけません。
そうしてはじめて“駆け引き”の余地が生まれるでしょう。ときに面倒なことをいうからこそ、相手も「今回は折れてやるか」とか、「ここで貸しを作ると後で面倒だからな」みたいに思うわけです。むこうのいうことをほいほいそのまま受け入れるから、相手はなんの遠慮もしなくなるんです。これはもう、ジャイアンとスネ夫の関係にほかなりません。それが、今回の輸入制限問題にはっきりと表れています。
そして、やはり昨日の記事で書いたように、そのことは政府と国民の関係にも敷衍することができるでしょう。
国民が政府のやることに文句をいわずにほいほい受け入れていると、政府はどんどん無法なことを押し通すようになります。
これは、まさに今現在進行形で起きていることでしょう。
国民も、政府と“駆け引き”をしないといけないんです。そうしないと、一般国民の生活の領域が、どんどん浸食されていきます。主従関係でできている日本の政治体系を変えないと、世の中がますますおかしくなっていくでしょう。
結論として……有権者は、ときどき怒らないといけないんです。
たとえ支持する政権であろうと、おかしなことにはおかしいというべきです。そうしないと、政治家はどんどんやりたい放題になっていき、国民は際限のない隷属を強いられるようになっていくでしょう。
今回は、そこで書いた鉄鋼輸入制限の話を延長し、もっと一般的な問題としてスネ夫的なあり方について考えてみたいと思います。
重要なことは、タテの主従関係ではなく、対等な関係を持つ、あるいは、少なくとも持とうとすることだと思うんです。
いまの日本の対米関係は、どうみても対等ではありません。
こちらの主張をほとんどまったくしない。
そして、そういう態度をとることが得かといえば、そうではないというのは昨日書いた通りです。
こちらの主張をせずに相手の言い分を飲んでばかりいると、相手はこちらのことを「都合のいい相手」とみなすようになり、どんどん無法な要求をしてくるようになるんです。
だから、時には衝突するのを承知でこちらの立場を主張しないといけません。
そうしてはじめて“駆け引き”の余地が生まれるでしょう。ときに面倒なことをいうからこそ、相手も「今回は折れてやるか」とか、「ここで貸しを作ると後で面倒だからな」みたいに思うわけです。むこうのいうことをほいほいそのまま受け入れるから、相手はなんの遠慮もしなくなるんです。これはもう、ジャイアンとスネ夫の関係にほかなりません。それが、今回の輸入制限問題にはっきりと表れています。
そして、やはり昨日の記事で書いたように、そのことは政府と国民の関係にも敷衍することができるでしょう。
国民が政府のやることに文句をいわずにほいほい受け入れていると、政府はどんどん無法なことを押し通すようになります。
これは、まさに今現在進行形で起きていることでしょう。
国民も、政府と“駆け引き”をしないといけないんです。そうしないと、一般国民の生活の領域が、どんどん浸食されていきます。主従関係でできている日本の政治体系を変えないと、世の中がますますおかしくなっていくでしょう。
結論として……有権者は、ときどき怒らないといけないんです。
たとえ支持する政権であろうと、おかしなことにはおかしいというべきです。そうしないと、政治家はどんどんやりたい放題になっていき、国民は際限のない隷属を強いられるようになっていくでしょう。