ロック探偵のMY GENERATION

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『スケバン刑事』

2020-04-19 17:09:42 | 映画



今回は、映画記事です。

前回このカテゴリーでは『ねらわれた学園』について書きましたが……
じつは、『ねらわれた学園』は、以前からアマゾンプライムがサジェストしてくるので気になってました。
登録している方はご存知のとおり、アマゾンプライムは、これまでの視聴履歴をもとにしておすすめの作品をサジェストしてきます。つまり、『ねらわれた学園』がサジェストされたということは、その手の映画をよく観てるからということなわけです。

で、その一つが、たとえば映画『スケバン刑事』でしょう。

 

ということで、今回は、この『スケバン刑事』について書いてみようと思います。
系統的に似ているということでアマプラがサジェストしてくるわけですが、似ているのは単に学園が舞台であるとか女子高生が主人公であるということだけではありません。この映画を観ていると、『ねらわれた学園』と同様、なんだか現代の日本にむけたメッセージのように感じられるのです。

一応簡単に説明しておくと、『スケバン刑事』は80年代ごろにやっていたドラマ。
「刑事」の部分は「デカ」と読みます。スケバンというのは――これもいまの若い人にはわからないと思うので書いておきますが――女番長のことです。
原作は漫画で、以前紹介した『ピグマリオ』の作者である和田慎二先生の代表作です。
映画化作品はいくつかあるようですが、今回紹介するのはその最初のもの。南野陽子さんが演じる二代目麻宮サキが主人公です。和田慎二先生ご本人も、ゲストとしてちらっと登場しています。

YouTubeにアップされている動画を貼り付けておきましょう。
予告動画ですが、登録とか何かしたら本編も見られるんだと思います。

スケバン刑事

以下、ストーリーをかいつまんで説明しましょう。
(クライマックスの部分にまで踏み込んでいるので、観ていない方はご注意を)

スケバン刑事としての任務を解かれた二代目麻宮サキこと早乙女詩織は、ふつうの女の子としての生活を送ろうとしていましたが、街で遭遇した少年・萩原和夫(坂上忍)を助けたことから事件に巻き込まれます。
そしてその事件の背後には、おそろしい陰謀が渦巻いていたのです。
その舞台は、東京湾から2キロの海上に浮かぶ“地獄城”なる島。

この島には三晃学園という高校があり、そこでは軍隊式教育が施されているのです。

不良学生たちが矯正のために送り込まれていたということで、これは某ヨットスクールみたいなことでしょうか……時期的に考えて、おそらくそれがモデルになっているものと思われます。

三晃学園に送り込まれた学生たちは、銃を使用した戦闘訓練を受け、洗脳教育を施されています。その学則は、次のようなものです。

  正しい人間になります
  規律に絶対服従します
  自分では判断しません
  私は服部校長先生のしもべです

この軍国主義教育のもとに、服部校長(伊武雅刀)はクーデターを企てているのです。
さらに、彼のバックには政治家もついています。しかもそれは、「国家の中枢にいる人物」だというのです。

デフォルメされた表現ではありますが、滑稽なまでにデフォルメされた表現のなかに深いテーマが潜んでいるというのも、『ねらわれた学園』と共通するところでしょう。少なくとも私は、この三晃学園の描写をただの絵空事と一笑に付してしまうことができません。

服部は、かねてより真に国家を改革する夢に燃えていた……という人です。
彼は、“卒業”を迎えた生徒たちにむかって、次のように演説します。

  テロとクーデターの後に東京に戒厳令を施行して、この腐れきったいまの社会体制を根本的に覆すのだ!
  そして、真の理想国家を建設するのだ!

まるでヒットラーかムッソリーニかというところです。
そして、この服部校長のいうエリートたちは、高い戦闘能力をもった兵隊になっています。

この強大な敵を相手に、二代目麻宮サキは、従来の16倍の破壊力をもつ“究極のヨーヨー”を手に、ビー玉お京や三代目らとともに、敵の本拠地である地獄城に潜入。

その救出作戦の途上で、服部校長にむかって麻宮サキはこういいます。(※二代目麻宮サキは土佐出身なので土佐弁で話す)

  自分はいつも安全なところから人の犠牲だけを要求する
  一度でも自分自身で戦うたことがあるんか
  どうじゃ、卑怯者!

独裁者というもの一般に通用する痛烈な批判でしょう。
ただ、実際戦うとこの人は結構強いです。初戦では、武器であるヨーヨーを使えない状態で戦い、麻宮サキは敗北を喫します。

しかし、もちろんそれで終わりはしません。

いったん負けてからリベンジするのは、ヒーローものにお約束の展開。
そこからのあれこれを端折っていうと、とらわれたサキは危機一髪のところで脱出に成功し、当初の計画どおり学生たちの救出にむかいます。

  おまんら家に帰るがじゃ

牢獄の鍵を開けたサキは、学生たちに呼びかけます。

  帰ろう、帰るぞね

ここもまた、『ねらわれた学園』と重なってきます。
キーワードは「家に帰る」なのです。

しかし……この作品においては、事態はより深刻といえるかもしれません。

一部の生徒たちは、檻が開かれ逃げられるにもかかわらず、逃げようとしないのです。
家に帰ろうと呼びかけられても、彼らは気まずそうにうつむくばかりで、じっと動かずにいます。
洗脳教育の成果ということでしょう。洗脳がいきつくと、みずから奴隷の境遇に甘んじるようになってしまうのです。

  希望を忘れてしもうたんか!?

とサキは呼びかけますが、それでも彼らは動きません。
恐怖の支配によって、彼らは自由を与えられてもそれをつかもうとしないのです。日本という国に40年ほども生きていると、この描写が実に鋭く痛切に感じられます。

きわめつけは、廃人にされてしまった加藤喜久男です。
彼は、萩原和夫の友人で、ともに地獄城を脱走したのですが、追手にとらわれてしまったのでした。
その額のあたりには、手術痕があります。ロボトミーでしょうか。はっきりそうはいってませんが、何かしら脳をいじられているようなのです。
ロボトミーというのは、脳の前頭葉の一部を切除して人格を変えてしまう手術。
ロック界隈では、反逆精神を奪われ、無気力に生きていることの暗喩として使われます。まさにここでも、そういう意味合いでしょう。

 あの人たちは結局みんなをこうしたいのよ

と、喜久男の妹は訴えかけます。

 おしまいには、みんなお兄ちゃんみたいにされるのよ、いいの?

仲間の無残な姿を目の当たりにして、躊躇していた学生たちも脱出を決意。
こうして、学園にとらわれていた生徒たちはみな脱出し、麻宮サキは服部校長との決戦に挑むのです。強化されたヨーヨーも通じない金属ボディを持つ服部校長をどうやって倒すか……そこはネタバレになるので伏せておきましょう。これだけ映画の内容を書いといてなんですが、せめてそこだけでも。

それにしても……

こんなふうに過去の映画なんかをみていると、まるで現代の日本に向けられたメッセージのように思えることがしばしばあります。
このブログでは、何度もそういうことを書いてきました。
要は、かつての日本で「こんなふうになったらだめだ」と考えられていたような世の中に、いまの日本はなりつつあるんじゃないかということですね。
ただ、今回のコロナ禍で、強制的に変革を強いられてる気はします。
「規律に絶対服従します」「自分で判断しません」という“しもべ”的姿勢では、社会をきちんと守っていくことができない……そういうふうにだんだん意識が変わりつつあるんじゃないでしょうか。

劇中で、「こがいな平和な時代に、うちらムキになって、おかしいのう」という麻宮サキにむかって、ビー玉お京はこんなことをいいます。

 おかしかねえよ、今の時代、あたいらみたいなバカが少なすぎんのさ

それに対して、三人組のもう一人である雪乃はこう応じます。

 いまが平和な時代とは、本当は見せかけだけなのかもしれませんことよ

このメッセージを、深くかみしめたいと思います。
平穏な時代というのは実はみせかけで、何かのきっかけであっさり崩れ去ってしまうのでしかなかったのではないか……だとしたら、社会をほんとうに守れるのは、ちょっとムキになるぐらいの、人からバカにされるぐらいの、青臭い正義感なんじゃないでしょうか。