ロック探偵のMY GENERATION

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憲法記念日2022

2022-05-03 22:41:07 | 時事


今日は5月3日。
憲法記念日です。

毎年この日は憲法について書いていますが……

今年は、ロシアによるウクライナ侵攻のことがあって、特に日本国憲法の平和主義に関する議論がヒートアップしているようです。

専守防衛ではなく、敵基地を攻撃する攻撃能力ももったほうがよいのではないか、とか、あるいは核保有の主張すらあります。ともかく、軍備を増強するべきだ、という声が大きくなってきているのは間違いないでしょう。

しかし、私にいわせれば、今回の露宇戦争が示したのはむしろ軍事力の限界です。

たとえばNATOは、政治的な制約のために動くことができない。
おそらくNATOが本格的に動いて全面参戦すればロシア軍を撃退することは簡単でしょうが、それができません。理由はいろいろあると思いますが、つまるところ「倒したい敵を倒せる力を持っているにもかかわらず実際にそれを使うことはできない」という状況があるわけです。

いっぽう、攻めるロシアの側もなかなか思うにまかせない。
これも理由はいろいろあるでしょうが、つまるところ「圧倒的な軍事力を持っていたからといってそれで自国の利益を実現できるとはかぎらない」ということが示されているわけです。

ウクライナにしても、ロシアによるクリミア併合以来軍備を強化してきて、それが防戦に寄与しているのは間違いないにせよ、独力でロシアに抵抗できないのは自明でしょう。

ここからわかるのは、軍事力というものがいかに頼りないかということなのです。
ウクライナが独力でロシアに抗するだけの軍事力をもっていればよかったのではないか――という反論があるかもしれませんが、それは非現実的です。まして話を一般化した場合には、この考え方はさらに現実離れしていきます。世界のすべての国がどこの国からの侵略にも抗しうるだけの軍事力を持つなどということは現実問題として不可能だからです。

よくいっていますが、私はあらゆる軍事力に反対というわけではありません。
武力を行使せざるを得ない場合もあるでしょう。しかし、物理的な力というのは、あくまでも現実に襲いかかってきた脅威に対してとりあえず対処するための応急対処的手段であり、それによって何か問題を解決したりすることはできないのです。

その点からすると、いまの日本は敵基地攻撃能力といったことをいう前にやるべきことがあるんじゃないでしょうか。

それからもう一つ、昨今の議論を見ていて思うのは、自分がオフェンス側に立ってしまう可能性も考えなければならないということです。
つまりは、ウクライナの立場ではなくロシアの立場にたってしまう危険。
日本の場合は、かつて実際にそういうことがあって、その結果として現行憲法ができたという経緯があるので、このリスクは考えないわけにいきません。攻撃能力を持てば、その危険は高まるでしょう。
これは、「自分はそんなことは考えていない」というだけではだめです。その人にそういう考えがなかったとしても、かつて日本を戦争にひきずりこんでいったような人たちがまた暗躍しはじめて国を動かすようになってしまったら、(この可能性は決して小さくないと個人的には思ってます)そういうことを考えなければならない。そもそも憲法は公権力に縛りをかけて暴走を防ぐという機能が期待されるものなので、戦争というような非常事態でそこをいかに担保するかということをセットにして考える必要があるのです。

以上のようなことを考えると、現在の改憲議論はきわめて不完全なものと私には見えます。
まずは、公権力の暴走を防ぐという憲法本来の機能を確かなものにすること……いまこの国に必要なのは、それなんじゃないでしょうか。