文書改ざんが、いよいよ大きな問題になってきています。
このブログでもこれまで何度かこの件について書いてきましたが、今回はもう少し大きいスケールで、日本社会の現状について感じるところを書いてみようと思います。
この数年の動きをみていると、これはまるで、民主主義のストレステストだと思えてきます。
いったいどこまでやったら民主的な社会は壊れるのか……という、そんなある種の実験のようにさえ思えるのです。
ここで名曲を一曲。
ピロウズのTRIP DANCER です。
アラームが鳴ってても目覚めないこの国に
生まれてきた僕らの現実は
ハンドルを縛ったり ハードルをくぐったり
慣れるなんて絶対不可能さ
世の中がだんだんおかしくなってきているのに、アラームが鳴っても目覚めない。
方向転換するべきなのに、逆にハンドルを縛ってそれができないようにしてしまう……それが、この国の現実なんでしょうか。
クルマでもなんでも、安全に動かそうと思ったら、メンテナンスが欠かせません。
“民主的なシステム”というのもそうで、メンテナンスしなければおかしくなっていきます。
そのメンテナンスにあたるのが、メディアの報道や選挙であったりすると思うんです。
ただし、そのアナロジーが成り立つには、メディアがきちんとした報道をしていて、有権者はそれに基づいて、政治がおかしな方向にむかっていたらそれをただす、という前提が必要です。その部分が、いまこの国には欠けているように気がしてなりません。
選挙というものが、まったく選挙として機能していないということが大きいでしょう。
めちゃくちゃなことをやっても選挙で落ちる心配がないとなれば、そりゃあ政治家は無茶苦茶なことをやるようになっていきます。それがどんどんエスカレートしていっているのが、つまりは”民主主義のストレステスト”ということです。
これは、有権者の側にも責任があるといわなければなりません。
まがりになりにも選挙制度と代議制の議会を持っている以上、有権者はそれによって社会をメンテナンスしていく責任を負っています。政治参加は権利ですが、最低限まともな社会を維持して後の世代に渡すのは、“義務”と呼んで差し支えないでしょう。いまこの国の有権者はその義務を果たしているのか……そんなことを考えずにいられない今日この頃です。